オメガの恋

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 中学最後の公式試合には出られなかった。発情期が重なったからだ。  歯痒さも悔しさも怒りも、もうこの頃には麻痺していた。オメガという性別が、容赦なく湊から色んなものを奪っていったからだ。低く垂れこめた雪雲のような諦めと無力さがいつも湊の上を覆っていた。 「悔しい」  と、泣きながら言ったのは颯太だ。まだ小学生で、湊より背が低く肩幅も華奢だった。オメガのことは学校で習っていた筈だが、あまり理解は出来ていなさそうだった。湊の試合を応援に行こうと、豊と無邪気に約束していたらしい。 「湊くんがサッカーしとるとこ、もっと見たかった」  と。いつもふわふわと上がっている口角を、言葉どおり悔しそうに引き結んで颯太は泣いた。  颯太やなかったら気に障ったやろな……と、思い出す度に湊は思う。なんも知らんくせに勝手なこと言うな、と。  颯太だったから、自分のことで泣いてくれたのが嬉しかった。  颯太だったから、自分のことで泣かせてしまったのが悔しかった。  ……颯太だったから、強くなりたいと思った。オメガ性の宿命に負けないぐらいに。  小さく華奢だった聡太は気づけば自分よりも大きくなっていた。同世代の平均よりはやや小さいと思うが、オメガの湊と比べると背も高く肩幅もある。肩を回して抱き寄せたくても、湊の方がもたれかかる形になってしまうぐらいに。  それでも、自分より大きくなったいまでも、湊はやはり颯太のことが可愛くてしょうがない。夕日に照り映える海を見ながら肩を抱いて待っていると、やがて颯太が波音に負けそうなぐらい小さな声で口を開いた。 「豊に……嫌われてもぉた」 「豊に嫌われた?」  信じられなかった。豊が颯太を嫌うなど、ほとんどあり得ないことのように湊には思えた。  肩を抱いてもたれかかっていた颯太の体から少し身を離し、湊はその横顔を見つめる。颯太は湊の視線から逃げるように顔を俯けてしまった。 「それは……ないやろ」 「なんでそう言い切れるん?」 「やって、お前らめちゃくちゃ仲良いやん。それに豊は颯太のことずっと大事にしとるし……」  豊がどれだけ颯太のことを好きかは、幼馴染としてそばで見てきたから知っている。その好意が、以前の湊のように恋心を内包したものなのか、あくまで兄弟のように育った幼馴染に対するものなのかは分からない。それでも、豊にとって颯太が特別で大事だというのはよく分かる。初恋を諦めた今でも変わらず、湊にとって颯太が特別で大事なように。 「颯太にやったら、何されても豊は許すやろ」  仲が良い分だけ小さな諍いはたまにあるが、いつもこちらが気づいた頃には仲直りをして二人ともケロッとしている。颯太に何をされたところで豊が心の底から颯太を嫌うことなどないと思うし、そもそも豊に嫌われるようなことを颯太がするとも思えない。 「……それだけ嫌やったんやと思う」 「なにが?」  湊にしてみれば至極当たり前の問いだった。けれど颯太はぐっと口をつぐんだ。伸ばしていた脚を曲げ、三角に立てた膝に額をつけてしまう。自分の殻に閉じこもって身を守ろうとするかのように。 「颯太?」 「言いたくない。……言うたら、湊くんにもケーベツされる」 「……せぇへんよ」  そうこたえる時、湊の胸がキュッと痛んだ。颯太は知らない。軽蔑できたら、いっそ嫌いになれたら楽なのに……と湊が幾度思ったのかを。 「……ほんま?」 「ほんまやって」 「ほんまにほんま?」 「ほんまにほんま」  ひつこいで、と湊は笑って言った。颯太の気持ちを軽くするように。 「んん……」  と、颯太はそれでも躊躇う素振りを見せた。やがてゆっくりと口を開く。 「こないだの……湊くんの、発情期の時……」 「うん」 「マンションでうっかり豊に()うちゃったんやろ?」 「ああ……うん、あったな」  幼馴染として気心の知れた仲だが、豊がアルファとして覚醒してからは発情期が近づくと距離を置くようにしている。それがお互いのためだからだ。けれど前回の発情期は湊の想定よりもだいぶ早くに来た。それで巧と貴教に付き添ってもらって帰宅していた途中で、うっかり鉢合わせてしまったのだ。  湊はあまりちゃんと覚えていないが、巧の話によれば豊はまともにフェロモンを嗅いでしまったそうだ。巧は「まぁしんどそうやったな」とだけ言っていた。巧の口調はさらりとしたものだったが、いつも飄々としていて口数の少ない巧が言うからにはよっぽどだったのだろうと思っている。  豊には申し訳ないことをした。そう言えばその件をちゃんと謝れていなかったな、と気がかりを思い出したところで颯太が続きを口にした。相変わらず、波音にかき消されそうなほど小さい声で。 「あの時に……無理やり豊に抱かれてん……」  波音が、止まったような気がした。
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