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アトが変な気を起こす前に、キミをこれほど早く片付けたいと思った事はない。
(――一回だけ、事をしただけなのに……)
対キメラ法の名の下、散々、ボクの仲間やらを悩ませてくれた魔法協会の監視官アト=ミックス。世界中の裏外交や裏組織を邪魔した、実行部隊の指折りのエージェントがキミである。
実力も自他ともに認める人物だ。
それは……キミに一時期、惹かれたことは認める。しかし、それは気の迷いだ。あの時は、ボクはどうかしていた。
それなのに子供のようにせがんだ。確か……ボクより一、二歳、年上なはずだ。そんなのに……下手に許したのがマズかったのだろうか。
結局、アトと事をしたのはそれっきり――
それからというもの、キミが付きまとってきたのは覚えている。
まあ、それによって、ボクの命は助かったし、新しい目ももらえた。今の魔法協会の一員として居るほうが、一国の裏組織の一員よりかはマシなほうだ。
ただ、自由の身になれていない。
(殺ろうと思えば、いつでもできる。昔のボクだったら……)
ボクとしたことが、まるで手の内で振り回されている小娘だ。
キミといると調子が狂って仕方がない。
チャンスといえば、一日一回キミを殺そうとチャレンジできること。だが、この一年成功していないのは、目の前に生きているキミを見れば十分判る。
「――おかしいなぁ。どう思う?」
「えっ、ああ……」
今は街中を捜索中であった。
考え事をしていたなど、キミに悟られないようにしなければ、付け込まれる。
このランタンの街に来たのは、戦略型キメラ、それに消えたリュート使いの一行の探索だったはず。
ボクを夜間、襲おうなどと考えていたであろう宿屋の亭主を、絞り上げれば簡単なはずだ。だが、そういうことは何故かキミはしなかった。
その代わり、ランタンの街の探索をはじめた。
手順が相変わらず理解できないところがある。だから、昔、僕らを悩ませたのかもしれない。
想定された通りに動かない。人の予想の斜めをいく考え方をするから、こちらが考えた策が通じなかったのかもしれない。
「この線路? どう思う?」
それは、駅の手前で分岐して更に北に向かった一本の線路であった。その線路を辿っていくと、谷間の間を切り開いた街の中を通り、その先の僅かな穀倉地帯へと続いている。
「延伸目的か。キミの分野だろ。鉄道局情報部のアト=ミックス?」
「全世界の鉄道を網羅しているわけではないよ。主要な国際鉄道路線ぐらいは解るけど、その国それぞれが牽いた路線までは、僕には解りません!」
「――まあ、こうして延びた路線を見ていると、畑のほうへ向かっている……と、なると畑からの穀物を運ぶための路線なんじゃないか」
「いやいや……それは違う」
「何故?」
こういうところがムカつく。自分がすでに答えにたどり着いているのを、自慢したいのだ。
意地だろうか、自分がボクより上だと思わせたいのか。
「線路が駅に向いていない」
「線路が繋がっているって、キミはさっき言っただろ」
「いやいや、ポイントをよく見て!
この線路は駅の手前で分岐している。分岐先は、駅のほうではなく、本線へ繋がっている」
「――というと?」
「畑で収穫した穀物を街に運ぶのなら、分岐先は駅のほうに向くべきだろ。食料を欲しているのは街のほうだ。最初の消費地だからね。小麦を貨車で運ぶのだから、街で消費する分は駅で切り離す。それから別の街に出荷する分を改めて、別の列車に貨車を繋げるのが筋だ」
「高説どうも……」
皮肉ってみたが、どう受け取ればニヤニヤできる。
アトは小難しいことを言ってよく解らない。鉄道の運行としては、不自然なのであろうが、それ以外にも、不自然なことがあるようだ。
這いつくばるようにすると、レールに頬を当てている。
(後ろを向いている間に、殺ってしまおうか――)
いやいや、こういうときに限ってワザと隙を作らせて、一日一回のカウントを消費させる気だ。この一年近く、それで騙された。
キミの小難しい話は、まだ続いている。
「これもおかしい……」
そういうと、ヒョイッと立ち上がり、線路を小走りで進んでいった。
これに関しては、ボクもだいたい解った。
線路が使われた痕があるのであろう。それを観察していたのだ。
放置していくと鋼鉄製の線路はサビてくる。山奥の谷間の街だ。昼と夜の温度差で、湿度が変わり水分がレールに付着する。それがサビの原因だ。だが、目の前のレールには使われた形跡がある。列車が通れば、車輪とレールは摩擦により磨かれ、サビがとれるのだ。証拠にキラキラとレールが光っている部分がある。
それぐらいボクだって見れば解る。だが、好きなように喋らせることとした。
「――やっぱり!」
「見たところ十分実っているようだが……農作業をしている人がいないな」
付いていくと、キミがいたのは畑の真ん中だった。
線路は水平を保つためか、畑を掘って突っ切ってまだまだ続いている。丁度、線路から見ると、人の頭ひとつほど高い場所に畑はあった。
ここで注目すべきは畑の作物だ。育った大きく実り今にも倒れそうな程の小麦が、一面に広がっていた。
(早く収穫をしないと、麦が傷んでくる)
このまま収穫されずにいたら、腐って落ちるだけだ。
小麦は人の食料でもあるし、茎などは家畜にも与えるはずだ。それが収穫されていないとは、どういうことなのだろうか。
「レールは使われた痕跡があるのに、肝心な小麦は収穫されていない……これはどういうことなんだろうか?」
どうぞ……と、キミはボクに手を差し出した。
意見を聞きたいとでも言いたいのであろうか。
すでに自分で答えを出しているくせして――。
(――だから嫌いだ。面倒くさい)
ボクはため息をつきながらこう答えた。
「例えばどうだ。農作業をしている人は見当たらない。いや、この街に着いてからおかしい気がしていたんだ。駅にも最小限の人しかいなかっただろ。例えば……キミがよく使っている赤帽とか。駅の宿屋には、亭主がひとりだけ。小間使いも、奥さんもいないようなことを言っていた――」
「ふむふむ……」
概ね、ボクの考え出した答えは、キミの中の答えと一致しているのだろうか。話を遮らないところを見ると――。
「つまり、この街には人が――」
「ちょっと待って!」
ここに来て、ボクの話をキミが遮った。それは何故か、すぐに判った。
(――後ろから誰かが近づいてくる)
足音がした。線路のバラストを踏む音が聞こえたのだ。
※※※
高台になった畑からアトは降りると、近づいてくる人影に立ちはだかる。
アトが近づいてくる人物と交渉。ボクはキミの後ろへと――。
「こんにちは。どうかされましたか?」
「私有地に侵入者がいると聞いた。君達か?」
歳はボクらと同じぐらいの男が現れた。
腰に古めかしいショートソードをぶら下げているところを見ると、どうやら軍人のようだ。
この街の治安維持を、警察ではなく軍隊が兼任しているのかもしれない。
そのために、この谷間の街一帯の警察権を与えられているのだろう。
左腰にぶら下げているショートソードが、その権利の証し。
歳からして尉官クラスであろうか。若さで顔の貫禄はあまりないが、二メートルぐらいある身長の高さには威圧感がある。
「これは失礼――私有地でしたね。速やかに退去します」
「君達は外国人か? こんな山奥に何しに来た?」
観光です……では収まりそうにないぞ。交渉はキミの担当だ。どうする気なのだ。
「何って……」
と、ボクを見る。いや、見られても困る。
慌ててボクはフードで顔を隠した。
「――ああ、観光です。彼女が、遺跡をどうしても見たい、というものでここまで来ました」
「おい……」
アト、急に妙なウソを作るんじゃない。それにボクを引き合いに出すな。
相手はあきらかに怪訝そうな顔をしているじゃないか!
「観光だと? 遺跡だァ?」
「はい。この街の奥にある遺跡です――」
と、懐から例の写真を一枚取り出した。どの写真かはボクからは見えないが、遺跡が写っているのは……確か、吟遊詩人の女性が写っているもの一枚のはず。
アトが押し付けるように、軍人さんに写真を見せると、少々驚いた顔をした。だが、一瞬のこと。すぐに目線を逸らした。
「こッ、これは……見たことがない――」
「そうですか……」
直感もあるものか。この軍人さんは、隠し事が下手すぎる。
「ともかく、待避を命ずる! この鉄道路線に近づいてはならない」
「申し訳ないが、それはできないです」
「何故だ!」
アトは急に軍人さんを煽りはじめた。しかも、相手は古めかしいショートソードに手をかけようとしている。
(――ボクの出番か!?)
そう思ったが、
「魔法協会、鉄道局情報部のものです。
鉄道関連施設へは無条件に立ち入りは、国際法で許可されています」
と、アトはきっぱりと答えた。
(本当か。初耳のような気がするが――)
「なんだと!? そんな国際法があるのか!」
「はい。もちろん!」
キミは更に念を押すが、ボクは初耳だ。この軍人さんも初耳だろう。
そして、ニッコリと笑う。笑いながら、ボクに目配せをしているのが判った。
(はいはい。結局ボクの出番か――)
すかさず地面を蹴り、低い姿勢で軍人の前に出る。ボクの動きについて来られないのか、軍人はひるみ一歩下がった。
(実戦経験が少ない――)
これぐらいのことで、怯んでどうする。
軍人さんはソードを抜きかけたが、ボクは片手で柄頭を押さえる。抜刀を押さえつつ、もう片方で腰から下げている部品を分解し、彼の手からショートソードを奪い取った。
「――残念。鉄道に関する国際法には、そのような記述はありません!」
「貴様!?」
怒るだろ。当たり前だ。しかし、ボクは見逃したようだ。いや、アトの後ろで見えなかった……と、言い訳しておこう。次に目にしたのは、右腰の銃ホルダーが目にした。
ショートソードなど古めかしいものは、形式的なものだ――まあ、好んで使う輩もいるが。一般人が護身用に拳銃所持が認められている中で、軍人が持っていないこと自体、あり得ない話。
すでにこの軍人さんはホルダーから、拳銃を抜き取った。
ボクは今のままでは、対処できない。ショートソードを投げ捨てたとしても、引き金を引くほうが早い。
「アト!」
ついボクはキミの名前を叫んでしまった。しかし、先程まで立っていた場所にキミはいない。
どこにいったのか……と、探してみれば、あの軍人さんの後ろにいるではないか。
「まッ、魔法なのか? 見たことがない――」
軍人さんは唖然としている。
そして、アトは彼の背中にピッタリとくっ付いていた。
(何をしたんだ?)
ボクにも理解できなかった。ボクの動体視力よりも……アトがそんなに素早く移動できるとは思えない。魔法の一種なのだろうか? だが、知っている現代魔法は、どちらかというと物理法則に則ったものだ。しかし、今のは違う。
「そうですよ。まあ、古代魔法は未解明のことが多いですから、説明を求められても困りますがね。それよりも、現状おわかりですか?」
「ああ……俺の背中に、銃か何か突きつけているだろ。魔法士なのに、銃を使うのか?」
「臨機応変。時として魔法士だからと、銃を使ってはいけないなんて、法はないですからね」
と、微笑んでいる。
現状から考えると、魔法から何かで軍人さんの後ろに回り込んだ。ボクも知らなかったが、アトは銃を持っていたようだ。それを彼の背中に押し付けている。
「こういう時、どう言うんでしたっけ……ああ、手を上げろ!」
が、人の脅し方が……キミはバカにしているだろう。後でヒドい目に遭わなければいいが――
※※※
「貴様!? どこまで俺を愚弄する気だ!」
会ったばかりの若い軍人は、声を上げた。
それはそうだろう。
アトが後ろから回り込んで、銃を突きつけていた。それで仕方がなく手を上げて降伏をした。
「そろそろ修理に出さないと、インク詰まりがヒドいんですよね……」
と、解放されてみると、軍人の背中に突きつけていたのは単なる万年筆のキャップだった。
まあ、後ろが見えずに、勘違いするのは仕方がないかもしれない。背中の感触だけで筒状のものが押し付けられた状態だとすると、銃として間違っても仕方がないといえるか……。
「いやいや、これほど上手くいくとは……」
愉快そうにキミは笑っているが、釣られた軍人さんは気の毒だ。
「この線路の先に何かあるんですね?
あっ、誰に見られているか判りませんから、YESなら首を横に、NOなら縦に振ってください。解りましたか?」
キミは難しい注文をするな。ともかく、軍人さんは従った。首を横に振る。
周りを見回すと、線路に立っているボクらは死角になっているはずだ。
「では僕らは先頭に立ちますから、あなたは後ろから。そうですねぇ。僕らが捕虜になっているような感じがいいかな?」
『おい……負かしたのはこっちだぞ!』
ボクはとっさに言語を変えた。北半球のアスクリス大陸でよく使われている共通語だ。キミにとっては母国語になるだろう。
軍人はキョトンとしているが、アスクリス大陸の言葉が、南半球のダエダリア大陸の人間に解らない保証は無い。が、下手にこの国の言葉で喋らないほうがいいだろう。
『レディ。こちらには情報が少なすぎる。何かこの先にあるとしたら、彼を連れて行ったほうが、利用しやすいでしょ』
『だからといって、後ろを歩かせるのか』
『あたかも僕らが捕まったかのようにする、と何かあっても油断させられます』
『そんなものか……』
『そんなものです』
内緒話はここまで――。
「ああ、その武器も返してあげて」
「えッ、どういうことだ――」
キミは一体何を考えている。ボクには納得がいかない。それに相手側も目を丸くしている。だが、何か策があるというのか――
「まあ、キミが返せ、と言うのなら……だが、銃から弾丸だけは抜かせてもらう」
取り上げたショートソードを、彼に向かって放り投げた。
それから銃を返そうと、拳銃の弾倉を覗いた。
(なんだ。弾が入っていないじゃないか)
いぶかしげにボクが、シリンダーの中を覗いていると、大きな手か伸びてきた。あの軍人の手だ。
「ここ最近、弾を詰めたことがない」
「そうか――」
ボクはそれだけ答えると、銃を返す。と、軍人さんはホルダーにそそくさと銃をしまった。
(やはり、実戦経験が少ない――)
ボクの直感は当たっていたのかな。「何があっても、武器はいつでも殺れるように手入れしろ」と、叩き込まれた。武器を見せれば、大概の者が大人しくなるとでも思ったか。拳銃から弾を抜いたままなど、のんきな軍人もいるようだ。
「ああ……名前。軍人さんの名前を聞き忘れてました」
歩き出そうとしたところで、アトは思いだしたように振りかえる。
「――エンタリウス=プライズ。中尉だ」
と、軍人さんは呟く。
本名だろうか。まあ尋問の時は、本名と階級ぐらいしか喋るな、と大概の軍では教育しているはずだ。捕虜協定にも、人道的に扱うように伴っているし……下手に死なれたら困る。
まあ、ボクは周りはちゃんと確認してから、事を起こすが――。
「そうですか……プライズさんね。その歳だと、出世コースから外れましたか?」
と、アトは手帳にメモをはじめていた。
そして、世間話でもするかのように、聞かれたくなさそうな話を切り出す。
「なっ、何が、貴様に解るというんだ!」
ムキになっているあたり、アトの言った「出世コースから外れた」が案外当たったのか。
「いやねぇ。こんなところで軍人さんが何しているかなって――」
考えて見たら、この街は山奥ではあるが、国境ではない。国境警備ほど重要な場所には、軍隊を駐屯させておくものだ。が、国境ではないというのに軍人が、こうして警察権を持っているのも妙な話だ。駐屯するのにも、谷間の狭い場所で、軍を動かすなどあまり意味を見出せない。
キミは無駄話をし終わる頃には、手帳のメモは終わっていた。書き終わった手帳を、背中側に着けた革製の小さなカバンにしまうのをボクは見た。
(確か、あのカバンは――)
「では行きましょう。ああ、言っておきますが、僕らが後ろを向いているからといって、変な気は起こさないように。いつでも、あなたの後ろに着けることをお忘れなく」
「また万年筆で脅す気か?」
「いやいや、同じ手は二度も使いませんよ」
と、キミは言うが、本当だろうか――
※※※
小一時間ほど線路を辿ると、穀倉地帯を抜けた。人の手の入っていない山が割れたようなところを縫うように、まだまだ線路は続いているが――
「もう歩けない……なんで、こんなに遠いんだ!」
アトが騒いでいる。
(全く軟弱ものは困ったものだ――)
ボクも、あの軍人エンタリウスも弱音は吐いていない。
「朝食を食べてくればよかった!」
「キミが怪しいから、この街の食事は取るのは控えろ、といったんだろ」
ボクも腹は減ったが、鍛え方が違う。暗殺業は意外に厳しく、対象者が現れるまで何日も最小限のカロリーで動かないといけないし、脱出もしかり……。おちおち食事を取ることも、ままならないものだ。
軍人だって作戦が始まれば、食事がとれないことは多々あるだろう。まあ、この人は実戦経験はなさそうだが、訓練で体験しているのではないだろうか。
「我慢できない。この先のことを考えると、エネルギーを取らねば!」
と、何をするのかと思えば、背中のカバン。小さなその革のカバンを手探りで中身を探し出した。外観からしてたいした量が入るはずがない。だが、妙に時間が掛かっている。
そして、取り出したのは、銀色の延べ棒のようなものだ。
「僕だけでは、ケチなんて言われそうだから、どうぞ……」
それを三本。長方形を引き延ばしたような、それをそれぞれに分ける。
「戦闘食のチョコレートバーです。魔法協会特製で……味はまあカロリーを取るためのものですから、腹持ちはいいですよ」
受け取った軍人は無言で口にしようとはしなかった。
先に口にしたのはアト。包装用の銀紙をめくり中身を一口食べて見せた。それを確認してからボクは口にする。
「うっ……甘すぎないかこれ?」
やたらに甘い。中にナッツか何か入っているのか、こちらはヒドく塩味が利いている。食べ応えはあるが、喉が渇くのは必至だ。
すると、目の前のアトが、金属製のカップで水を飲んでいるではないか。
「どっから水を持ってきた。よこせ――」
周りを見回しても、小川など流れていない。岩から染み出ているようだが、短時間でコップをいっぱいにできる程ではないはずだ。
「はいはい。解りました」
と、ボクに空のコップを渡す。そして、その上に手をかざした。しばらくすると、水なのかコップに重みを感じた。
「どうぞ!」
「何したんだ。これ――」
「魔法で、空中の水を集めただけだよ」
「そうか……」
マナニウム自体には身体には無害だというが、まあ喉が渇いている。飲まないという選択肢はない。
「で、プライズさん。後どれぐらい歩くんですか?」
ためらっていた彼が、一口かじったところで、アトが質問をする。
一応、ボクは周りを警戒した。
ボクらが小休憩を取っているのは、谷間の狭くなったところだ。カーブしているし、左右の壁づたいに視線を上げれば天辺は遥か上。
誰かが付いてきて、監視しているということはなさそうだ。
「どうするつもりだ。貴様らは……噂の錬金生物監視官だろ?」
あっ、どうしてそれを軍人さんは知っている。
キメラの監視官は、正体が解らないから秘匿性をもって、任務が遂行できる。そうだというのに、彼が何故知っているのか……いや、彼に聞くよりも、キミに聞いたほうがいいかな。
「どうして――」
「ああ、さっき彼に写真を見せていたでしょ。あの時、見せたのが――」
「遺跡の写真じゃなかったのか」
「戦略型錬金生物の写真」
「どうして――」
「キメラを製造するっていうのは、結構労力がいることは知っているよねぇ?」
「……」
アトの質問に答えなかった。
ボクの故郷でも、それなりにキメラの技術開発、実戦投入してきた。もちろん、非合法でだ。ここで、ボクが「ハイ」なり「知っている」と答えれば、国に迷惑が掛かってしまう。
それをこんなところで、聞き出そうとしているのか……いや、キミのことだ。知っているのだな。どこかの段階で使える情報として、持っているのであろう。
「このランタンの街には、極端に人口が少ないような気がした。レディも見たとおり、農作業もままならないようなぐらい。
そんなにも人間が消えているのは何故か?
一番ありそうなのは、この街に流行病があるのかと思った。しかし、鉄道が走っている。
この国の当局が認識しているのであれば、列車は止めるものです」
病気か……確かに、疫病によって人がいないのなら、農作業が止まっている説明にもなる。だとしたら、ボクらも感染して……いや、それは違うだろう。
もし疫病が流行っているのなら、キミのいうとおり列車が動いているわけがない。最も早い移動手段を絶って、疫病をこの街中で収まらせればいいのだ。
「さて、病気ではないとなると、何か――。
ヒントになったのは、駅に向かっていない転轍機だ。これがまさに着目する点だった。街で消費しないものを、この先で作っている。秘密の定期列車が、直接そちらに走っているのは、レールのサビから推測できる。
それは何か?
食料や特産品だったら、別に隠すこともなく、堂々と宣伝するものでしょ。商品が売れてくれないと、作っている意味がない。しかし、これは労働力を外から補えないような秘密だ。農作業に支障をきたすぐらいに、この作業で労働力は不足している。
では、秘密の何か……例えば、兵器製造かもしれない。それは、この先に答えがあるでしょう。
ですよね、プライズさん?」
「……」
軍人さんは口を一文字にしたまま、何も答えなかった。
「レディ。口の堅い労働者は誰だろうねぇ?」
「ん、ああ……国を守ると誓っている軍人か。下手に労働者を市中から集めると、秘密が洩れる可能性がある」
「オマケに、山国の孤島みたいな場所だ。離反者が出にくいためにもね」
「それでこんなところに駐屯を――」
しかし、疑問が残る。軍隊は確かに肉体労働を伴うが、アトが口にしているような作業では、士気が下がる。兵器を作るにしても単純作業は、兵の無駄な使い方だ。肝心な時に士気が下がったままでは、戦には使えないであろう。
ボクの疑問をかき消すように、遠く……今からボクらが向かおうとしている方角から、音がしはじめた。
それは――
※※※
聞こえてきたのは、ハンマーと岩石がぶつかり合う弾ける音だった。
「こいつらは、なんだ?」
労働者がコンベアベルトの前に並び、運ばれてくる岩石を細かく砕く。それをまた別のコンベアに落としている。細かく砕かれた岩石は、この谷間には相応しくないレンガ造りの工場へと運ばれた。工場と思ったのは、煙突があり煙を吐き出しているからだ。
先程まで辿ってきた線路もその工場へ向かっている。
最初のコンベアのほうは、ポッカリと空いた坑道へと繋がっていた。
「なるほど。思っていたものとは別のものを引き当てたようです」
ボクら三人は、何故か揃って物陰に隠れて作業の様子を見ていた。しかし、この軍人さんも隠れる必要があるのだろうか。
「キミはこれが何か判ったのか」
「レディは兵士といっていましたが、半分は正解」
「後、半分は……」
「犯罪者、被告人、罪人、咎人、下手人……何が当てはまりますか、プライズさん?」
キミは適当に言葉を並べているが、軍人さんか苦笑いしているのが判らないか。
「受刑者だ。ほとんどが――」
ボクはほとんどが、という言葉に引っかかった。
「僕の予想とは違いますが……軍刑務所の強制労働ですか?」
ボクらの目的は戦略型キメラ、それに消えたリュート使いの一行の探索だったはず。
てっきり線路の先には、武装集団のアジトでもあるのかと思った。
(久しぶりに暴れられると、思ったが……)
武装集団なら容赦はいらないが、どうやら違うようだ。
しかし、おかしな話だ。
軍隊内で刑罰があることは当たり前だとして、それを秘密にしなくてはならないのか。しかも、キミの話しぶりからすると、街の人間もこの中に混じっているという。
「本当に?」
「それを知らずに、ここまで来たのか? 噂の錬金生物監視官」
「すみません。僕らの命令は、見せた写真のキメラ捜索と、ウチの消えた吟遊詩人一行でしたが……」
と、いいながら、キミは作業の様子を見ていると、
「――気が変わりました。監視官として見逃せません。対キメラ法、第一条を発動させます!」
「第一条……ただの受刑者の強制労働だろ」
魔法協会の監視官補佐として暗記させられた、対キメラ法。
正直言って、こんなメチャクチャな法律をキメラ協定の後追いで作られたことが、信じられなかった。酒でも飲んで決めたのではないかと疑いたい気分だ。だが、これがあるからこそ、ボクらは正当に働けるというものだ。
対キメラ法、第一条は『監視官はあらゆる捜査に、独自の判断で介入することができる』だ。しかし、なんのためにそれを発動させるのだろうか?
対キメラ法を発動させるとなれば、その後の報告書がうるさいし、面倒くさい。他にも対キメラ法、第四条で『監視官は国家内の紛争に干渉してはならない』となっている。
力を使うのには、それだけの制約がある。
受刑者への強制労働が個人的に不満だからとか、そういうことには監視官は関われない――まあ、裏技の補則があるのだが――。
「プライズさん。判ってて僕らをここに連れてきたんでしょ?」
「……」
「受刑者の強制労働には、魔法協会はとやかく言いません。しかし、あの採掘されている鉱物。あれはキメラの材料になるものですよね」
「……」
「キメラ協定には、あの素材の採掘に厳しい規定があるはず。ここは発見報告も、採掘届けも出てない、と僕は見ています。違いますか?」
アトが急にまくし立てる。
ボクには、採掘している岩石が何か判らなかった。勉強不足だ……いや、一般常識として、岩石を見ただけでは、違法かどうかは判らないと思う。
「――その通りだ。元はたいしたことのない鉛鉱山だった」
ようやく軍人さんが声を出した。
(元は……というとは、今は違うのか?)
その答えは、アトから出る。
「鉛が金に変わった、ですね?」
軍人さんは、首を横に振った。
(どっちだ? さっきの取り決めが、まだいきているのか――)
「鉛からラチナムが出てきた――」
ここでようやく、ボクに理解できる言葉が出てきた。
鉛から出てきたという『ラチナム』という物質だ。
それはキメラ製造には欠かせない。特に、筋肉や皮膚組織に使われる伸縮自在の超弾性金属『ミスリル』に必要な物質だ。これは、さらに鋼鉄とあわせてスチール・ミスリル合金とすることで、鋼鉄並みの強度を持ったまま弾性力を保てると、量産型のキメラによく用いられている。
キメラ製造に欠かせない物質が見つかったということは、まさに「鉛が金に変わった」だ。
(ミスリルなら、言い値で取り引きできる)
莫大な金になる。だが、その代わりキメラ協定違反である。制限しているところに、新しい鉱山が発見されて勝手に増産されていては、力のバランスが崩れかねない。
「レディにも、理解していただけたようで――」
「でも、街の人間がいなくなった理由は?」
「ああ……受刑者だけでは、量産に応えられなくなったのでしょう。だから、手っ取り早く近くの街から労働力を引き抜いた――。
ですよね、プライズさん?」
「――その通りだ」
と、軍人さんは首を横に振った。
(まだ、アトが言った事を続けているのだろうか? それよりもこの男は何者だ?)
軍人である以上、ここで作業している受刑者の仲間……いや、受刑所から出入りしていたところを考えると、彼らを監視する役目であろう。
だとしたら、こいつも責任者の一味ではないのか?
「さて、プライズさん? あなたの立場が判らない。なんで僕らを引き込んだんですか?」
ボクがジッと軍人さんを睨み付けていたから、キミが気を利かせてくれたようだ。
そうだ。この人の立場がよく解らない。ここまでの流れからするに、ボクらの……少なくとも敵では無い事は薄々理解してきた。
「――我々では倒せない」
「何を?」
ボクの問いに答えるかのように、途端、一瞬辺りが暗くなった。
巨大なものが太陽の光を遮ったのだ。
(戦略型キメラ!?)
警備なのか、威嚇なのか。コストが掛かるというのに、あんなものを定期的に飛ばしているというのか?
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