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「彼女にエバを襲った事実だけをあなたから聞いた通り報告しました。これから私達の考えを話しますが、やっちん先生は昨夜の考えに変わりはありませんね?」
強い口調で俺に問いただしたので俺は大きく首を縦に下ろした。ここで曖昧な態度をみせると無責任のレッテルが貼られる、酒の力を借りて表現に行き過ぎはあったが、俺の信念を伝えたのに嘘はない。今度は初めからタガログ語でサラさんに話し始めた。彼女が俺に視線を向けたので俺も見つめ返した。俺が耐えられずに目を逸らせば全てが崩れてしまうだろう。この事件をいち早く、世間に知れずに闇に葬ろうと、自分の立場だけを守るためだけに動いているようにとられてしまうだろう。彼女は視線を俺からジョセフ神父へと移した。彼は彼女の視線に負けぬようにまばたきさえも我慢して静かに語りかけている。昨夜俺に問い掛けた二通りの意見を説明しているのだろう。どっちにしても決定権は母親にある。コーヒーが三つ運ばれてそれぞれの前に置かれた。ウエイトレスが去るのを待って再び神父の語らいが始った。静かに、やさしく、滑るような話術に、意味のさっぱりわからない俺も包み込まれてしまう。サラマリアさんが大きく頷いた。タガログ語で神父に答えてから日本語で「フタリニオネガイシマス」。俺の肩にどしりと圧し掛かる重い言葉だ、神父も職業柄平静を装っているが内心の動揺は俺とさほど変わらないだろう。
「そういうことです。責任を持って対応しましょう。ただ彼女からエバの心中を聞き、エバ自身の思いをそれとなく聞いてみるので、四、五日待って欲しいと言ってます。どうでしょうかやっちん先生、これからでっかい男がふたりで押しかけてエバの前に立ちはだかるよりも、サラマリアさんに、母親に、それとなく私達の考えも伝えてもらった方がいいのではないでしょうか?」
「わかりました。俺もそれが一番いいと思います。ただジョセフ神父、四、五日って長いですよ、ものすごく。なんか俺自身が挫けてしまいそうで、迷いがでなきゃいいと思うんですけど」
「私も、サラマリアさんも先生と同じですよ、でもそれも試練と受け止めていきましょう」
「試練ねえ、いいことなんかあんのかな」
五日後の再会を約束して取り合えず母親の報告待ちとなって散会した。先延ばしと言った方が正解かもしれない。俺も神父も母親すらも嫌なことは後回しにしようと、タイムリミットまで忘れてしまおうとしているのではないだろうか。約束した期日がきても、今とそれほど進展していなくて、エバだけが苦しみ、そしてなにもかもが手遅れになるような気がしてならない。ジョセフ神父はサラマリアさんが崩れ落ちないようにしっかりと肩を抱き、射ぬかれてしまうぐらい厳しい陽射しの中に消えた。いつまでも見送ってやりたいが目の玉が焼けそうで諦めた。うちに帰って一眠りしようと自転車に跨ると、ジーパン屋のかま店が俺を見つけて手を振っている。俺がとぼけているのを、気付かないでいると勘違いして「イエーイ」と声まであげて手を振っている、それも両手で。通りすがる学生や買い物の主婦らが俺とかま店をにやにやしながら交互に見比べている。
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