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 方位磁針の針がゆるゆると回っている。  方位磁針といえどただのそれでは勿論ない。城内の魔法武具庫より拝借してきた代物で、その針はより強い魔力を求めて方角を指し示す。今回お求めの”不見の渓谷”の統治者のレベルが計り知れないので取り敢えずランクを『S』に設定し、川を5度程超え街や村を9度程通り抜け無名の共同墓地が佇む野原を歩き荒野を駆けここまで遮二無二やってきたわけだ。  不見の渓谷、その統治者。生ける伝説。通称、”蒼染の星竜”――ドラゴンである。この土地のどこか一帯を管理・守護しているらしいそいつの傘下には東西南北百種百様の妖魔たちが集っているという。城の図書室の本を漁って見つけたこのドラゴンと我が国の因果関係は、それなりに深い確執の元にあった。それに、姉さんも巻き込まれた……  さて、そうして城から見てほぼ北方向にやってきた。この度針はぐるぐると回っているので目的地もしくはその付近ということになるのだが…… 「これほどノーヒントとは……」  周りはひたすら森、森、森。木立の影にはボガードたちの気配が在り、色とりどりのキノコがぼこぼこ生えている。そんな森の中の何もない空間にあたしたちはいた。木も草も生えていない、童話だったら真ん中に苔むした倒木か切り株が在るところだが、本当にこの空間にはなにも無かった。風が、心細さを煽るように音を立てて通って行く。  ふと気配を感じ振り返ると、果たして男が一人、立っていた。一体いつから? 腰に佩いた剣の柄に手をかけ身構える。  褐色の肌、深く蒼い目、(おお)きな身体。どこか楽し気な微笑みを湛えたその顔は好奇心からくるものか。いやそんなことはどうでもいい。緊張と恐怖が一気に膨張する。どこかから妙な金属音が聞こえる。  人ではない、妖魔だ。 「……~~~~」  ノエルが魔語で話しかける。  気持ちは分かる。穏やかな笑みを湛える目の前の男性からは、その手の者なら解る、隠しきれていない魔力が零れてしまっているのだ。 「人語でいいよ。分かるし話せるから」  耳障りの良い少々高めのバリトンヴォイス。喉がからからなのに飲み込んだのは息ばかりで情けない。 「……失礼いたしました。貴方はとても御力があるようですので、つい」 「全然失礼じゃないよ。オレを一目でヒトではないと判断したところきみたちは相当な実力者とみた。そんなお嬢さん二人組が、こんな辺境にどのようなご用件かな?」  男性の問いにノエルがちょっとあたしに視線をよこす。それを見返して、肯定とした。 「……リズという女性を知ってらっしゃいますでしょうか。どんな些細な話でもいいのです」  リズ――それが姉さんの名だ。蜜色の豊かな髪、アクアマリン色の目が優し気に細められる様を思い出し胸がつきりと痛む。  ところで、姉さんと呼んでいるが血縁関係にはない。ノエルとも血縁関係にない。幼い頃より親しんだ、教会のお姉さんだ。他人なのに何故危険を冒してまで探し、のか、と人によっては思われることだろう…… だが、ことに理由なんて必要だろうか? 少なくともあたしはそう思うのだ。敢えて答えるとするなら、大切だから、だ。 「リズ、ねぇ。どんなヒトだい?」 「アクアマリン色の瞳を持ち、ブロンドの髪はおそらく三つ編みの一つ結い。7年前の身の丈は丁度あたしたちと同じくらい……7年前、彼女はこの地に来た。我が国の悪習のために」 「悪習」  男性が首をかしげる。揺れた髪から覗いた耳は、丸い。 「その昔、祖先がヘマをして怒らせたドラゴンへ贄を捧げるんだ。”花嫁の儀”なんていかにもそれらしい名をつけて。笑えるだろう?」  “花嫁の儀”――我が国の悪習。祖先の犯した罪。その昔、ドラゴンの領地を侵略しようとしただか宝物をとろうとしただかでドラゴンの逆鱗にふれ、以来人知れず贄を捧げ続けている。歴史書によると我が国はその昔、第5代までは鉱石貴石の卸を生業としていたという。ギルドも存在しており中々力があったそうだ。が、その5代目国王の代より第二の名物であった薬学、人材育成の方面に力を入れ始め、8代目になるころにはほぼ宝石業からは手を引いた状態であったという。有限な資源産業よりも永続的な技術継承にシフトチェンジしたことは国民には喜ばれたことだったろうが、その実情は国の黒歴史の隠蔽だ。  その沈黙の悪習が6年前、姉さんが”お嫁”に行った次の年からぱたりと止んだ。あたしはその年、奴の使者であろうシルフィードを見ている。姉さんがあちらで何か働きかけたのは明らかだった。だからそれを確かめに、、、姉さんの生存を確かめに二人ここまできた。 「笑わないよ。……7年前ともなると、その探しているヒトは生きているかも難しいのではないかい? 見つからなかったらどうする?」  その言葉にあたしはきっと男を見据えた。 「見つからなかったら、じゃない、見つけるために来たんだ。生きていれば連れ帰り、死んでいればその菩提を弔う」  悠長なやり取りだと思う。だが会話を途切れさせるわけにはいかない。戦士の勘がこいつを逃してはいけないと叫んでいる。  ややあって、男は顔をあげた。 「あげないよ。あんな綺麗な人間、たとえそれが祖国の人間相手でも」  言いながら男が片手を挙げ、(くう)を撫でる。わっ! とノエルが声を上げる。旋風が湧き起こりあたしたちの身体が宙に浮いていた。不意に気付いた、この異音の正体に。これは方位磁針の針の音だ。魔力をカンストして狂ったように回転する針の音だ。 「それでも諦めきれなければまたおいで。今度は開けて待ってる」  完全に飛ばされる瞬間、目を潰されそうな風の層の中から垣間見た男の姿は、なにも無い空間へ足を踏み出し、消えた。 ――  生暖かい鼻息とこれまた生暖かい舌の感触に目を開ける。森の外に置いてきたあたしたちの馬だ。少し離れたところで同じようにノエルも顔を()まれていた。馬の鼻づらをなでながら、それでもあたしの目は負の興奮と正の興奮とで冴え冴えと光っていた。  姉さんは存在している! 状態はどうであれ存在している! ならばなんとしても助けてあげる。古城の地下、その最奥の宝物庫、形様々な宝物たちの奥で光を放つ巨大なクリスタルの中に美しい姉さんの身体――嫌な想像ばかりが脳裏を駆け巡る。早くしなければ。相手は間違いなくあの男。どこがS級だ、S3クラスは見積もれる。がむしゃらに突っ込んでいけば確実に死ぬ。逸る気持ちを抑えながらも確実な勝利のため、向かうべき場所、その方角へ足を踏み出した。
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