最終話「そしておれは、本を売る」

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最終話「そしておれは、本を売る」

2ba1c730-2d73-49c2-8782-429c9bb5c4ca(UnsplashのBen Whiteが撮影) 「アキ、店番くらいやれ!」  店先に座るアキは、返事もしない。夢中で本を読んでいる。  そのすきに、女がひとり入ってきた。良く日に焼けている。漁師のカミさんだろう。   「これ、売ってるの? いくら?」 「どれでも銅貨1枚。3冊買ったら銅貨2枚にするよ」 「高いわ。そんなにない」 「じゃあまけるから……え、金はぜんぜんない? かわりに今朝あがった小魚をよこす?  ……まあいいか。何もないより、ましだ」  あの日から、おれは本屋をはじめた。革鞄は売ってしまったので、本を軒先に並べておいたんだ。  売ると言っても、『エンド』には余計な金を持っているヤツはいない。連中は金の代わりに売り物にならない魚を持ってくる。  本と魚を交換する。塩と交換することもある。芋のときも、酒のときも。  毛布と交換したときは、アキにやった。物々交換で本が少なくなっていくにつれて、本のベッドが薄っぺらになったからだ。  アキは昼間は自分の家に戻り、掃除や洗濯をこなす。夜になり、母親が仕事を始めると、うちに来る。  うちに来て、本を読む。  たまに店番をする。  本を読む。  おれの夕食に雑魚を焼く。  本を読む。  おれの酒を買いに行く。  本を読む。  アキは本屋の看板みたいになった。本をもって読みながら『エンド』じゅうを歩きまわるからだ。  夢中になって、読んでいた。  人々はアキに聞いた。 「何をしてるんだ?」 「本を読んでる」 「おもしろいか?」 「『ここ』じゃないところへ、行けるよ」  やがて住人に、アキの熱狂がうつりはじめた。連中は雑魚や芋や米を持ってきて、本を持って帰った。 「よう、アキ。今は何を読んでいる?」 「『キスを待つ頬骨』」 「……ガキにはまだ早いだろ。エロいぞ、あれ」 「へいき。おもしろい」  やがて、みんな本屋へ来るようになった。  人気が出て大勢に回し読みされる本もあるし、表紙がきれいな本はコレクションされた。高値で売買されるものも出てきた。 『エンド』じゅうに、本が流通しはじめたんだ。  アキはすべての本を読みつくし、おなじころ本の在庫がなくなった。  空っぽのぼろ家で日を浴びながら、アキに言う。 「本屋は終わりだな。もう売るものがない」  そのとき、外から男の声がした。 「——必要なら、また本を供給するがね?」 「おっさん」  そこには、おれに最初の本をよこした男が立っていた。  おれはあわてて、 「わりい、別にアンタをだまして、この家を銀貨はんぶんで買って、残りをおれのもんにしたわけじゃない」 「……そうだったのかね?」 「あと、革鞄は売っちまった」 「……ほお?」  そこへ、ひょいと小さな手があらわれた。爪のあいだに泥が詰まった子供の手。アキだ。 「もっと本をちょうだい! もう読むものがないの」  おっさんは笑ってうなずいた。 「では、次の在庫を渡そう。かわりに……そうだな、この子を連れていこうか」 「おいおい、それが狙いかよ、おっさん!」  おれはアキとおっさんのあいだに立った。 「アキはまだガキだ。おっさんの役には立たないよ」  おっさんはアキの痩せた身体をじろじろと見て、 「いやあ、十分だ」 「あんた、趣味が悪いな。幼女好きかよ」 「幼女……だが研究対象としては最適だな」 「研究? ネズミみたいに切り刻むんだな。アキ、奥へいってろ。おれが守るから――」 「いやいや、君も来るんだよ、ハルトさん」 「……は?」  おっさんは満足そうに外を見た。  『エンド』の住人が、本をかかえて歩いている。木陰で読んだり、交換したりするんだろう。  おっさんは言う。 「これは政府によるリサーチの一環でしてな。 『読書習慣のない地域に、紙の本を提供したらどうなるか。それを調べるために、現地に本屋を設置する』というプロジェクトだ。  想定以上の結果が出たよ。君のおかげだ、ありがとう」 「結果?」  おっさんは重々しくうなずいた。 「この地域には、みごとに本屋が根づいた。見なさい、これは君の本屋が作り上げたものだ。 屋内で、屋外で、みんなが本を読んでいる。知識が手渡しされ、流通し、動いている。いわば――『青空本屋』だな」  おれとアキは外を見た。  そこには確かに、屋根のない本屋が存在した。  本を手わたす、受け取る。また渡す。  読む読む読む。  あざやかな青空の下で、無限の本屋が展開しつづけていた。  おっさんはつづける。 「リサーチした結果を、文書にまとめねばならん。そこには『現地スタッフ」の意見が必要でな」 「ハルトの事だね」  アキは言った。 「アキの事だな……って、だましたな、おっさん」  おれは笑いはじめた  本は、人々の波間を生き生きと泳ぎ抜ける。潮に乗る魚のように。  知識をまき散らし、ここではないどこかへ連れて行って、今日いちにちを生き伸びさせてくれる。それが本だ。それが本屋の役目だ。  そしておれは、また明日も本を売る――。 【了】
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