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この時ほど、自分がオメガであることを呪ったことはない。
「無理やり抱かれた……って……」
絞り出した声は掠れて震えた。湊は形の良いぷっくりとした唇を舐めて湿らせた。そうしてどうにか言葉を繋ぐ。
「俺のせい……か……?」
「えっ」
抱えた膝に額をつけていた颯太が湊の言葉にパッと顔を上げた。驚いた顔で湊に向き合う。思わず、湊は視線を波打ち際に逃がした。
「え、なんで湊くんのせいになるん?」
「やって……豊が無理やりお前のこと抱いたん俺のフェロモンのせいやろ……?」
湊はアルファではないので、オメガのフェロモンで興奮状態に陥ったアルファの精神状態を実感としては知らない。それでも間近に見たことはある。襲われかけたことも。
あの状態の豊が颯太のことを無理やり抱いた。
脳裏に嫌な想像が湧き起こる。溶けた鉄を流し込まれたかのように胃が焼け付いた。颯太の肩を抱く手に無意識に力がこもる。豊のせいではない、自分のせいだと分かっていて、自分の中の理不尽な怒りが豊に向かうのを止められない。
「ちゃう……ちゃうねん」
なぜか焦った様子で颯太が首を左右に振る。日が落ちて薄暗くなってきたせいで少し表情が分かりづらい。
「豊が無理やり俺のこと抱いたんやなくって、俺が無理やり豊に抱かれてん……っ」
「は……?」
「豊は嫌やって言うてた。自分が何するか分からんから今は近寄んなって……やけど俺が……」
「興奮状態のアルファに……自分から近づいたんか……?」
湊が問うと、颯太が気まずげに頷いた。
「なんでそんな……」
興奮状態のアルファが襲うのは、もっぱらオメガだ。発情期のオメガのフェロモンで興奮状態に陥るのだから当然そうなる。それでも、ベータが襲われた事例を聞かないわけではない。
どうしてそんな不用意なことをしたのかと、湊はいぶかる視線を颯太に投げた。
「……バカなことしたんは分かっとる。やけど一回だけでも豊に抱かれてみたかって……」
颯太の声が濡れた涙声になる。ずっと膝の上で大人しくしていたマックが「くぅん……」と心配そうに鳴いた。湊は無意識に右手でマックを撫でていた。マックを安心させようと思ったからではない。柔らかく温かな愛犬に触れて少しでも落ち着きを取り戻したかったからだ。
「抱かれてみたかった……って……」
聞かずとも、その理由は分かった。同時に、聞かないほうがいいことも分かっていた。傷つくだけだと。
それでも聞かずにはいられなかった。そして湊の想像どおりの答えが颯太から返ってきた。
「豊のこと……ずっと好きやったから」
と。
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