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「じゃあまた来るから」
「いつ?、またっていつ?」
よし乃がきつい口調で問い返した。
「私が忙しいのわかっているだろう。子供みたいなことを言うんじゃない、それにお客様の前でみっともないだろう」
なんでこんなロケーションに出っくわしたのだろう、ついてないぜ全く。視線のやり場に困り、グラスの飲み口に付着した泡を見つめ、それが弾ける音に集中した。
「何曜日の何時何分に来るなんて答えを期待しているんじゃないわ。何月の上旬とか下旬とかその程度も教えてくれないの?」
「世話になってんだろうおばさん。わがまま言うと嫌われちゃうよ」
「黙ってなさいさぶろー、車で待っていなさい」
亀のように頭だけを店に突っ込んでいた若者は老紳士に叱られて大きく舌を出し、ウインクを俺に投げかけてガラス戸を閉めた。挑発が趣味なのか、それとも俺が嫌われたのか、もしかしたら友達が欲しいのかもしれないがそうだったら当分叶いそうにない。
若者と入れ替わりに先輩が入って来た。先輩は俺の会釈を無視して老紳士に深く頭を下げた。彼がシルバーメタリックのジャガーに乗り込み発車するまで姿勢を変えずに見送った。発車間際に運転席から若者が俺に中指を突上げた。
店の中には重苦しい空気が充満して、それぞれが紛らわすためにごまかしの動作で凌いでいる。よし乃はいつまでもそら豆を洗っている。細く開いた蛇口から糸のような水が、よし乃の掌でもまれているすべすべのそら豆の上を滑っていく。先輩は酒を注文するタイミングを計っているが上手くつかめずに首を行ったり来たりさせている。
「あっ、ごめん、やっちん、生もう一杯やろうか?」
「ああ、そうだな、そろそろもらおうか」
よし乃が重い空気を自ら切り裂いてくれた。
「ショウチュウ」
先輩が注文した。先輩の声を初めて聞いた。発音に訛りがある、それは東北地方でも関西でも沖縄のアクセントでもない。何年か前に韓国に旅行に言ったとき、食堂やみやげ物屋のおばさんが商売として必要な単語だけをピックアップして覚えた日本語の発音だ。よし乃のパトロンに深く頭を下げ続けた先輩は一体何者なんだろう。詮索はやめよう、もし嫌われて、どぶ川で見た先輩の洗練されたプロの技で襲われたらそれこそつまんない。まだまだやりたいことはたくさんあるしな、せめて世帯を持って孫の顔をおふくろに拝ませるまでは死にたくない。
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