6人が本棚に入れています
本棚に追加
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大切な話があると、義両親が好みそうな料亭に、孝彦さんたちを呼び出した。
「本日は、お時間をとらせてしまって申し訳ございません。どうしても、息子の将来ために、話し合いをしなければならないと思いまして、この場をお借りしました」
わたしは綺麗な角度でお辞儀をして、彼らが余計な嘴をつっこむ前にテーブルに書類を並べる。医療に携わる者なら、この書類の真贋が分かるはずだ。
「ずっと引っ掛かっていたのです。なんで、あの浮気相手はわざわざわ家に乗り込んできたのか。この時点で、わたしは托卵されていると気づいていない、知らない振りをしたまま孝彦さんと付き合えばいいのに、どうして彼女は自分から平穏を壊そうとしたのか……息子の成長から疑問が確信に変わりました」
あくまでわたしは、最近になって托卵に気づいた体を装う。
「彼女はあなたじゃなくて、息子を取り返したかったのですね」
おそらく女性側に、なにかしらの事情の変化があったのだろうけど、詳しいことは確かめようがない。
「う、うそだ。知らない。オレは知らないぞ。それに、それ以前に、オレは毛髪なんて提出してない」
「別居の際に、わたしの私物を送ってくれたでしょう。確認したら、夫婦で共有していた日用品まで入っていたじゃない。使う気にならないから、箱に入れっぱなしになっていたのが、かえって良かったわ。わたしたちが使っていたブラシを提出したら、三人分の毛髪のサンプルが取れたのよ。……浮気相手も、あのブラシを使っていたのね」
わたしが説明すると、孝彦さんは、今思い出したかのような顔をする。観念して、書類に目を通すと――。
「……あの、女ぁっ」
書類を黙読した孝彦さんは、怒りで顔を赤くして義両親も不愉快そうに顔を歪ませた。
「――つまり、DNA鑑定の結果、私達が孫だと思っていた祐樹は、君の子供でもなければ、 金野家の血も引いていないということか。こういう事態を招いたということは」
ぎろりと義父は、鷹の一睨みのごとく不詳の息子に向けられる。
孝彦さんの方は、顔を青くしたり赤くしたりして取り乱し、隣にいる母親に救いを求めるが、義母の顔は能面のように白くなり、感情そのものが抜け落ちていた。
「はい。ですが経緯はどうあれ、わたしは祐樹を我が子として愛しています。もうわたしにはこの子しかいないんです」
わたしはバックから離婚届を取り出して、土下座した。
「どうかっ! どうかっ! お願いします、離婚してください。祐樹のこれからのためにも、どうかお願いしますっ!!!」
畳に額をこすりつけて、なんどもなんども懇願する。
義両親はプライドの高い人間だ。自分たちが赤の他人を孫と思い込み、嫁に来た女性を自分たちの不手際に巻き込んだうえで、息子は浮気相手にいいように利用されたのだ。
面子をつぶされて顔に泥どころか、全身が汚泥まみれであり、泥を雪いで名誉を回復させるためには、身を切る荒療治が必要だということを彼らは知っている。
「これが、君の選択だとするのなら尊重しよう。慰謝料・教育費は祐樹が成人するまで援助する」
「あなたっ!」
声を荒げる義母を制して、義父は同情をこめた目でわたしを見た。
「感謝します。孝彦さんも良い人を見つけてください」
勝った。
まさか、援助まで約束してもらえるとは思わなかったから大収穫だ。
「お、おまえは、それでいいのか? 自分の人生なんだぞ?」
戸惑う孝彦さんは、血のつながらない我が子を愛しむ、わたしの気持ちが分からないのだろう。
そして、ゆーくんが「うまれちゃ、ダメだった?」と問いかけたとしても、めんどくさそうにやり過ごそうとするのが想像できて、わたしは平静ではいられなくなる。
「だとしたら、孝彦さん。あなたは自分の人生を大切にするあまりに、わたしに托卵をして多くの人たちに迷惑をかけたわけですね。そんな人生に、なんの価値があるのでしょう。わたしはゆーくんの母親になる人生を歩みます。だから、放っておいてください!!!」
淡々と反論するつもりが、次第に感情が昂って両目に涙があふれてくる。一応は感謝しているのだ、祐樹が生まれてきた背景には、この男の我が身可愛さがあるのだから。
「おい、そんな言い方っ……」
――パシッ。
「あなたっ! なんてことをっ!」
「申し訳ない! あなたにそこまで言わせるなんて我が家の汚点であり、それ以前に人間のクズだ。どうか愚かな私たちを許してほしいっ!!!」
それは一瞬だった。義父が孝彦さんをはり倒して、頭をひっつかんで無理やり土下座させる。息子に並ぶ形で義父も土下座して、空気を読むかのように義母も不本意ながら土下座した。
畳に並べられたそれぞれの三つの頭を見て、彼らは本当に家族だったのだと、わたしは妙に納得してしまった。
最初のコメントを投稿しよう!