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現実①
拳を振り下ろす。
机を叩くたびに下井は、びくっと首を引っ込める。亀みたいなやつだ。
「俺が間違ったこと言ってるか」(バン)
「・・・いいえ」
えらい不服そうじゃないか、下井。
腹の中が沸騰しているようにぼこぼこと泡立つ。
「声が小っさいんだよ。やる気あんのか」(バン!)
「いいえ!」
そこは、「いいえ」じゃなくて「はい」だ、下井。
腹の中で沸き上がる泡が、言葉となって口から出る。
「お前は、本当にいい加減な奴だな、下井」
下井は本当に使えない。
図体がでかいだけのノロマな亀だ。
「この資料はすぐにまとめろって言ったよな。重要な案件だって言ったよな」(バンバン)
「でも」
「『でも』じゃねえんだよ。言い訳するんじゃねえ」(バンッ!)
下井は口を真一文字にむぎゅっと結び、顎(顎と首の境目は分からない)を引いて、ゆっくりと瞬きをする。開いた目がうっすらと濡れている。
なんだ、睨みつけやがって。
「・・・しかし、部長に期日を確認しましたら『後で言うから』と仰いましたので」
声が震えている。
あっという間に、目尻に水がたまっていく。
「じゃあ、確認しに来いよ。(バン) 俺が『後で言うから』って言って、言いに来ないんだったら『この件はどうなりましたか』って聞きに来るのが常識だろうが。(バンバン) お前とは持ってる仕事の量が違うんだよ。お前が任されてるそんな些細なプロジェクト、俺がいちいち覚えてるわけがねえだろ(バンバンバン!)」
「んす、すみ、すみま・・せん・・・」
とうとう鼻をすすりだした。目に手をあてて涙腺の崩壊を止めようとする。関係なく指の隙間から涙が流れ落ちていく。
「おいおい、こんなことで泣くなよ。まるで俺がパワハラでもして、泣かせてるみたいじゃないか」
俺はトーンを落とす。下井の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
「いいか下井。俺はお前にこの会社の戦力になってもらいたいんだ。 だから、多少厳しくもするし、お前からしたら理不尽だと感じることもあるだろう。俺もお前をいじめたくて言ってるんじゃない。ただただお前に成長してもらいたいだけなんだ」(バン!)
力加減を間違えた。
音に驚いて下井が顔を上げる。腫れぼったい瞼に覆われた小さすぎる目からは涙がつるつると溢れる。水滴は、パンパンに膨れ上がった頬っぺたの起伏を乗り越え、滑り落ち、どこが顎か首か分からなくなるほどに重なり合う脂肪の隙間へと吸い込まれていく。鼻水も同様の着地点に帰結する。
このデブが。
「いいか、下井。今すぐに資料まとめに取りかかれ。そして明日の朝一番に俺のデスクに置いておけ。いいな」
「んあ、でも、他の仕事が・・・」
「『でも』じゃねえんだよ」(バン!)
何回言わすんだ。
「残業でも、徹夜でもして、必ず仕上げろ。いいな」(バン!)
「・・・はい」
今日初めて下井は「はい」と言った。間抜けなくせに強情な奴だ。
「『はい』って言ったな。お前が『やる』って決めたんだから、ちゃんとやれよ。今すぐやれ」
そう言うと、下井は顔面につきすぎた脂肪を不服そうに歪めたが、最後には説教が終わったことに安堵したかのように、短く「ほうっ」っと息を吐いてデスクに向かった。
大きすぎる尻をこちらに向けて、下井がのしのしと歩いていく。
ノロマな亀だ。
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