証明写真

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「嘘ついてないなら、証明写真を撮ってきてよ」  妻の冷たい物言いに冷や汗が出てくる。 「お前、バカだなぁ。そんなの噂に決まっているだろ。撮ったって意味ないよ」  妻が言っている『証明写真』は、潰れたドラッグストアに置いてある証明写真機のことだろう。その証明写真機は何やら特殊らしく、嘘を暴き真実を証明するらしい。そんな与太話を信じるのもおかしいが、万が一噂が本当だとしたら……。 「本当に浮気してないなら、撮ってこれるはずでしょ!」  吊り上がった目で俺を睨みつける。こうなったら何も言えない。妻は強引に俺の手に700円を握らせると、家から追い出した。  ドアを閉められてすぐ、無機質な施錠音が聞こえる。閑静な住宅街ではその音がやけに大きく感じた。真冬の、しかも夜中の1時に寝間着で証明写真を撮りに行く男なんて、世界で俺だけかもしれない。幸いにも、噂の証明写真機は近所だった。自分の両腕をさすりながら、早足でドラッグストアまで向かう。  出会い系アプリで知り合った子と最後までシたのはまずかった。スマホを見られても大丈夫なように、アプリは隠しフォルダに入れていたのに。だいたい、そこまで見るのもおかしくないか? プライバシーの侵害だろ、あの鬼嫁が。念には念をと定期的にメッセージも消していたから、すべてはバレていないのが不幸中の幸いだ。この証明写真のことさえ乗り切れば、なんとかできる。『興味本位で見てただけ』『同僚をからかってやろうと思ってさ』次から次へと言い訳が浮かぶ。ただの噂だしな。証明写真を撮ったら、潔白を主張して逆に責めてやる。あの鬼女。悪魔女。男の浮気は黙って許すもんだろが。  気持ちが盛り上がってくるのに合わせて自然と早足になる。  ドラッグストアが見えてきたころ、俺は自分の目を疑った。証明写真機にちょっとした行列ができていたからだ。行列の後ろには、今風の青年がスマホを触りながら順番を待っていた。どうしても気になり、声をかける。 「あのー……不躾にすいません。あなたも証明写真を撮るために並んでいるんですか?」   「そうだけど。お兄さんもなにかしちゃった感じ?」    思わず苦笑いを浮かべる。   「ええ、まぁちょっと……“お兄さんも”ってことは、あなたも?」 「当たり前っしょ。もう撮るのもこれで4回目かな」 「4回目⁉ 何回も撮るってことは噂は本当なんですか?」  本当だとしたらまずい。膝が崩れそうになるのをどうにかこらえた。 「マジだよ。ここの証明写真を撮ると、疑われていることに関しての真実が写される。浮気なんてしてたら、自分だけじゃなく相手の顔まで写るんだから」  ――終わった。このままでは離婚だ。結婚式に祝儀をくれた友人や上司の顔が浮かぶ。情けなくて離婚しただなんて言えない。俺の会社での立場はどうなる。  放心状態になっている俺に、彼は耳元で囁く。 「心配しなくても大丈夫。ここが人気なのは、特別モードがあるからなんだよ」  彼はお世辞にも爽やかとは言えない笑顔を浮かべた。 「今どき写真なんて盛って当然でしょ。写真を撮るときに、美白効果をMAXにして撮影したらいいんだよ。そしたら浮気が“クロ”でも、ある程度誤魔化せる。俺も浮気してるけど、そのおかげで浮気相手が全部女友達になってるんだよ。浮気してない証拠にもなるし、もう最高。これが出来てからどんどん浮気してるってわけ」  彼はいやらしく口角を上げた。 「それじゃ、順番がきたんで。お兄さんも頑張って」  ありがたいことを教えてもらった。女友達ぐらいにできるならなんとでも言える。  言い訳を考えていると、さっきの青年が写真を持って出てきた。一礼をすると、手を軽く上げて去っていく。ふむ、最近の若い子も、なかなか気概があるじゃないか。日本の将来も明るい。  証明写真機のなかに入る。金を入れると、古ぼけた画面から次々と指示が出てきた。  『イスの高さを調整してください』  『肩の位置を確認してください』  『特別モードを使いますか?』  ――きた! 俺は迷うことなく『はい』を選ぶ。  『美白モード、加工モード、どちらにしますか?』  美白だけじゃないのか? カメラアプリなら、加工をすると毛穴やクマを消してくれる。最近では、顔の形や体型まで変えて“盛って”くれるものが多い。正直、俺が美白モードを選んでも浮気を誤魔化せるかわからない。相手を妊娠までさせてしまっている。美白しても、女友達レベルまでになるかどうか……。完全に隠すなら、この加工モードの方が確実だろう。    加工モードを選び、数値を最大にする。  ――3、2、1。カシャ。  神にも祈るような気持ちで、現像された証明写真を確認する。 「な、なんだよこれ!?」    写真にはまぬけな顔をした俺が写っている。そして浮気相手。さらに知らない女がふたり。挙句の果てに『妊娠中』と書かれたスタンプと一緒に、俺によく似た赤子が3人も写っていた。『隠しベイビー』なんてふざけた文字まで書かれている。 「悪い方向に盛ってどうすんだよ、くそ! 騙された!!」  もう小銭もないのに! 怒りのあまり証明写真機を蹴っていると、後ろから声がした。 「証明写真、撮れた? 心配になって見に来たの」  その冷たい物言いは、聞き慣れた声だった。思わず証明写真を後ろに隠すが、妻はそれは素早い身のこなしで奪う。 「ふーん、なるほどね。この証明写真機、本当に映るんだ」 「違う、落ち着いて聞いてくれ。俺は騙されたんだ」  一呼吸置いて、妻の吊り上がった目が、徐々にいつもの優しい目つきに戻っていく。これは……いけるか? 妻は小さなため息を吐く。 「……騙されたのは私の方よ。口のうまいあんたに騙されて結婚したのが運の尽き」  そう言うと持っていた証明写真ごと俺の頬を勢いよくビンタする。衝撃で目の前が真っ暗になり、俺は地面に膝をつく。 「離婚よ。慰謝料はきっちりいただきますからね」  妻はもう一度ため息を吐く。その白くなった息が、夜の闇に溶けていった。
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