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「はっきり断わられなくてよかった、また来るよ、先輩また」
先輩は頷いて見送ってくれた。店をでるとき背筋がぞくぞくっとした。耐え抜いた空間から開放されるときにこの寒気がはしる。これでこの店に来ることはないような気がしたが明日になれば忘れていて、藍色の暖簾を右手で掃うのは必至だ。
身体の不調を理由に早退した。吉川先生は信用していなかったが俺がいない方がいいに決まっていて、帰り際に「残念ですねえ」と言ってニカッと笑った。野球部の朝連を覗いたら雄二がピッチングをしていたので安心した。もし休んでいてエバと一緒だったらどうしようか悩んだが、ひとつ肩の荷が下りた感じで楽になった。明日から学校休むらしいと雄二が言っていた通りエバは来ていない。彼女の担任の現代国語を教えている田中先生に出欠を確認したら、「休んでますけど、なにかご存知ですか?」と逆に問いただされたので「別に」と素っ気無く答えてあとにした。
「おふくろ、飯食わせてくれ、飯食ってシャワー浴びたらまた出かけるから」「おまえ、学校行ったの?」
「俺が休んでどうすんだ。子供達の未来を閉ざしてしまうじゃないか」
「お父さんにそう報告しておきます。涙流して喜びますよ」
これだ、まったく口の減らねえばばあだ。
「鰯でいいわね」
俺が山田邸に行くと駐車場にサラマリアさんとジョセフ神父が既に待っていた。こんな重い内容の話題だから先に来てくれていて助かった。待ち時間に心臓が破裂したかもしれない。
「コーフィーショップでも行きましょう。私達の意見をまとめてからエバに会った方がいいでしょう」
ジョセフ神父の先導で駅前の広い喫茶店の奥のテーブルについた。神父はまだ何もサラさんには知らせていないようだ。しかし、彼女もこの会合が朗報でないのは俺達の冴えない表情を見て察しているだろう。ジョセフ神父が口火を切ってくれて助かった。この問題を持ちかけたのは俺の方で、当然この場をリードしなければいけないのだが、話の緩急をわきまえない俺がいきなり無茶を言って彼女を傷つけてはいけないという配慮からだろう。なにもかもお見通しだ。
「サラ、気を落着かせて聞いて欲しい。君にとっても悪い内容です」
そこまで日本語で言ってそのあとはタガログ語で静かに、含めるように説明している。サラさんはある一点を見つめ、頷くこともなく神父の言葉を聞いている。
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