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「たまご、ちょうだい」
買い物を終えて、テ-ブルに食材の入ったエコバックを置いたときだった。お留守番として、祖母と(つまりわたしの母と)アニメのネット配信を観ていた息子の祐樹が、帰ってきたわたしに「おかあさん、おかえりなさい」と出迎える。
もうすぐ四歳になる息子は、親の欲目を抜きにしても利発で行儀よく、言葉もはやく覚えて、同居しているわたしの父と母を感動させた。
「トンビが鷹を生んだ」と喜び、わたしが金野孝彦と別居するために、一歳になった息子を連れてこの家に帰ってきたことを、孫の評価が上がるたびに「良い判断だ」ともてはやす。
そのもてはやしている孫は、とことことテーブルに近寄って、冷蔵庫に移すためにエコバックから取り出された食材をキラキラした瞳で観察していた。
たぶん、おやつを探しているのだろう。
わたしは微笑ましさを感じつつ、息子のためにエコバックからおやつを取り出そうと考えた。その時だった。
「たまご、ちょうだい」
と、息子がわたしに言ったのだ。
息子はいつの間にかイスの上に膝立ちをして、テーブルに並べられた食材を空を舞う鷹のように眺めていた。視線の先にあるのは10玉入りの白い卵があった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「たまご、どうしたいの?」
本来なら息子を「行儀が悪い」と叱るべきなのだろうけど、わたしは息子が卵でなにをしたいのか興味を持った。
「あたためて、ヒヨコにする」
あぁ、なるほど。
無精卵と有精卵の意味を知らず、卵の黄身が、あたためればそのままヒヨコになるという単純さと純粋さに、わたしは少し言葉を詰まらせた。
「あのね、ゆーくん。ヒヨコさんはね、おかあさんニワトリとおとうさんニワトリがいる卵じゃないと生まれてこないの。わたしたちが食べている卵はおかあさんニワトリしかいないから、ヒヨコは生まれてこないのよ」
わたしはなんとか、わかりやすく有精卵と無精卵の違いを息子に伝えようとした。とりあえず、わたしの説明で【たまごをあたためてヒヨコにする】というムダな行為を諦めて欲しいと願いながら。
「おとうさんとおかあさんがいないと、ヒヨコうまれないの?」
「うん、そうよ」
「けど、ゆーくん。おうとさん、いないよ?」
「…………っ」
思わぬ飛び火に、わたしはびっくりしてしまった。
「おとうさんとおかあさんがいないと、うまれない? ゆーくん、うまれちゃ、ダメだった?」
「! そんなことないわ。ゆーくんは、生まれてきてよかったのよ。本当よ」
わたしは慌てて即答する。子供だと侮ることもなく、真剣に祐樹の顔をみると、きょとんとした顔にじわじわと笑顔が広がっていくのがわかって安堵する。
少し乱暴に頭を撫でて、イスに膝立ち状態の息子を覆いかぶさるように抱きしめると、身を沈めて卵をあたためる、メスのニワトリの姿が脳裡に浮かんだ。
トンビの子じゃなくてもいい、鷹の子じゃなくてもいい。
この子は、わたしに幸せを教えてくれた青い鳥だ。
羽毛のようなやわらかい息子の髪の感触を、頬に感じながらわたしは言う。
「おとうさんとおかあさんは、サギとニワトリだったから住む世界が違った。だから一緒に住めなかったのよ」
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