やっちん先生

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「やっちん先生、お願いします」  サッカーボールが俺の前に転がってきた。俺はかっこよくゴールまで蹴ってやろうと思い、助走をつけておもいきり爪先で蹴っ飛ばしたが大きくカーブして土手を転げ落ちた。 「ダーッシュ」  俺のごまかしに二枚目のサッカー部員は肩を落として言った 「先生勘弁してくださいよ、暑いんすから」  藪を抜けて中川先生がやって来た。 「すごいですねえ、周りが住宅地とは思えませんねえ、まるでジャングル、これじゃあ蝮がいても不思議はないですね。でも本当に大きな山ですねえ、学校の敷地とはびっくりですよ」  さっきまで野球部の厳しい監督だったとは想像もつかないほど中川先生は童心に返っていた。 「もっと下草をまめに刈ったり、木の小枝を落としたりすればいい散歩道になりますよ」 「学校で予算割り振って着工すればいいのになあ、生徒達の課外授業なんかにも使えるし、近所の憩いの場にもなるだろうにねえ」 「そうなったらこういう遊びはできませんよ、俺が毛虫や蝮がいるから山に入らないように指導していますからねえ、へっへ、それに雉や狸なんかもいなくなっちゃいますしね、愉しみなくなる、それより中川先生始めますか、俺も五時頃には帰りたいんですよ」 「あ、あれですか的は?」 「どうです、いい感じでしょう、けやきの根っこです。こことあの赤松の前からも狙えます。あの面は俺が去年細工したものです、いいですか見本見せますから」  俺は斧の皮カバーを外し、十二メートル離れたバームクーヘンのような的に投擲した。斧は三回転して切り口に喰い込んだ。根に喰いこむ感触がフォロースローした腕に伝わってくる。中川先生が的に走りより眼を輝かせて喰い込んだ斧先を直視している。 「先生抜いてきてください」  彼は簡単に抜けると思ったのか小手先で引っ張ったが諦めて、根っこに足をかけ両手でぐらぐら押し引きしながら抜いた。
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