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拗らせ雨と遅れた自覚
「……ん、何時……?」
朝霧 瑠依は、ボヤけた意識をゆっくりと覚醒させると、目の前にあるスマホに手を伸ばした。こめかみを押さえながら、ゆったりと起き上がる。
カーテンから差し込む光が、部屋全体を柔らかく照らしていた。スマホには連絡を知らせる通知が何件か来ていた様で、瑠依はまだぼんやりとした頭で相手を確認する。
時刻は夕方の16時半。昨夜からの長雨による低気圧で、重い偏頭痛持ちである瑠依は寝込んでいた。そんな大雨も、今はもう止んでいる。こんな悪天候にも関わらず、瑠依に連絡をしてくる相手はだいたい決まっている。
それは瑠依と高校時代からの仲で、今も同じ大学に通う親友である、高富薫だ。薫は初対面だとチャラい印象を抱きやすいが、その本質は誠実で気配りの出来る人付き合いの上手い男だ。
瑠依は汗でベタつく髪の毛をかき上げ、胸がきゅっとなる感覚に無意識に口角を上げた。薫に淡い恋心を抱いている瑠依にとって、こうして自分を気遣ってくれる薫に、瑠依は目を逸らせないほど心酔してしまっている。
言語化に迷うような何とも言えない感情を抱き、寝起きだというのに情緒が乱された。
瑠依はがらつく喉を咳払いして、電話を折り返そうと発信ボタンに指を重ねた。しかし液晶画面に触れる前に、タイミング良く部屋のチャイムが鳴る。
瑠依がこんな時になんなんだ、と眉をひそめると再びチャイムが響いた。仕方なく重たい体を起こして応じれば、そこには大学帰りであろう姿の薫が立っていた。
「は……? 何で?」
突然の事に驚きつつも、薫を迎え入れる。
「お、良かった! ちゃんと、生きてた!」
「お前な……急に来たと思ったら、第一声がそれかよ」
瑠依よりも数十センチ背の高い薫が、少しだけ開けたドアから覗き込んでくる。その様子に瑠依が困ったように笑うと、薫も誤魔化すように笑顔を浮かべた。無邪気なやり取りに薫も肩を竦めてみる。
そんな薫を仕方ないとばかりに、瑠依は部屋へ招き入れる。
「連絡したんだけど出ないから、ほれ」
「いま起きたんだよ、コレなに?」
瑠依がリビングへ向かうように言うと、薫は慣れた様子でソファに座った。その様子を横目で見届け、甘めにインスタントコーヒーを注ぐ。注いだコーヒーをソファ近くのローテーブルに置くと、薫が瑠依へ白くどこにでもあるような紙袋を手渡してきた。
疑問に思いつつ中身を覗いて見ると、中には菓子パンやおにぎりと大量に食糧が入っている。ますます意図が分からず、瑠依は薫を見て首をかしげた。
「昨日から雨がすごかったじゃん? 瑠依が頭痛でダウンしてたら、腹減ってるだろうなと思って、食糧を買ってきたんだよ」
グッと親指を立て、態とらしくウィンクをする。瑠依はそんな薫に少し呆れながらも、お礼を伝えた。
「たしかに助かる、ありがとう。実を言うと、昨日の昼から何も食ってねえ」
「マジかよ、気持ち悪くなんねーの?」
薫は顔を顰めたながら、コーヒーの入ったマグカップを口元に運ぶ。そして1口飲むと、薫は瑠依へ見せつけるように紙袋に入ったおにぎりを食べだした。
瑠依の為に買ってきたと言いつつも、ちゃっかり自分の分も買って来ているのが薫らしい。口いっぱいに頬張る薫に、自然に苦笑いを浮かべてしまう。こんなにも自分の事を気にかけてくれることに、瑠依は何度も勘違いしそうになる。
少しくらいそっちの意味で、好意的に意識して欲しい。そんな自分の中の願望に頭を振って、なかったことにした。
瑠依は自分に薫は親友だと言い聞かせるたび、心の裏側がガリガリと削られている錯覚を覚えるのだ。
「頭痛が酷くて食欲なかったし、むしろ食ったら吐いたと思う」
「マジぃ? 相変わらず辛そうだな、今は大丈夫なのか?」
薫は瑠依の偏頭痛がいつも酷いことを知っている。つい先程まで、発狂するくらい痛がっていたのに、治まってしまえばケロッとしているなんて事もざらにあるのだ。その為、仮病だと勘違いされる事があるのが、偏頭痛の辛いところでもある。
だからこそ薫は、無理をしがちな瑠依の心配をした。
「ああ、もう平気だ」
パクパクとおにぎりを数口で食べきった薫は、心配ないと伝えた瑠依に満足したらしい。突然、何かを思い出した様子の薫は、自分のカバンを漁り始めた。
「お、あった! 瑠依、今日のノート書いてた方がいいぞ〜 次の講義にテストあるらしい」
「ノート? ありがとう。でも、わざわざ家に寄って貰わなくても、メールで送ってくれたら良かったのに」
「まあ、そうだけど……お前の生存確認も兼ねてるから、気にすんな!」
ニカッと笑った薫を、瑠依は眩しそうな物を見る様に目を細めて微笑んだ。そして相変わらず楽観的だと思いつつも、その心遣いにドキドキと胸が高鳴る。大学の新学期が始まって少ししか経っていないが、瑠依の単位は体調不良で落とす事が多くギリギリなのだ。
そんな瑠依を何とか留年させない為に、薫も色々と世話を焼いている。今年で大学3年になり、早い者は就活を視野に入れ動き出している。
やる事がなくて入学した瑠依も、そろそろ偏頭痛なんかに負けてられないと、密かに決意をしていた。
「あ、忘れてた」
瑠依が自分のノートをローテーブルの上に出し床に腰かけると、薫が顔を勢いよくあげ呟いた。
「なんだよ?」
「月末にサークルの皆で、飲みが決まった!」
「飲み?」
「そう! お前も行くだろ?」
「まあ、そうだな。この時期だから……新入生の歓迎会って感じ?」
ノートを模写し始めた瑠依が、目線を留めたまま薫に問いかける。
「そう! まだ酒は飲めないメンバーが多いけど、ソフトドリンクで乾杯するらしい」
「そうなのか、空気だけでも楽しめればいいのか?」
「そうそう! でもまぁ、名ばかりのボランティアサークルに、よく入ってくれたよなぁ」
「いや……名ばかりでも、一応活動はしてるだろ? 廃品回収の手伝いとか、被災地支援の募金活動とか」
「半年に一回くらい、な?」
薫は微妙な顔をして、ローテーブルに寄り掛かり肘をついた。その目線はシャーペンを握る瑠依の手元に向けている。
「ちなみに幹事は誰なんだ?」
「あー、確か2年の誰かが、やってくれるらしい」
「了解……よし、書き終わった」
瑠依が適当な字で書き写すと、出来上がったノートを薫が取り上げた。
「詳しく決まったら俺から連絡する……って、字きったな!」
「堂々と失礼だな、お前……!」
瑠依がノートを奪い返すと、薫は『お? やるか~?』と瑠依を更に煽ってくる。
「やらないよ。元々、俺のだろ」
薫の煽りに乗らないのが瑠依だ。
無邪気な薫に、冷静な瑠依。意外と相性はいいのである。
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