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この曲がり角、この空の明るさ、この空気のにおい、この遠くの雑踏。全部私は覚えている。わかってる、気が付いている。どんな規則正しい都会の日常も毎日同じ繰り返しが起きているのではなくて本当は少しずつ変化を持っているはず。だからこれは同じ一日を繰り返しているんだって。
ゆっくり道を曲がる。
これも何百回繰り返しているけど、0.1秒でも変えてみようとしても変わっていないみたい。ほら、2メートル進まないうちに声を掛けられる。
「おはよう!」
今日、彼女は死ぬ。
そろそろ朝はコートだとかマフラーだとか必要になってきている季節で、最近寒くなったよねって笑っている彼女の鼻の頭がちょっとだけ赤い。胸当てのないセーラー服とかなんの意味があるんだよ、と首元を締めて困り顔をしている。マフラー付けな、コートなしでもあの交差点までならばれないって。そんな中身のない話をしているうちに私たちの友達が何人か合流して、学校に着くころにはちょっと大所帯になる。
校舎に入ればそれぞれのクラスにみんな散っていって結局私と彼女だけになった。カバンを置いたらロッカーから教科書を取り出して、私が習字道具を彼女が油絵の道具を取り出す。同じだ。24時間と0秒0前、同じことをした。次は道具をそれぞれの選択授業の教室に置きに行って、そのあと合流したら彼女が職員室に行くから廊下で待つ。動き方も話す内容も体が自然とやってくれる。
「ね、その道具置く前に一緒に美術室来て」
やってくれる、はずだった。
こんな言葉を掛けられたことはない。だって選択授業がある日は途中まで一緒に行って道具を置くのはバラバラだ。美術室に入ったのなんて内部進学試験の直前にこっそり自習をしていた時が最後。私はびっくりしてただ彼女を見つめ返すことしかできなかった。
「大丈夫、先生来ないよ」
新しい言葉はそれくらいで美術室に向かっている以外は全部24時間前にしゃべった内容をまたしゃべっていたし、声をかけてきた先生や生徒も同じだった。彼女の提案はなかったんじゃないかと思い直しそうになるくらい。
だけど美術室の前に来てカギを目の前で開けているのを見るうちに、実感してきた。何百回の繰り返しが突然崩れてしまったんだ。
「入って。あと、ドアちゃんと締めてね」
たくさんのイーゼルとカンバスの中から彼女は赤い人形の絵が描かれたものの前に行って、道具を置いた。
「何回目?」
「なんで」
「あたしが死ぬの、何回目?」
「昨日で364回」
「じゃあさ、今日が最後。ラストチャンス」
彼女も気が付き始めていた…ことに私は気が付いていなかった。もしかしたらわかっていて繰り返し死んでいたのかもしれない。もし、もしそうだとしたら……
「気づいたのはちょっと前。気にすることじゃないよ。でもずっとなんでかなって思ってた」
癖のある長い髪をかき上げてこっちを見る彼女にはよく見るとあちこち不自然な傷があった。はっとした。彼女が死ぬことはこんなにわかっていたのに、なんで死んだのかずっとわからなかった。何がトリガーなのか、考えようともしなかった。
「ようやく気付いたの。だからあんたが諦めるか、わたしが諦めるかのラストチャンスってこと」
「ねえ、それ…」
「3年半と364日同じ道通ってきても見えてないものがお互いにあったってだけ。本当に、それだけ」
きっとどっちかが諦めたら、あるいは諦めさせるのと同等のことをすれば動き出す。私は彼女が死ぬ前の日常のままでいたかった。何も知らなかったから。彼女が生徒や先生からいじめられた痕跡はなかったし、私たちは彼女のこと大好きだったし。だけどよく考えたら放課後家に帰りたがらないことも、こっそりバイトしていることも、夏服を頑なに長袖にしているのも、首元を安全ピンで狭くしているのも、そういうものだって見逃していただけだった。今すぐ「助けられもしないのに、エゴのために繰り返させないで」って、詰ってくれてもよかったくらいだ。
「行こ、ホームルーム始まっちゃうよ」
気まずそうに眼をそらしながら言う彼女の腕をつかんだ。
「待って」
「なに、もう15分になるって」
「私のエゴで振り回した分、とことん振り回す」
「はあ?」
もしかしたらさ、これ何やっても夢だったりしない?夢ってことでよくない?
ロッカーまで戻って二人分のカバンを背負った。混乱している彼女の腕を引っ張って駆けだす。事務員さんの静止も聞かずに私たちは校舎を飛び出した。
「あたしの皆勤賞どうしてくれんの」
「最後の日で最後のチャンスにそんなものいらなくない?年度末にしかもらえないんだよ」
「そ…れはそうだけどさあ!」
何やっても夢で終わってしまうなら何やっても本当は届かないはずのことをしてもいい。彼女が切り出してくれたおかげでもう繰り返しが途切れている。何でもできる。
「海行こうよ。そういえば二人で遊んだことなかったかも」
それから学校から数駅しか離れていないけど少しは離れている場所でたくさん遊んだ。靴と靴下放り投げて海辺でご飯を食べた。彼女は笑いながら泣いていた。
すっかり陽が傾いた。
「どうだった。サボり楽しめた?」
なるべくしょうもない感じで尋ねてみる。
「うん、けど…」
帰らなきゃいけないと思ってか、明らかに彼女の表情は曇った。なんだか朝まで朗らかで脳直な女子高生の会話をしていた子とは違うみたいだ。
「私、死んでもいいよ」
そっと横をうかがいながら切り出してみる。
「選択肢の一つ。あとは…そうだ。山にも行けるよ。私けっこう力自慢だし」
面食らって停止していた彼女は、ようやく理解したようにゲラゲラ笑いだした。笑いすぎてあふれた涙をぬぐって頷く。
「夢かもしれないんだもんね」
立ち上がって制服の砂を払うと立ちな、と手を差し出してくれた。
「ありがとう」
陽が沈み切る直前、私たちはようやく歩き出した。
きっとこの世界に久しぶりに明日が来る。
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