一 雲雀鳴く

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一 雲雀鳴く

  利秋の鍬取る腕は冴へたるものでありました。   未明に宅を起き出しましては畠を打ち、背から汗が迸りまして、   毎つも着衣を絞って居ました。                   (妻桐野久子の談話)              一  田を打つ。鍬が黒い土を掘り起こすたびに、大地が匂い立つ。  空の高いところで、雲雀が鳴いた。  三月も半ばを過ぎ、男の背には穏やかな春の日が降り注ぐ。額から、首筋から、汗が滴り落ちる。  鶏鳴が暁を告げると共に、鹿児島城近くの自邸から馬を駆り、五里(二十キロ)ほど北にある吉田郷へ着いたかれは、すぐに鍬を手に畑に出た。そろそろ三時間が経つ。  桐野利秋、旧名中村半次郎は、つい五ヶ月前、明治六年十一月に東京から鹿児島へ戻ってきたところだ。郷里に戻って間もなくこの地を買い入れ、開墾に精を出している。  三十七歳である。  さすがに腹が減ってきた。桐野は耕す手を止め、少し離れてやはり鍬をふるっていた家僕に声を掛ける。 「太郎」 「はいッ」  太郎は気合いのこもった声で返事をし、汗に濡れた顔を袖でぐいと拭って桐野を見た。 「メシにしようかい」  そう言うと、太郎は顔を綻ばせ、また「はいッ」と言った。  数えで十八歳になる家僕は、元の名を幸吉といった。七年前、桐野が京にあった戊辰の戦のさなか、傷を負って倒れていたところを、拾って育てた子供である。親も戦の巻き添えで亡くなっていて、天涯孤独の身の上だそうだ。他に二郎という名の僕を桐野は使っていて、いつしか幸吉のことは太郎太郎と呼ぶようになった。  中村半次郎と名のっていた桐野は、明治になってから先祖伝来の「桐野」姓に復したが、その際、長く使ってきた「中村」姓を太郎に与えた。かれは桐野に最も忠実で、信頼出来る僕だった。  背も伸び、逞しい青年に育ったとはいえ、京育ちの太郎は農作業には慣れていない。京や東京で、桐野の身の回りの世話をする生活の方が向いていただろう。慣れぬ鋤鍬を握った太郎は、いくつもマメをつぶし、腰や背の痛みにも苦しんだ。それでも桐野の役に立とうと懸命だ。 開墾の戦力だけをいえば他に適任もいなくはないが、今は多少事情もあり、よほど信頼出来る者しかここへ連れてくることは出来ない。  忠実な僕の肩を、桐野はねぎらいの意をこめてポンと叩いた。
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