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 鬱蒼とした森を抜け、待っていたのは壮大な渓谷だった。その谷元の平坦な場所で、あたしたちは3日ぶりに見る男と対峙している。勿論、馬たちは置いてきた。  本当に”入り口”が開いていた。あの何もない、木を抜き取ったような空間をくまなく歩き、ある瞬間に足場がなくなったかのような錯覚を感じたのだ。足を滑らせたと思ったが、二人滑り落ちた先に待っていたのは見知らぬ土地だった。 [さあ、おいで]  風の中にそんな声を聞いたあたしたちは気持ち改たに、奴のフィールドに足を踏み入れたのだった。 「リズに会いたい?」  見返り、男の蒼い目があたしたちを捉える。 「でもきっと、会いたいだけじゃなく連れ帰りたいんだよな」  剣の柄に手をかける。ノエルの両槍が組み合う音を耳が拾う。 「あたしたちは、”花嫁の儀”を快く思っていないのでな」  沈黙――浅い呼吸音。風の音。自身の心臓の鼓動。河のせせらぎ。たくさんの気配。 「悪いが、オレもリズを手放したくない」  睨み合い。 「……あんたは、リズ姉さんの何なんだ」  思いついた勢いで問いかける。ほんの気まぐれ、ただの戯れ。案の定ノエルが横目で見てくるし、男はきょとりと目を瞬かせた。 「何故あんたは姉さんに固執する」  重ねて短く問うと、逡巡するように奴の唇がもごりと動く。その迷いは遠慮か、嘘の生成か、はたまた”本心を伝えたところで信じてもらえるのか”といった疑念か。  やがてまどろっこしい唇が開かれた。 「好きだから。……って言ったら、どうする?」  刹那、血潮が逆流を起こした心地を抱く。激情が、その他全ての感情を飲みこみ、溢れる。 「いつの世もドラゴンは、美しいものや宝物がお好きなのでしょう?」 「お前のそれは、所有欲の類だろう……!」  両槍が(くう)を切り、ロングソードがしらと光る。魔力なんて抑えている余裕がない。が、男の表情は依然変わらない。 「宝物には違いない。けれど命あるものが芸術品の如く動かないのは味気ないだろう?」  話し合いにはならないか、と困った風に眉をひそめる。男は目を閉じた。 「一本勝負だ。始めよう」  目を開けた男の顔に、蒼いもの――鱗が出現する。ざわりと魔力が溢れ、空気が震えた。あたしたちは同時に地を蹴った。
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