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自分の兄、アトルシャン・ミックスにこんなことを言うのも何だが、何を考えているのか分からない。
初対面では、恐らく中性的な顔で男か女かよく分からないであろう。そんなのが、神経質そうな顔をしていると思えば、突然ニコニコしている。
まさに雲を掴むような兄が、急に結婚などと、人間的感情に目覚めるものだろうか?
偏屈になったのは、仕事の所為かもしれない。
アタシ達、兄妹はある組織に所属している。世界の主要国を裏から支えている魔法協会――正式名、ミステリウス錬金学魔法士協会――というものだ。
創設したのは、アタシのご先祖。
そして、今の会長は祖父だ。
この協会は錬金学と魔法学の発展と技術共有を目的として設立されたのだけれど……最新の錬金学や魔法学は、容易に戦争の道具となり得る。
なにせその昔、アタシより数世代前に、それを用いた『錬金生物』を造り出し、各国はヒドい戦争をした。
最終的にキメラは、最新の錬金学をもちい弾丸を弾く皮膚に、魔法まで使い、敵味方見境なく暴れ回ったという。
各国は戦争をしている場合では無い……数年にわたる全面戦争は、そこで休戦となった。
自分達が作りだした、キメラというバケモノのおかげで――
その反省から、錬金生物拡散防止協定。通称、『キメラ協定』と言うものを結んだ。内容は、戦地でのキメラの使用を禁止、所有を制限する条約。
それだけでは不十分だ。
これをちゃんと護られているか監視する組織が必要になる。しかし、一からそんな組織を創り出すのは困難だ。面倒に思ったのか、すでにネットワークを構築しはじめていたうちの魔法協会に目を付けた。
各国は、
「戦争の種を公平な第三者が管理する」
そういう名目で、軍事協定などを監視する役割も付属され、任務をアタシ達の魔法協会に丸投げしたそうだ。
しかし、いくら監視しようと、ずる賢い人間はいるもの。
アタシの家系は代々そんな悪い人間を逮捕する役割を担っていた。
キメラ協定違反の捜査権を持つ人間を、正式名称はないのだけれど、通称『監視官』と呼ばれていた。兄のアトは、任務の遂行率がトップクラスの人材。だけれど、それは兄が人の感情を持ち合わせていない。それは言い過ぎかもしれないが……ともかく、兄という人間は感情に流されないからだろう。
任務遂行のためなら何でもする。アタシだって、緊急時には法をねじ曲げて解釈する場合もあった。
それがあたしの兄、アトルシャン・デイヴィッド=クロケット・ミックス。たとえ人の命を奪おうと、法をねじ曲げても――
――それはいいすぎかな?
監視官らには――アタシは年齢のために、見習いなのだが――錬金生物協定監視法。通称、『対キメラ法』の元で活動している。
その一文の補足事項に、
『非常事態においてはいかなる規則を曲げることも許される』
拡大解釈かもしれないが、それをまかり通さなければ、出来ないほど過酷な任務も存在した。
正義の味方……アタシはそんな風に思っていたけど、そんな甘くはなかった。
この仕事をしていて自分が所属する協会が、絶対正義というわけではないことに気が付いたからだ。
全体はいいかもしれないが、アタシ達の活動の裏では何人もの人が泣かされているし、人知れず命を絶たれることもあった。
それを思うと、いても立ってもいられなかった。
――正義の味方であり続けたい。
小さな命でも助けたい。そう思い協会からの指示に、抵抗はした……だけど、まだアタシには知恵も権力もない。巨大になった協会の力には遠く及ばなかったのだ。
いろいろやってみたが、アタシはまだ浅はかな少女でしかなかったことを思い知らされる。それに、協会の本当の目的を知ったときには、混乱した。
最初は、吐き気と怒り。だが、冷静に考えて見れば、
――絶対的な正義はあり得ない。
すべてを助けることは不可能だ。
そして、会長の親族ということもあってだろう。協会への抵抗の結果は、謹慎という形で、生まれ故郷ミステリウスに閉じ込められている身だ。でも、いつかそんなことが無い世の中にしたいと思っている。
そんな燻っていたアタシのところに届いたのは、先程の兄が結婚するというのだ。
実を言うと兄とは、子供の頃ぐらいしかまともに暮らしていなかった。
うちは特殊な家系だと思う。
錬金学や魔法学の知識と技能を叩き込まれると、一八歳ぐらいには世界各地を周り、任務に就く事になっていた。
そして、監視官としての仕事をある程度終えれば、協会幹部へと続く道を行くこととなっていた。
もちろん、旅先で会うこともある。だけど、優秀な兄と比べられることがあり、アタシは苦手だった。
――一緒にやる任務も、この兄も……。
そして、アタシの姉になる人物は、何度か会ったことがあった。
兄の補佐役だという。しかし、兄のような人は単独行動を好んで、助手や補佐などは必要としない。そう思っていた。
その義姉になる人の名前は、レディ・レックスという。
その時の第一印象はキレイな人だと思った。
よく言えば潤んだ悪く言えば眠たげな、宝石のように透き通った琥珀色の瞳。チョコレート色の肌に、少し灰色かかった短めの黒髪。どこか神秘的であり、この世のものとはお思えない感じのする人だった。
――誰だってそんな感想を抱くんじゃないのかな?
ただ、少々ぶっきらぼうであり、愛想笑いもしてくれない人だったことは覚えている。
――ひょっとして一目惚れ?
確かにアタシの目から見ても、レディさんはキレイだと思う。だが、彼女の容姿は見かけ上だけの話。レディさんは、何というのか……肉弾姉さんだった。
それは明らかに幼い頃から、暗殺業やら様々な戦闘技術を叩き込まれている戦い方だ。
振りかざす武器は確実に急所を狙い、肉体はゴムのように跳ねる。数人の野盗などは、表情を変えず……いや、むしろ、レディさんは絶対、楽しんでいるだろう。
暴力を――
――兄もそんなところがある。
閲覧が許された限りの報告書では、ふたりの任務は万事上手く遂行しているようだ。
あのふたりの戦闘スタイルでは、彼女が物理的に、兄が魔法で任務の障害を排除する……排除と、言っているが実際は一方的な暴力だろう。もちろん、キメラ協定を守るために作られた対キメラ法の範疇でのことだ。そのはず……で、なければ人を傷つけ、殺めることは犯罪だ。
だからといって、どれだけの犠牲が出ているか解らない。
――求めるものが一致したと言うことか?
協会の名を借りて、協会の任務の範疇で、暴力をふたりは楽しんでいる。だとしたら、アタシの嫌いなことだ。それでアタシは協会と揉めて、今は謹慎の身だ。
真意は本人達にしか解らない。
――結婚式にそんなことを考えるべきではないのかな?
祝うべきなのだろう。兄が結婚を決めたということだし、相手にも失礼だ。
気になることは確かだ。
でも、気になる。
気になる……
気になる…………
――ああ……気になって兄の結婚式なんて、まともに出席できない!
大体、あの兄の求婚に、よくもレディさんは承諾したものだ。
兄に直接聞いてしまおうか……だけど、ウチの宗教上、結婚式間近の新郎には女性は近づけない、何て決まりがある。そのために兄は半ば監禁状態だ。魔法でチョチョッと――転送魔法で――部屋に入ってしまえばいいが、絶対にバレる。
アタシも謹慎中で、これ以上もめ事を起こすのは避けたい。
反対に新婦は男を近づけていないので、アタシが行っても問題にはならないだろう。
それに、義姉になる人の事をもっと知らなければ!
曲がりなりにも家族になるのだから――
※※※
新婦の控え室にやってきたアタシが、顔を出したことにレディさんは、
「――何か用……」
と、式を前にして緊張しているのかと思ったが、そのハスキーボイスは落ち着いている。それよりも、めでたい日だというのに、すこし不機嫌そうな顔をしていた。
「――おめでとうございます。結婚」
「はあぁ……朝からそればかりだ」
アタシは形式的に挨拶をしたが、レディさんは大きくため息をついた。
どうやら朝から挨拶ばかりされていて、疲れているのであろう。
そして、着ている純白のスカートを少し持ち上げた。
「それにこんなチャラチャラした服は、ボクは嫌いだ」
「花嫁なんですから、そういうのを着ないと……」
その場所には、その場所に相応しい服装がある。
アタシだって、裾を引きずるような長いスカートは嫌いだ。
そういえば、前にあったときは素朴というか、ピッチリとした堅いなめし革の服を着ていた。動きやすくするために、軽金属製の鎧も最小限。戦闘スタイルが肉弾戦なのだから、そちらの方が気に入っているのだろう。だからといって、それで結婚式に出るのはどうかと思う。
「ボクの任務だとはいっても、これは……」
と、レディさんは部屋にある大きな姿見で、自分の姿を観察している。
今は首元までの純白のウエディングドレス姿――まあドレスの下に、どれだけの怪我の痕を隠しているかは計り知れない。長手袋の下の腕だって、どんな傷があるか。
この姿にテーブルに置かれたティアラ――ウチの家宝――を頭に、ベールを顔にかけ、ネックレス――これもウチの家宝――も首に飾る。
やはり、この人はキレイだ。元々の素材がいいのだ。
それに結婚の話になり、レディさんの身分を改めて聞いて、最初に思ったのは戦略結婚だ。
エオス公国の公爵――女性の国家元首――の双子の妹と聞いた。
公国は複雑な国際情勢で、巧みに生き抜いている小国。海上貿易が活発なマリネリス海の入り口に、蓋する形に存在している島国だ。そのために大国が、何度も手中に収めようとした。だが、その度にはねのけ、独立を保ち続けている。
肉弾姉さんでなければ、もらい手はいくらでもいそうだ。素材がいいのだから……では、なんであんな兄のプロポーズを受けたんだろうか?
「で、ボクに何か用なの?」
レディさんは、ぶっきらぼうに呟いた。
「えっ、ああ……」
「みんな、ボクに挨拶したらすぐにいってしまう。なのに、君はずっといるけど……」
「えっと、こういうときに、聞くのは何なんだけど……」
どうしたんだろう、アタシ……ちゃんと「どうして兄と結婚することを決めたのか?」それを聞くためにここに来たのだ。
それとアタシの疑念も解決しなければ。
「――どうせボクが結婚する理由を聞きに来たんだろ?」
アタシが口ごもっていると、心の中を見透かされたように彼女は口にした。
「でも君には、どうすることも出来ない」
「えっ何を?」
「歯車はずっと動いている。止まることのない。ボクにも――」
レディさんは、妙なことをいうと思った。
――やっぱり、戦略結婚か?
今回の結婚は公国の戦略のひとつ。アタシ達の魔法協会に接近し、基盤を強くしよう。公爵の双子の妹を、のちには魔法協会の会長になりかねない兄に嫁がせるという魂胆だ。
アタシはそう企んでいると、その時は感じた。
レディさんは窓際の椅子に座ると、空を見上げた。
「青空がキレイだと言うことは、聞かされていた。ボクの故郷は特にだ。ここの青空は……ちょっと違うか」
急に何を言い出すのかと、思えばレディさんは天気の話をしはじめた。
昔はどうだったかは知らないが、このミステリウスの街の天候は、よく晴れていても薄い白いモヤがかかったような天気だ。このところは、風向きによっては郊外の工場からの蒸気機関が出す、石炭の煙で覆い尽くされていることもある。
お世辞にもキレイとは呼べない。それは世界を支えるための代償だという。
「青空を……世界がキレイだと言うことを、ボクに教えてくれたのはアトだ」
同じ空を見上げながら、そんなことは無いだろう……とアタシは言いかけた。
公爵の妹だろうと、外交などには出席しているはずだ。当然、あちらこちら回っているはず。この街なんかよりもキレイな青空や風景なんかは、世界にはいくらでもある。アタシは見て回ったから言える。なのに目の前の人は、まるで青空をあまり知らない言い方をした。
ふと、アタシのほうにレディさんの目線が、向けられていたことを気が付いた。
宝石のように透き通った琥珀色の瞳――そういえば、アタシの回った世界で、そんな瞳を持つ人はいなかった。もちろん、レディさんの故郷、エオス公国にも……いや、ひとつ例外がある。
「――ボクには名前が無かった」
レディさんは呟く。そして、アタシに対面する席に座るように促した。
――しかし、名前が無かったなんでどういうこと?
促されるまま、アタシは座ると、
「君は知っているだろ? この瞳のことを?」
「もしかして、ガラス玉……ですか?」
レディさんはうなずいた。
そうだ。自分達が躍起になって取り締まっている錬金生物には、貢献すべきところがある。兵器としてではなく、医療として。腕や脚をなくした人には錬金学をもちいた機械的な義肢を……それ以上を求めるのであれば、キメラ技術を応用して、生態的に復元が可能になった。彼女の琥珀色の瞳は、魔法協会の研究室で見たことがあった。
――確か盲目の人のために作られた人工の目。
「もちろん、姉と同じで私にもちゃんと目はあったさ。だけど、任務で失敗した……」
「任務?」
彼女は公爵の妹だ。外交の場に立つことだってあるだろうが、任務という言い方には引っかかった。それに「ボクには名前が無かった」というのにも。
「あまり、ボクはお喋りが好きではないのだが……あいつの妹だろ? 少しはボク達の関係を話しておくべきかな?」
そうレディさんは、これまでのことを語りはじめた。
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