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「フルティカル……キミも、オルフィル王国とルナ王国の国境での事件は知っているだろ?」
レディ・レックスさんが口にした『事件』という言葉に、アタシ、フルティカルは腹が立った。だけど、この人の責任ではない。それは解っているが――
「事件? あれがですか!?」
「そう事件だ。本人達がそういっているんだ」
彼女は、ぶっきらぼうで、まるで他人事のようにいう。
アタシは、記憶を辿ってみる。
たしか、オルフィル王国とルナ王国は、マリネリス海の北側に位置し東西に隣接した国家だ。
この2ヶ国はとある川を国境線としていたが、この川というのがくせ者だった。
春期は山脈の雪解け水が流れるけど、夏期の途中でその水の水量は減る。秋期にはほとんど流れず、冬期は枯れてしまう川だった。
測量技術など未発達な時代だったら、「大体このあたりが国境線」と曖昧に済ませていたかもしれない。でも、現代の測量技術では、曖昧では許されなくなっていた。
川も年間ずっと同じ場所を流れているわけでもないし、年ごとに流れの蛇行も目立つ。
どちらの国が最初か分からないが、ここから西が、東が、「我が領土」といいだした。
不安定な国境線は、重なるところもいくつもある。
当初は嫌がらせ程度であっただろう。
国境を示した杭を抜くやら、新たに打ち込むやらと……だが、それは過剰になっていき、遂には武力衝突も引き起こしていた。
「その事件。魔法協会も噛んでいるんだろ?」
「それは――」
アタシは言い返せなかった。
魔法協会の活動には、国家間の武力監視も含まれている。だが、この両国への介入は最小限だった。
もちろん理由はある。
大量の資金を投じて開通させた、マリネリス海の北側を走る――必然的に両国の南海岸を走ることになる――国際鉄道の維持が、協会の関心事項だ。何せ、その路線の中央付近にこの両国が構えているのだ。その気になったら鉄道が止められてしまう。
「まあ事件にしたいのは、他の国も一緒だし、当事者達だってそうだ」
レディがいうのは、国際法があるから。
世界大戦を体験した各国は、戦争を抑制する『国際法』を制定していた。簡単に言うと、『戦争中の国家との貿易を禁止する』というもの。
現代において、他国との交流……貿易が止められては、自国内だけでは国を維持できない。しかし、これが便宜上の法であることは、どの国も承知している。
結局、『宣戦布告』なり、自分達が『戦争』という言葉を使わない限り、他国は武力衝突は『戦争』と見なさない。
だから、オルフィル王国とルナ王国の国境の戦闘は、あくまでも不幸な事件となる。
「知っていると思うが、両国に武器弾薬の供給しているのは、協会が作った国際鉄道だ。なおさら止められないだろ?」
「……」
アタシは、その詭弁が嫌いだった。
魔法協会が牽いた国際鉄道は、国家間の交流を活発にさせていた。
そして、輸送費は協会の運営資金にもなっているのだ。顧客の荷物であり、いちいち荷を検めていない。中身は食料品だろうが、武器弾薬だろうが関係ない。
アタシなりの正義のために、魔法協会の詭弁を止めたかった。
失敗したが……
それをレディさんは知っている。だから、そんなことをいって、アタシを挑発しているのかもしれない。
「――そっ、それが、兄とどういう関係があるのですか?」
平常を装いながら、レディさんに問いかけた。
「アトを確実に認識したのは、その時の任務だ。もちろん、その前から薄々、誰がエオスの外交計画に介入していることは気が付いていた」
「兄か戦場……事件現場にいたと? そんな報告は……」
「まあボクら『監視官』の任務は、すべてを報告する義務ことがないからね。
対キメラ法にあるだろ。
第1条・監視官はあらゆる捜査に、独自の判断で介入することができる。
それであいつがいた。どこにいたと思う?」
対キメラ法は、正直いって正気で作ったとは思えないことは、見習いであるアタシも承知していた。
『酒を飲みながら作った法。この法が飲めないのなら、企みがあるんだろ!』
と、「恫喝曲がりに法案を押し通し、痛くもない腹を探られないために結ばれたものだ」と、冗談が言われている。だが、その冗談みたいなのが、法整備されて実行力を持っているのだ。
「やつは夜中、現れた。最前線に……ルナが夜襲をかけると、いう情報を掴んだからのようだ」
「なんのために……って、愚問でしたね。彼の国が、錬金生物兵器を所有していることは、その時、こちらも薄々気が付いていますし。兄は、排除か主犯格の逮捕が目的と?」
「第2条・監視官はいかなる場合でも、令状なしに犯人を逮捕することができる――その逮捕権を施行するに犯人を特定しなければ出来ない。前線でそんなことが出来るかい? そこに居るのは、いつ終わることのない戦闘に疲れ切った兵士だけだ。
そこに、どこからともなく現れる生物兵器。しかも夜間だ。操っているものの特定など不可能だろ?」
「では、なんのために兄は前線をフラついていたんですか?」
「――暇つぶし……」
「えっ?」
レディさんの言葉に、アタシは聞き返してしまった。しかし、あの兄ならやりかねないと、そんな気が段々としてきた。
自分の兄ながら、あの人は何を考えているか解らない。
「知っての通り、魔法を使えるというのはかなりの知識や学問を必要としている。
おとぎ話に出てくるような傷の治療も出来ないこの世界の魔法と呼ばれるものに、みんな大金をつぎ込んで魔法士を育てているのはなんのためだと思う」
「――回復魔法なんて夢ですが、その力は国を、人を護るためになると信じています」
「――模範的な回答をありがとう」
アタシの回答に、少々不満げな顔をレディさんはした。
――アタシだって分かっている。魔法は力でしかない。『攻撃は最大の防御』だ。
錬金学では、空気中にあるマナニウムと称される物質が、魔法の根源である事までは突き止めていた。これがなんであるかは、まだ解明されていないが、人間の精神に反応することは証明されていた。
ただ、それだけ……マナニウムの物理反応が、熱や電気を起こし、はたまた重力、空間さえ操れる。そこには到底、おとぎ話のような人の傷を癒やす回復魔法など存在しない。
武器でしかなく、それ以外は防御としてしか使えない。しかも、空気中のマナニウムの濃度によって、左右される不安定な力だ。それを克服するものがあるけど――。
そんな魔法でも、取得するために、大学があり、鍛錬が必要だ。そのためにはお金も要る。
無事に魔法士となったら、大概は軍に入隊し、士官となる。
そして、魔法士専門の特殊部隊へと配属される。
ただ、実戦がない限りは、上層部……要は司令部付の防御専門部隊に配属される。軍隊の頭を護る事が最優先で、前線の小隊が機関銃やキメラに襲われようが、お構いなし。魔法士同士の部隊がぶつかり合うなど、よっぽどのことがない限り起きない。今のところ――。
それが、今の各国の常識。
「結局、オルフィルに所属していないあいつが、そこの司令部を守る義務なんてものはない。だから、フラついていた。それが、前線だった」
「大砲の弾や、機関銃の弾も飛んでくるところを?」
「あいつに効くと思うか? ボクがこれまで何度、不意打ちを喰らわそうとしても、いつも寸前で止められる。一発も当たりやしない」
「――愚問でした。兄に傷は負わせるとは無理でしょう。大型のキメラなら、なんとか――」
「10数メートルもあるキメラか……
でも、空間を爆発させるか、押しつぶすかして、一発だろ?」
「確かに……で、アナタは何をしていたんですか?」
「ボク? そうねぇ……『前線でフラついている男がいる。魔法士らしいが、通常兵器では全く刃が立たないようだ。偵察してきてくれ』と……そんなところかな」
「アナタはルナ側にいたんですね」
レディさんはうなずいて見せた。
※※※
「ボクらの計画では、この事件をできるだけ長引かせたかったんだ」
「何故ですか? 貴方のいう国境の事件が解決すれば、マリネリス海周囲の治安は、少しは安定するんじゃないですか?」
アタシ、フルティカルは、マリネリス海の主要国家であるオルフィルとルナが、安定すれば周辺諸国の態度がマシになると考えた。
両国寄りの周りの小国が、後ろ盾に対立していることは知っている。嫌なのは、東西に長いマリネリス海に接している国家が、争っている両国の国境線を伸ばしたように分かれていることだ。
東側はオルフィル国陣営――レディさんの故郷、エオス公国はマリネリス海、唯一の外洋との入り口に陣取っている。
そして、西側がルナ国陣営だ。
そもそも考えて見たら、レディさんが西側にいたこと自体がおかしい。
単純に見ると、敵陣営にいるようなものだ。
「大きな事件があれば、周りの小さな事件に構っていられない。だから、周辺のもめ事は小康状態。だけど、大きなほうが片付けば、周りのもめ事が活発になるから、両国には直接、ぶつかっていて欲しかったんだ。
それにエリオは中立を貫いている。表向きはね。陣営外からの海上輸送は、ボクらの国が握っていた。
オルフィル国は、ボクの国にいい顔をしないと、海上封鎖されかねない。大回りで、北のクサンテ海から荷揚げして、更に陸路で南の戦場に運ばなくちゃいけない。山脈を越えてね。労力を考えたら馬鹿にならない。
ルナ国も同様だ。あっちは更に厳しい。物資を運ぶ船は、オルフィル国の鼻先を通行しないといけない。でも、ボクらの国の旗を揚げた船は攻撃できない。マリネリス海を南下した同盟国は貧弱だ。だから、ルナもボクらに頭を下げて、船を使わせてもらわなければ、戦場を維持できない」
「そこまでして、ふたつの国は戦争……事件でしたね。それを続けたいのですか?」
アタシは、レディさんの話を聞いていて疑問に思った事を口にした。
――そこまでして、戦い続けるのか?
「――両方とも本当は止めたいんだろうね。だけど、出した拳をお互いに引っ込められない。だから、ボクの国はそこに付け込んだ。オルフィルが本気になれば、ボクらの国などアッという間に併合されてしまうだろう。そうさせないために、ルナとの事件で気を紛らわさせていた。ルナに恩義を売れば、オルフィルだって手を出せない。だからこそ、ボクの小さな国はずっと維持し続けている……でも、続けた外交に不確定要素が入ってきた」
と、レディさんはアタシを見た。
睨み付けている……ガラス玉の眼球では、あまり表情が読み取れないが、不機嫌なことは明らかだ。
その不機嫌な原因は……アタシが察するのに時間がかからなかった。
「魔法協会の国際鉄道路線――」
「そう……君達が鉄道を引いたおかげで、海上輸送の価値が幾分か下がった。それは、ボクらの外交にヒビを入れかねないことだ」
確かに魔法協会は、この地に鉄道路線を引いた。技術の共有という名目で、国際路線は主に魔法協会が受け持ち、国内は協力した国が自ら牽く……そういう手はずになっている。
そして、如何しても始発は西にある魔法協会の本部の方から、牽き始めた。
マリネリス海の西の付け根までは、すでに路線が牽かれている。そこから一気に、単線であるが僅かな期間で、マリネリス海の北側の海岸線を東へ延ばし、エオス公国まで繋げるアスクリス大陸国際横断鉄道――正確には計画の一部――が完成した。
この鉄道が両国の物資輸送……特に海上輸送に影響を与えたわけだ。海上から輸送一本から、鉄道輸送という選択肢が増えたわけだ。
「姉は焦ったよ。ルナとの契約が、弱まれば国の安全に関わることだ。だか、その日、姉は前線近くに視察に来ていた」
「一緒に行ったと?」
「ボクは姉の影だからね。常に姉の陰にいる。そして影武者……汚れ仕事は皆ボクに任せる。それに会議で疲れた後なんて不機嫌、極まりない。そんなときに報告されたのが……」
「――兄の行動」
「不機嫌な姉にせかされて、ボクは前線に向かった。全く、ボクも昼間は裏で忙しかったというのに……
それて、ボクは一応、用心のために適当な木の上から偵察した。
アトはフラフラと、ホントに散歩していた。月明かりのある明るい夜だった。それに、あいつの持っているマナニウム蓄積器、円筒形のランタン型をしているだろ?」
「協会の特注品ですから、結構な量のダイリチウムを使っているはずです」
「あいつはそのランタンから光を出して、巻タバコを吹かして歩いていた」
「狙って下さい! といっているようなものじゃないですか!!」
空気中の魔法を使うためのマナニウム。濃度の濃さで不安定な力となってしまうが、ダイリチウムという物質が、マナニウムを蓄積することが長年の研究で分かっている。そのため、魔法士は力の安定のために、マナニウム蓄積器を個別で持っている。形状は好きなように出来る。ダイリチウムは希少物質だ。アトルシャンは、レディさんの話の通り、ランタン型をしていた。
マナニウムの蓄積率によって、赤黒く、ほぼ無くなると青白くなる。闇夜では目立つであろう。一般的に、そんな夜間、活動する魔法士なら、マントなので漏れる明かりを隠すはずだ。
しかも、タバコを吹かしながらなどと……タバコの赤い光は、人工の明かりであるから、夜中など目立つのは当たり前である。
「それだけの明かりだけでは、人影は掴めたが、どんなやつか分からなかった。なのでちょっと、焚きつけた。丁度、狙撃用のライフル銃を持っていたからね。
狙いは簡単。タバコの火に狙いを定めれば、その辺に顔がある。なので、弾丸におまじないもかけた」
「おまじない?」
「君等ほどでは無いが、ボクだって少しぐらい魔法が使える。貫通力を上げる魔法だ。それで撃った」
と、不意にレディさんは、アタシに指鉄砲を向けた。
こんな真ん前の至近距離で、光弾をぶつけられたらアタシだって、避けようが無い。が、ただレディさんは撃つマネをしただけだ。
「でも、平然と歩いていた……」
「当たったんですよね?」
「直前で止められた。さすがにあいつだって、目立っていることは分かっているさ。だから、こちらの出方を見ていたんだろ。『銃声は聞いたけど、先に防御壁を張っていた』と、後で聞かされた。それに突き刺さっただけらしい。
でも、偵察は失敗したかな――」
「失敗?」
「まあ夜中に発砲騒ぎがあるのは、前線ではよくあることだ。硬直した前線なんかではね」
と、今度は指鉄砲を、レディさんは自分のこめかみに当てた。
何を意味するのか、すぐには分からなかったが、少しずつそれが何なのか理解してきた。
――張り詰めた緊張の中で、兵士が自殺している!?
顔から血の気が引いていくのが解った。
いつ襲ってくるか分からない中、精神がおかしくなった兵士が自分から命を絶った……それがたまにあると、レディさんはいっている――
「でもたまに、敵襲と勘違いして、ちょっとした小競り合いにある。弾丸を消費するだけのね。だけど、その日は違った。
あいつは嗾けたんだ、両陣営にね。魔法で光の玉を作りだし、空中で爆発させた。
それが合図――」
と、今度はバンッと両手を叩き、脅かした。
「硬直状態は総崩れ――一気に戦いが始まった。両陣営の塹壕から兵士が飛び出し、空には照明弾。その照明弾を上げているのは、誰だと思う?」
「――兄ですか?」
「ご明察! でも、両陣営にとって魔法で照明弾を上げているのが誰だ、なんて関係が無い。
アッという間に戦場は混乱。それに何かの伝達ミスか、隠しておくはずだった錬金生物兵器を引っ張りでしてきた――」
「やはりルナ側の所有情報は正しかったと……」
「いや、両方だ。ルナもオルフィルも両方持っていた。しかも、出所は同じなのを引っ張り出してきた。あの時は……そう熊だ。両陣営共に3体ずつ」
「えっ? あっ、オルフィルが持っているという情報は……」
「本部まで届いていなかったんだろうねぇ――いや、意図的に現場で処分されたかな?」
「兄が握りつぶしたと、言いたげですね」
「それ以外、誰がいる」
※※※
「最初にアトルシャンと顔を合わせたのは、その後だ。ルナもオルフィルも両陣営が錬金生物兵器を出してきたんだ。前線どころが後援にまで被害が広がれば、事件どころではなくなるからね」
レディさんの顔に何か微笑みを感じた。ただ、アタシが感じたと思ったが、見直すと無表情に近い。
「両陣営総出で、キメラ撃退に当たることになった。何せ相変わらず、暴走したんだ。
人はどうして、自分の力で制御できないものを欲しがるんだろう……」
「キメラが暴走……でも、召喚された者がいたはずです。そいつが操っていたのでは?」
アタシは、ふと疑問に思ったことを口にした。
小型のキメラであったとしても、人の背丈以上の大きさがある。
そんなものが、前線に配備されていたら、いくら何でも隠しきれない。なので所有しているといっても、別の場所であり、戦力として使うときに転送魔法を使い配備されるはずだ。
そして、転送者の魔法士がキメラを主に制御するのだ。
まあ簡単に言ってしまえは、おとぎ話の『使い魔の扱い』のような関係であろう。ある程度、制御できなければ、兵器とは呼べない。
「ああ、ボクは何人か前線近くにいた魔法士を射殺した」
「――はい?」
レディさんの言葉に、アタシは驚いてしまった。
――暴走させる気なの!?
「驚くことはないだろ。敵が目の前で無防備になっているんだ。撃つのが当たり前だろ?」
「魔法士が無防備になった理由って、キメラの制御に専念してからで――」
「そんなことで、自分の防御を疎かにする魔法士が悪い」
彼女の言葉は確かであるが、それを大真面目にいわれると、何か腑に落ちないモノを感じた。
レディさんの話から推測すると……そもそもキメラが暴走をはじめたのは、彼女がキメラの制御担当者を射殺したことにあるのではないか。
前線が崩壊した原因は、彼女に他ならないということだ。
「ボクだけじゃないよ。アトも何人かやっているはずだ。どさくさに紛れて……」
「弁解はいいです! つまり、アナタが事件を、ますます混乱に陥れたということですか!」
「何を怒っているの?」
不思議そうな顔をして、レディさんが見つめてきた。
――兄も含めて自分が、引き金を引いたことを、悪いとも感じていないの?
アタシは、自分だけ怒っていることに馬鹿らしくなっている。
彼女もそうだが、兄も事件が過激のほうへ向かったことに自覚がない。自覚がないのが一番厄介だ。説き伏せようが何しようが、自分とは思考回路が違う。
そうでなければ、そんな顔はしない。だが、記憶をたどっていくと、報告書のことを思い出した。
『オルフィル王国とルナ王国は、休戦協定を結んだ。該当地域東西10キロメートルを非武装地域とし、両国ともこれに調印』
つまり、国境に関する事件は休戦という形で、終了したはずだ。
前線のキメラ暴走による崩壊が、一番の痛手だったかどうか解らない。だけど、国境で起きた戦闘が一時的に終わったことには違いない。
――兄はこうなることを見越して、あんな『散歩』てしたのかしら……
本人に聞いたところで、はぐらかせるだろう。
アタシか報告書の内容を思い出したのを見計らったように、
「思い出した? 事件は一旦お休み」
レディさんは口を開いた。
「調印式には、傍聴者として姉が呼ばれていた。
だけど、『くだらない』と投げ出して、全部ボクに押し付けてきた。まあ黙って後ろのほうに座っていれば、いいだけの話だけどね」
彼女はそのことも不満そうに口にした。しかし、少し明るい気がした。
「あいつも出席していた。オルフィル側のオブザーバーとして。
最初見た時は、ボクはあいつのことを、女だと思っていた。髪も長いしね。よく言っても、ひ弱そうな会計士かそんなところだろう。机でソロバンを弾いているほうが似合っている。そんな感じがしていた。こんな貧弱そうなのが、あんな大胆なことをするとは思いもしなかった。しかし……」
と、いいかけると、クスクスと思い出し笑いをはじめた。
少々ぎこちない感じもするが、感情表現が薄い彼女なりにかなりは、アトの行動はツボに入ったのであったのだろう。
「あいつの行動が引き金だったのに、脳天気な顔をしていたよ。まるで全くの部外者ぶりは、かなりの食わせ者だと判ったよ。調印式後の食事会で、料理人捕まえてずっと料理の話で、雑談していたんだから――」
「兄が……それが喰わせ者だと、どうして判るんですか?」
アタシには、その行動は空気の読めない人間に感じていた。
調印式に元々、興味が無いからか……いや、自分の蒔いた種の結末は見たくなるものではないだろうか。だったら、何を持って、レディさんは兄を食わせ者だと思ったの?
「――ずっと見ていた」
「え?」
「あいつの目は、ボクを見ていた。ずっとボクは調印式に参加中、視線を感じていた。冷たい視線だ。それは同業者の視線だ。料理人と話している最中も、他のオブザーバーと会話を楽しんでいるときも、気が付けばボクをずっと見ている。
実はその調印式の時に、問題のあるヤツを始末するように姉に言われていたんだ。
こんなことは初めてだ。あいつはボクを監視していたのだ。素知らぬ顔をして……」
「そんな……調印式の時に暗殺なんて――」
「目の前で殺すわけではない。ちょっと刺すだけだ。ボクは好まないが、遅効性の毒が塗ってあるのでね。だけど、あいつの監視から逃げられなかった。
それで、ボクは珍しく任務に失敗。姉にこっぴどく叱られたものさ」
レディさんの口から聞かされた暗殺の話。
確かにエオス公国の外交戦術の裏には、非合法のことが含まれていることは、噂でしかないと思っていた。
公になれば、スキャンダルもいいところだ。
調印式など国の要人が集まるところでの、暗殺事件。即効性のない毒を使用するようなことをいっているが、盛られたのが調印式であることはすぐに判ることだ。
――それだけ要人を殺す必要があるのか?
アタシの疑問はそこだ。
両者がいっている事件そのものは、戦争でしかなかった。それの休戦となれば、犠牲者が増えないということだ。そうなれば国民が安泰になり平和が訪れると――単純な考えなのだろうか。
「この事件が終われば平和になると、思っている顔だね」
「――はい。そうじゃないんですか? アナタの言う事件が終われば、一般兵士などの犠牲者がこれ以上増えない。違いますか?」
「表向きはね。その部分を見れば増えないだろう。
先も行った通り、大国同士が直接ぶつかっていれば、周りの同盟国に支援が回らない。つまり、周りの事件は起こりづらくなる。だけど、大きな事件が終わってしまえば……」
と、レディさんは問いかけた。アタシに自分で考えて見ろと。
――縮小していた周りのもめ事に、大国が手を貸せる余裕が生まれる。
ヤな考えを思いついてしまった。
目の前の大きな火を消したのはいいが、周りの燻っている火に、支援という油を注ぐこととなる。つまりこのオルフィル王国とルナ王国の休戦調印は、全体で見ると意味がなくなることとなるではないか。
「キミはあいつの妹だ。その後、何が起こったかは、想像は付いただろ?」
丁度、アタシ自身がキメラの監視官の見習いとして、活動しはじめたのはその調印式後の事だ。
――世界は混乱している。どうして罪を犯すものが絶えないのだろうか?
そして、任務をこなしていくうちに、そんな疑問を持ったのもその後だ。
つまり、兄が本当に仕掛けたのか判らないが、種を蒔いたことには変わりはない。世界中で小さな火種が燻り、数々の事件が始まったのは――
「つまり、兄やアナタが世界の混乱を引き起こし――」
「だとしたら、どうする?」
再びレディさんは問いかけた。
アタシ自身、魔法協会が世界中に監視官を派遣して、任務である軍事協定やキメラ協定を護られているか、監視していた。だけど、その違反者を造りだしたのは、他ならないこの休戦協定があったからだ。
余裕の生まれた大国が力を差し伸べるだろう。それを見越して、兄は……いや、魔法協会は世界中で起こる事件をあたかも、正義の味方として解決している。
――自分はなんてところにいるんだ!
魔法協会こそ欺瞞でしかない。
アタシは自分の立場に、ますます気分が悪くなった。だから、拒絶反応を起こして抵抗をしてみたが、失敗に終わった。
それは、あまりにもひとりでは太刀打ちできない相手だからだ。
コンコン……
その時、扉を軽く叩く音が聞こえた。
「そろそろ時間か――」
と、レディさんは立ち上がった。
結婚式の開始時間になったのであろう。
「――最後に、フルティカルひとつだけ……」
扉へ歩み寄るレディさんが、ふと立ち止まり、振りかってみせる。
「なんですか?」
「これから起きること――君には、どうすることも出来ない」
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