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Ⅰ
満月の夜である。
あの日から数えて7年目の満月だ。
本当に本当に、この日を待っていた。焦れるように見上げていた6年間はうんざりするほど長かったが、そんな夜も今日で終わり。
あの日から7年、あたしはとうとう、"姉さん"に会いに行くんだ。
欠けることを知らない、できたての円い月が灯台のように、中庭の土もレンガ造りのこの城もまるごと照らしている。
その灯台の作り出す影の中を急ぎ足で歩いていく。中庭に面した渡り廊下。厳選した最小限の、それでいて頑丈な武具の擦れる音に気をつけながら、馬社を目指し歩を進める。
と、前方に気配を感じて足を止めた。
「出てらっしゃい」
小声で目の前に連なる柱の影たちに囁きかける。すると存外すんなりと、柱の影の一つが、人の頭の形を作り出す。
「こんばんは、姫様」
ハープのような柔く甘い声を聞き止めた瞬間にあたしの心臓は一瞬止まる。
一番、あなたで良かったと思える、同時に、一番会いたくないと思っていた人に見つかった、と思う。あたしの従者であり、幼き頃より特訓相手でもある親友。
「月がとても綺麗ですね。お散歩ですか? どちらまでゆかれるのですか?」
だから会いたくなかった。この子に嘘は通じない。
彼女の最も得意とする魔法は言霊、レベルはきっと我が国内最強。それどころか言霊の魔力が強すぎて制御できておらず常時発動型――端的に言い表すと、発した言葉が大体そのまま現実になってしまう。言葉のプロフェッショナルである彼女は言葉に至極敏感であり、人の吐く真偽が感覚で分かるというのは本人談だ。ついでにあたしより使える魔法の数も多い。
「散歩じゃないって、あなたなら分かるでしょう」
「ええ。散歩よりももっと目的のある足取りでございますので」
「……今夜外へ出る。今から馬社に行くの。そこを通して」
「何故か聞いても構いませんか?」
あたしは息を一つ吐く。月の光が形を変える。
「”姉さん”を見つけに行く。この日のために特訓してきたんだ。止めるなら、あなたでも、力づくで」
二息に言い切り若干腰を落とす。沈黙。後に呼吸音。
「御自分がどちらへ向かおうとしておられるのかご存じでおられますか? 相手は魔境、”不見の渓谷”です。大まかな方角のみで、どこに存在するのかも分からない。道中様々な恐れもある。とても姫様をお一人でゆかせるわけには参りません」
その物言いの端に違和感を覚えたが、影が動いたので意識を戻す。
瞬間瞠目した。
「わたしも連れて行ってくださいまし」
月明かりの下、武具を身にまとったノエルがそこにいた。
「あなた今しがたその口で言ったでしょう? 何日かかるかも分からない、道中何もないなんて思われない不見の渓谷。妖魔がはびこる先で相見えんとしているのは……死ぬかもしれない。あたしはその気でいるの」
「あら、姫様が倒れられたら、お会いになられるというその想いを達成できませんよ。だから姫様は倒れません。だから従者のわたしも倒れません」
屁理屈をこねて、おおよそ彼女らしくない。そう言うと、今は理屈なんていらないとやけにきっぱりとした答えが返ってきた。
「姫様の盾くらいにはなれます。それと話し相手にも。きっとお役に立ちますわ」
そう、ふわりと笑いかけられる。
妙なことになったと思う。決行しに行くこれは命令でも義務でもない。あたしなりのけじめであり、通過儀礼のようなものである。
「それにわたしも、可能性があるなら”ねえ様”にお会いしたいのです」
すると、すっと笑みを引っ込めて、その目が真剣な光を湛えた。
あたしはノエルをじっと見る。ノエルもあたしを見つめている。
結局、月の光がまた出てきたところで根負けした。
「分かった。ついてらっしゃい。あなたにもあなたなりの信念があるのよね」
言うと、形の良い唇がにっこりと曲線を描く。
「光栄に思います」
決まりだ。ところで気休めでもやっておかねばならないことがある。
「あなた、魔法は未だにコントロールしきれないで常時発動なのよね?」
ノエルの眉が寄る。嫌なところを突いたと思われただろう。構わず、彼女が口を開く前に厳かに言い放つ。
「今、あなたの”言葉”の前に誓う。あなたを死なせたその時、あたしも一緒に死ぬわ。そのかわり、道半ばで倒れないと誓って」
あたしの言葉に彼女が瞠目し、けれど唇をひき結び頷いて、ここに小さな捜索隊が結成された。あたしたちを見下ろす満月が唯一の証人だった。
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