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 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし。  現代語に訳すと、「世の中に桜というものが全くなかったなら、春を過ごす人の心はどんなにのどかであることでしょう」。  要するに、人は皆春になると桜の咲いたり散ったりする姿に心奪われ、ソワソワしてしまう。それほど桜というものが魅力的であるということを詠んだ歌らしいが、私は真逆の意味でこの歌に共感した。  桜なんてものがなければこの名を付けられることも、苦しむこともなかった。桜なんてこの世になければよかったのに。桜なんて、大嫌いだ。  そんな悲惨な学生時代を経、私はこの春から新天地で暮らす。それで何かが変わるわけもないだろうが、この先も実家でウメや両親とともに暮らすことだけは考えられなかった。  家から徒歩15分。キャンパスに到着すると、いきなり桜の木に出迎えられた。正門からずらりと並ぶその姿に、そういえばここにもあったなとげんなりする。なんで学校というやつはこうも桜を生やしたがるのか。  お目当ての文学部棟を目指して歩くが、思いの外敷地が広くて場所が分かりにくい。一度地図を確認しようと大学図書館前のベンチに座る。 「君、一年生?」  突然、ケータイを覗き込む私の頭上から低い声が降ってきた。驚いて仰け反ると、こんな田舎の大学には不似合いなほどのお洒落男子が立っている。日に透けた明るい茶髪に、中学生かと見紛うほどあどけない顔。まさかとは思うけど大学生だろうか。 「俺も今度ここに入学するんだ。今日はちょっと下見をと思って。君も?」  男は当たり前のように隣に腰を下ろす。なんだ、この馴れ馴れしい奴は。
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