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嘘匠の愚者
その翌日、馬に跨る一人の青年貴族が東の森を彷徨っていた。
深い霧の中を進むと、うっすらと黒い陰が見えてきた。その陰に向かって馬を走らせると、そこには煙突のある古ぼけた館があった。
青年は館の前で馬から下りると、煙を吐く煙突を見上げた。
その館の扉をノックすると中から、ぼさぼさ頭の眼鏡をかけた青年がぬっと現れた。
「はい……どちら様?」
「僕は西の都に住む公爵家の人間なのですが……大賢者を探している。心当たりはありませんか」
「大賢者? 知らないなあ。そいつに会って、何がしたいんだ?」
「実は僕の妹が重い喘息にかかり、ずっと寝たきりでね……。大魔術で治療してほしいと思っている」
「それなら魔法なんていう怪しいものではなく、もっといい治療法があるよ」
「ほう、それは何でしょう?」
「……中に入ってきな」
眼鏡の青年に促され、館の中に入ると、そこにはたくさんの器が所狭しと置かれていた。大きな鍋は火に炙られ、もくもくと湯気を立てていた。
「ここは……」
「薬を調合しているところだ。色々な病に効く薬品を研究しているんだ」
テーブルの上を見ると、山林でよく見かける植物が山のように積まれていた。
「この草花は?」
「ああ、それはズダヤクシュと言って、喘息によく効く薬草だ」
「それではこれを譲ってもらえますか? お金ならいくらでも差し上げるので」
青年貴族は金貨の詰まった巾着袋を見せると、得意げに笑みを浮かべた。
「これはただの雑草だから、調合法さえ覚えれば誰でも作れる。金なんていらないよ」
「金はいらない……? それでは君は何のためにこんなことをしているんだ?」
「楽しいからだよ。色々な調合を試して新たな発見をする。そして特効薬が出来上がった時の達成感が堪らないんだ」
眼鏡の青年は両手を広げ、恍惚とした表情で天を仰いだ。
「もしかして……あなたが大賢者なのでしょうか?」
「さあ、僕が何と呼ばれているかはどうでもいい。薬はやるから、妹さんに飲ませてやってくれ。薬が効いたら教えてほしい」
ただその効能を試したいがために、無償で秘薬の袋を手渡された。この破天荒な生き方に、青年貴族は羨ましさを感じた。
この青年貴族は、『嘘匠の愚者』リコスの偽りの姿であった。
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