Ⅴ.銀の糸

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Ⅴ.銀の糸

 白い睫毛がか細く震え、目を覚ました(あるじ)。その顔を年老いた(レギオン)が撫でた。  差し込む光の角度が、神殿の主に普段より遅い起床だったと知らせる。昨晩の『まぐわい』のせいだろうか、いや、身体に怠さが付き纏うのはいつもの事の筈で、だからこそいつもと変わらない笑みを浮かべる。 『おはよう……ございます。レギオン』 『ああ。おはよう』  レギオンは有無を言わさず裸の痩躯を横抱きにして、裏の水浴び場に座らせる。わ、と小さく声が上がったがそのまま(あるじ)の身体を冷水でつま先から丁寧に昨晩の痕跡を流すように肌を擦り洗う。  その鋭さを増したレギオンの横顔に、上から差し込む光が作る影がどこか彼を黒い狼のように思わせる。無論、その身体は人の姿形をしているのに、だ。 『かっこいい』 『あ?』  レギオンが(あるじ)の太腿やそのつけ根まで水をかけて洗っても、彼はその身を任せきりだ。自分の身の回りのことを他人に世話されることに抵抗がない。 『強そうですよ、レギオン』  年老いた姿のレギオンに、(あるじ)は淡く笑みを浮かべる。 『…何だそれ。腰、あげろ』  背中から尻、普通なら赤子ぐらいしか他人に任せないであろう股下を清められる事すら何の抵抗がない。  途中までとはいえ一度抱いたぐらいでは(あるじ)と己の間に在り来りな羞恥も芽生えなければ、溝ができることも無かった。ある意味救いでもあり、酷でもある。 『でももう、駄目』 レギオンは一瞬心臓が鷲掴みにされたかと思った。とうとう拒まれた。その動揺を押し殺して、身体を清める手を動かし続ける。 『(おれ)の血に触っては駄目』  続いた(あるじ)の言葉にレギオンの強張った喉の奥が緩んだ。彼は、(レギオン)が自分の血に触れて呪いの障りに苦しむことを嫌う。それもいつもと変わらない事だ。  ただでさえ常人の十倍の速さで老いていく身体は、この先死ぬまで衰える一方だ。 『でも、アンタ何もできないだろ。だから……一度死んでおく』 レギオンが常人と違うのは、死ねば肉体は再び赤子になって蘇るということだ。裏を返せば、自分で見切りをつけてしまえば、弱いとはいえ若い肉体からやり直せる。  しかしレギオンの言葉に、(あるじ)は濡れた髪をバッと振り回して首をひねり、紫水晶が険しい表情を浮かべた。 『レギオン』  親子ほどに歳の離れてしまった(レギオン)を見上げる(あるじ)の身体を水で清め、布で拭う。 『死ねば、子供の体に戻る』 『――でも……』  男は(あるじ)の身体に腕を回して抱きしめた。 『アンタ、くれた呪い』 『違うレギオン……そんな風に…言ってはいけません』  身体に回された腕を緩やかに抱きしめて、胸に白銀の頭をよせる。 『アンタと会えた。アンタと生きていける』  自分が生まれて、そのままなら死んでいただろう次代。貧民街の親無し子がろくな生き方をできないことなんて、(あるじ)が知る必要はない。こうなった男から金や物への執着は消えて、かといって明日の朝日が見れるかわからない不安もない。  有るのは(あるじ)を手に入れられない、卑しい不満ぐらいだ。
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