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さくらを覗くとき、さくらもまたこちらを
桜の下にいる神無木の顔を見て、静嶋は目を瞬かせた。
満開の桜の下に居ながら、全く桜の花を見上げようとしない。寧ろ根本に何か恨みでもあるのか、というほど視線を下げ、見つめていた。
「桜、嫌いなの?」
静嶋の声に漸く顔を上げた神無木は瞳に色を映した。桜の色は見られなかったが。
予定時間の五分前。優等生のような待ち合わせだ。
それよりも到着した静嶋の第一声が「こんにちは」でも「お待たせ」でもないことに苦笑しつつ、神無木は肩を小さく竦める。
いやだが確かに、「こんにちは」には早すぎる時間で、「お待たせ」してはいない。
「嫌いかどうかといえば」
「どうかといえば」
「……むかし、友人の、友人が死んだ」
静嶋は桜の花ごと舞い、自分の肩に乗り、ワンピースの裾まで滑り落ちて、アスファルトを彩るのを辿った。神無木は全く花には目をやらなかった。
立ち止まってする話でもないのか、神無木は行く方向へ指を示し、二人は歩き始める。懇意にしている駄菓子屋へ行く為の待ち合わせだった。
「交通事故で、水路にはまって転落した。打ちどころが悪くて、冬の夕方で、発見が遅くなって、もう手遅れだった」
「うん」
淡々と人の死を話す神無木に、静嶋はさっぱりとした返答をする。視線は上に。集まって咲く桜の花に。
「友人はその葬式に行った」
「友人Aの方?」
「あ? 友人……ああ、そうだ、死んだのが友人Bか」
「友人Aがお葬式に行ったのはいつ?」
「中学二年の、暮れ」
やけに鮮明なそれに、静嶋は何も言わなかった。桜から視線は地上へ。自販機を見つける。
その前で止まると、神無木も同じように足を止めた。
「友人Aは葬式で友人Bの骨の一部を持って帰った。遺族に断りもなく」
缶コーヒーのボタンを押そうとした静嶋の指が一瞬止まる。
「これ新発売かな?」
「いや、外装が変わっただけじゃね」
「そっか」
ボタンを押す。出てきた缶コーヒーを持って、桜の木の下へと戻る。
「どうして持って帰ってしまったの?」
「……さあ? 狭い骨壺に入るのが可哀想だと思ったのか、それともどこかへ連れ出したかったのか、ただ受け入れ難かったのか」
「十三歳なら刑事責任能力はないとみなされる。だから罪には問えない」
十三歳だと断言する静嶋は、プルタブを開けた。缶コーヒーを一口飲む。神無木はそれを見ていた。ぐ、と顰む眉も。
「にがい」
「そりゃ無糖だから」
「え、言ってよ……」
絶望的な表情で静嶋は缶コーヒーの外装を見る。確かに無糖、と書いてあった。
む、と口を噤み、神無木へと差し出した。
「偶には無糖も飲むんかなと」
「あげる」
「あらどーも」
飲み差しだが、特に気にせず口をつける。道の先に団子屋が見えた。
「団子屋ある。食べる」
「まさに花より団子だね」
「むかしの人は素晴らしい言葉を考えつくもんだな」
神無木が団子を買っている間、近くにあった自販機で静嶋は加糖コーヒーチャレンジをした。次はきちんと甘いコーヒーが出た。
「食べる?」
一本のみたらし団子の串を差し出す。
静嶋は無感情な目でそれを見て、小さく首を振った。
「いい、ごめん」
「じゃあコンビニで唐揚げ串買うか」
「うん、それなら」
食べられるか、食べられないか。
静嶋は人の手が入ったものが食べられない。身体と精神がそれを拒絶してしまう。
神無木はそのボーダーを計っている最中だった。
因みにコンビニのチルド食品など、パッケージされていたり機械処理された食品は食べられる、らしい。
自販機の横のベンチに座り、神無木はみたらし団子を、静嶋はコーヒーを口にする。その甘さに満足し、先程の話の続きを促す。
「持ち帰った骨はどうなったのか、聞いた?」
「……家の近くの、桜の木の下に埋めた、らしい。友人Bが桜を好きだったから」
「可愛らしい話なのに。どうして神無木は桜を嫌いになったの?」
「桜の根本って植物が育たないって言うだろ。養分を吸うとかで」
「友人の骨が桜の養分になったと思ったの?」
次に静嶋が神無木を見た時、もうみたらし団子は無くなっていた。手持ち無沙汰に串をくるくる指の腹で転がしている。
もう片方には無糖のコーヒー。
「やっぱり、なったと思うか?」
不安げな顔に、静嶋は呆れたような憐れむような表情を返す。
「神無木って、非現実的なもの結構信じてるよね」
桜の木を見上げた。
桜の根本で植物が育たないのは、確かに養分を桜が吸収してしまうという理由もあるが、大きくなった桜で日陰になるからという理由もある。他にも調べればいくつと理由は挙げられるだろう。
そもそも骨そのものが桜の養分になる前に、骨は土に還るだろう。
神無木は馬鹿ではない。静嶋には及ばないが、高校では学年五位以内に成績を納めていた。
しかし、神無木がしたいのは、そういう現実的な土の養分の話ではないのだ。
静嶋の言葉に神無木も肩を小さく竦める。自覚はあった。
「養分になったことはまあ良いんだ」
「え、良いの」
「桜好きだったら、そのものになれるのは嬉しくね?」
「なんというか……」
言いかけて止めた。言って得られるものは無いと判断した。
「まあ、嬉しいかどうかはそいつが決めることだし、恨まれてたら謝るしかない。俺が桜を嫌いなのは、それをいつか忘れるかもしれないからだ」
神無木は立ち上がり、串をゴミ箱に捨てた。飲み終えた静嶋の缶と無糖コーヒー缶も共に空き缶入れに放る。
「忘れても良いと思うけど。嫌な記憶なら」
「覚えてたいんだ。だから今話した」
いつの日か、神無木がそれを忘れたとき、静嶋が覚えているように。
そんな共犯者に。
思わず苦く笑う。
「それは、友人Aは神無木本人だったという認識で良いの?」
「いや、友人の話だ」
「私が忘れても大丈夫。桜が覚えてる」
静嶋が人差し指を上へ示す。神無木は本日初めて漸く顔を上げた。
風が強く吹く。花を揺らし、花びらが舞う。降るそれは雪のようで、幻想的だった。
美しいが、恐ろしい。
どこかに攫われそうで。
「あの桜しか覚えてないだろ」
骨を埋めた桜の木しか。
「ソメイヨシノはクローン個体だから、あれもあれもあれも、全部同じDNAを持ってる」
いくつかの桜の木を指すと、神無木の視線も同じように動いた。
「どの桜もその骨のことは覚えてるって」
ぞわ、と背中が震える。神無木が何とも言えない顔で口を開いた。
「やっぱり嫌いだ」
「私も、人の手が無いと増えられないところが嫌い」
朗らかに笑いながら静嶋が言うので、それにも背筋が震える。何故二人して、嫌いなものの蔓延る道を歩いていたのか。
道行く人が桜を写真に収めているのが見えた。
「あっちの道移って、コンビニでからあげ串買おうぜ……」
「名案だと思う」
その写真に恐ろしいものが写らないことを、少しだけ祈った。
ほねをぬすむ おわり。
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