やっちん先生

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「やっちん先生おはようございます」 「お、おっはようーございます、美智子先生急ぎますんであとで」  俺は自転車で学校まで通勤している。飛ばせば五分の道のりだが、山の上にある学校だから、最後の上り坂である二百メートルが強烈に辛い。もうすぐ校門だ、肛門か?頭に浮かぶそんなくだらんギャグに頬を緩めてしまえば一巻の終わりだ。 「やっちん先生、おはようございます。おういつも偉いですねえこの坂を自転車で一気に駆け上がれるのは、いやあ若いっていいですねえ」 「おはようございます、校長先生、お先に」 「あれ、またですか?いやあ失敬、股ですなはっはっは」  ふざけやがって、校長のこのくだらないジョークが以外に効く。俺は昇降口にちゃりんこをぶっ倒し、トイレに駆け込む。極楽、極楽。 「やっちん先生、やっちん先生、やっちんせんせーい」 「ぎゃあっ、あっ吉岡さん」 「失礼ね、私の顔見てぎゃーはないでしょ。いつまで昼寝しているんですか、それに寝言まで言って。ほんとに、言いつけますよ校長に。教頭先生がお捜しです。グラウンドの用具小屋、裏の椿の木に、毛虫がたくさんたかっているので駆除してくださいって」 「あっわかりました。吉岡さん今日は一段とお美しいですねえ。それでびっくりして大きな声をあげっちゃって、すいません。今度うちの奴にその美貌の秘訣を伝授してやってくださいよ」 「ま、やっちん先生たら、それじゃ」  寝起きに吉岡さんの顔が現れたら誰だって驚く。肩の上にドンと乗っかった頭部、その接続を担っている首が無い。大きな口、べったりと塗りたくった真紅のルージュは頬の中央まで切れ上がっている。鼻は無花果の実を押し付けたようだ。目はわからない、それはアイシャドーと言っては失礼で、歌舞伎の隈取に近く、毎日TPOに合わせて変えているせいか、目そのものの形は確認できない。体型は高級ハムを想像して欲しい。その下半分には釣鐘みたいに裾の広がったカーテンのようなスカートを巻いている。カーテンは地面すれすれまで覆っていて中はベールに包まれている。神秘の世界に無理矢理連れて行かれた新任の教師が過去に何人かいたらしいが、いずれも消えていなくなったそうだ。噂だが彼女に喰われてしまったか、まだカーテンの奥に囚われているという説もあるが定かじゃない。ただカーテンを被されたら絶対に逃げられないというのは間違いなさそうだ。彼女は私の同僚で基本的には同じ仕事をしている。四十二才になるベテランで、その上女性と言う事もあって、彼女は校舎内、俺が外と、自然に役割分担が決まってしまった。  
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