ピアノの音と知らない顔

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「さてと、今年もこの時期が来たわけだが」  二年前の十月半ば。生徒会選挙が終わり、生徒への挨拶も済ませてある程度落ち着いてきた頃。とある係を巡った熾烈な争いが起きようとしていた。  それが『下校見回り担当』。下校時間まで校内に残り、生徒が全員下校したか校内中を確認して回るというなんとも面倒臭い係だ。生徒会長の海道先輩曰く、昔は一年生が押し付けられていたらしいが、それではフェアじゃないと言い出した当時一年生だった先輩がくじ引き制度にしたのは丁度一年前のことらしい。溺愛している飼い猫と遊ぶために早く帰りたかった先輩の圧は、それはそれは凄いものだったと副会長の久木先輩が笑いながら話してくれた。  そして、厳正なるくじ引きの結果――当たりの星マークは、私が引いた紙にはっきりと記されていた。 「うーん、女の子を一人で遅くまで残らせるのは……」  うちの生徒会はなぜか男子が多く、今年の生徒会も書記の私と二人いる会計のうち一人以外は全員男子だ。そのため、女子が当たった場合のことはすっかり頭から抜け落ちていたらしい。女子を除外してもう一度くじを引き直そうとする男子たちに、うちの生徒会は紳士じゃないと入れないのかもしれないと思いながら「それだとフェアじゃないでしょう」と去年の海道先輩の言い分を盾にして、私が下校見回り担当となった。ちなみにその日の会議が終わった後にちょっと待っててと私に言ってから、一度生徒会室を出てしばらくして防犯ブザーを手に戻った海道先輩と久木先輩に「何かあったら必ずこれを鳴らすこと、そして警察かお家の人か自分達に連絡すること、何もなくても家に帰ったら生徒会のグループに帰宅報告すること」と言われたのは流石に驚いた。この人たち過保護すぎる……と呆然とした目をしていたら、会計の女子の町川先輩が「あの二人、どっちも歳離れた妹いるのよ。だから女の子は大事にしないとって思って過保護になっちゃうの。特に貴方は年下だしね。私も去年散々甘やかされたから、貴方も甘えておきな」と言われながら更に防犯ブザーを渡された。町川先輩、貴方も過保護です。  こうして私は下校見回り担当を引き受けたものの、あまり乗り気ではなかった。下校時間までは生徒会の会議か、教室で課題をやるか図書室で本を読むことで過ごせる。しかし、あまり遅いと両親にも心配させてしまうし、夜の暗い道はやはり怖い。先輩たちの好意に甘えておけばよかったと後悔するものの、くじ引きでフェアに決めたことを覆すなんて私の信条に反する。  そして見回り初日の十八時二十分、私は本を読むために訪れていた図書室に他に人がいないことを確認して退室し、見回りチェックリストに丸をつけた。各教室の名前が連なるこのチェックリストは、東棟、西棟、そして中央棟に分けられている。体育館などの外の設備が記載されていないのは、施錠時間が異なるためだ。練習時間を伸ばしたい部活側と見回り場所を減らしたい生徒会側の要望が合致して、各運動部がきちんと施錠することを条件に外の設備の施錠時間が一時間伸びたのはもう五年も前のことらしい。文化部から文句の声が上がらなかったのかと聞くと、運動部連中が帰り際に校門で屯していて邪魔だったから丁度いい、というのが文化部からの意見だったそう。なかなか辛辣な声ではあるが全員の要望を叶える最適解にはなったので、今も外施設の施錠は二十時だ。    余談が長くなってしまったが、そんなこんなで私は見回りを始めた。東棟、西棟、中央棟と校内をぐるっと回ると、案外人は少なかった。東棟にはほとんど人が居なくて、西棟は自分のクラスで帰り支度をする生徒が何人か、中央棟が一番人が多くて、音楽科や美術科の人が自分の技術を磨いていた。  そして、最後は音楽室。音は聞こえないから、きっと誰もいないだろう。ちゃっと見て早く帰ろう。窓から外を見ればもうとっくに日が傾いて赤く輝いた太陽がまるでルビーのようだ。  あまり効果は無いが防音設備として取り付けられた思い扉に体重をかけて押し開く。 「……え?」  誰もいないと思っていたその部屋は電気がついていて、二台置かれたピアノではなく、乱雑に並べられた座席の一つに人影があった。 「あれ、もうこんな時間? やっべぇ、終わらなかった……」  机に倒していた身を起こして、背後のドアから入った私を振り返る。その顔に見覚えがあった。  鈴崎凛斗(すずさきりと)。私と同じ一年生。音楽科の中でも一際目立つ存在で、その噂は普通科にまで届いていた。「ピアノの天才」と呼ばれる彼は、入学して半年しかたっていないにも関わらず在学中にピアノの全国コンクールで最優秀賞を幾度も取った。学期末の全校集会で彼が何度も表彰されているのを見て、漠然と凄いなと思ったのを覚えている。その彼が、ピアノを弾かずにこの場所で一体何をしているのか。パッと見では寝ているみたいだったけど…… 「あーあ、これどうすっかな……そうだ、普通科さん。勉強教えて?」 「……勉強? いや、ここもう閉めないと」  施錠時間だと言うのにまだここに居座ろうとしている彼に冷たい目を向けると、実はさぁと気だるそうに椅子の背もたれにのしかかりながら話し始めた。 「オレ、これ終わらせないと成績やばくって……君、普通科ってことは勉強できるんでしょ? 頼むよ。施錠はあと一時間くらい待ってもらえるでしょ。外と同じ時間なんだし」  これ、と言いながら手に持ってパタパタと振った冊子は私にもよく見覚えがある英語のワークだった。手に取ってみると、表紙には黄色い付箋が貼ってあり「今週の金曜日までに提出!!」と怒っている顔のイラスト付きで書かれていた。今日は金曜日。つまり、今日中の提出なわけだ。 「……先生ももう帰ってしまうだろうし、意味無いんじゃない?」 「大丈夫! 明日の朝先生が来る時に先生の机に置いておけばいいって言われてるから。でも、あの先生朝来るのすげぇ早いんだよね。明日の朝出すんじゃオレ絶対間に合わない……」  頼むよ、と手を合わせてお願いされると何だか断りづらくなってしまった。顔を顰めながら「先生に聞いてきます」と言うと、「オレも行く!」と言って後ろから着いてきた。 「普通科さん、名前なんて言うの? オレは凛斗だよ」 「……里野美空」 「美空? へー、じゃあEGA(イージーエー)だ」 「……は?」 「あ、職員室ここだよね」  やっぱり芸術を嗜む人間はよくわからない。  普通科の教室が多い西棟を物珍しそうに眺める彼を無視して、生徒会の白井先生のデスクに一番近いドアをノックした。 「生徒会の里野です」 「あら、里野さん。見回り終わった?」 「はい。……けど」 「あ、すいません。オレ音楽科の鈴崎です。あと一時間だけ音楽専攻室使わせてもらえませんか?」 「あら、鈴崎くん? 残念だけど、もう施錠時間だから……」 「鈴崎?」  白井先生の後ろから、眼鏡をかけた女性の先生が顔を覗かせた。たしか、音楽科と美術科の英語の先生だ。 「まさか、まだ課題終わってないの!?」 「あははぁ……」 「お前……すみません、白井先生。必ずあと一時間で施錠させますので、よろしいでしょうか?」 「水上先生も大変ですね。わかりました、あと一時間だけですよ」  頭を抱えた英語の水上先生に、白井先生は同情の眼差しを向ける。 「やった! ありがとうございます!」 「ちゃんとあと一時間で終わらせるんだよ。その時点で終わってる分だけでいいから、私の机に出しておきなさい」 「はーい」  水上先生に元気に返事をして、廊下を駆け出した鈴崎を捕まえる。 「廊下は走らない」 「えー、だって時間が……」 「ちゃんと手伝うから」 「ほんと!? わーい!」  またも無邪気に喜ぶ彼に、溜息をつきながら私も音楽専攻室に向かう。  やっぱり、よくわからない。
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