36人が本棚に入れています
本棚に追加
誑神の愚者
「誰か助けて」
東の森に、狼男に襲われ逃げ惑う農婦の姿があった。
衣服はぼろぼろに引き裂かれ、はだけた服から豊満な胸が揺れるのが見えた。
木の根に躓いて倒れ、スカートの下から白い太腿が露わになる。
くねりと動かす色気づいた肢体に、狼男はよだれを垂らしながら近づいてきた。
しかし狼男が農婦に飛びかかろうとした瞬間、大きな矢が飛んできて狼男の肩を射抜いた。倒れ込んだ狼男の胸をすかさず鋭い短剣がグサリと貫き、ぐるると唸り声を上げると、やがて動きを止めた。
「大丈夫?」
農婦が声のほうを振り向くと、そこに大きな弓矢を携えた凛々しいエルフの女戦士が立っていた。
「はい……助けていただき、ありがとうございます」
「怪我がないか心配ですね。近くに私の住む小屋があるので、診てあげましょう」
女戦士は農婦をひょいと抱きかかえると、そのまま森の奥へと歩き出した。
「だ、大丈夫です。降ろしてください」
「いえ、普段より鍛えてますから造作もないことですよ」
じっと見つめる女戦士の瞳は深い翡翠色で、その整った美貌に農婦は心を奪われ赤面した。
小屋に着くと女戦士は農婦を椅子に座らせ、熱いスープを振る舞った。そして農婦の膝まで屈むと、怪我がないかを確認していた。
「軽い擦り傷だけね、よかった。それで……こんな人気のない危険な森で何をしていたの?」
「実は大賢者様を探しておりました。ご存じないでしょうか」
「大賢者に何か用事でもあるのかしら」
「それは……子供の頃、私の村は魔族に襲われ両親を失いました。獣魔族を支配する獣魔王を大賢者様に倒していただけたおかげで、再び平穏な生活が送れるようになったので、お礼が言いたかったのです」
チラリと農婦は女戦士の様子を窺った。
「大賢者かどうかはわからないけど、獣魔王を討伐したのはこの私よ」
農婦は驚きの表情を隠すことができなかった。
まさか大賢者が女だったとは。——これでは私の色香で惑わすことができない、と農婦は思った。
「女性であるあなたが何故そんな勇敢な試練に挑むのでしょう?」
「それは私も獣魔族に一族の命を奪われたから。同じように困っている人達を助けたかったの。あなたの力にもなれてよかったわ」
優しく語る女戦士のまっすぐな志に共感し、農婦はこの人を欺くことはやめておこうと心に留めた。
この農婦は、『誑神の愚者』ラウナの偽りの姿であった。
最初のコメントを投稿しよう!