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 考えなくはなかったのかもしれない。それを見ないふりしてきただけだ。現実味が薄過ぎるがために、可能性から切り捨てただけにすぎなかった。  ……いや、そんなのは言い訳だ。本当は一番恐れていた可能性だった。  だってそんなのあんまりではないか。あたしたちの戦う理由が最初から存在していなかったなんて。 「こんなのって……」 「アリなわけあるかー!」  先程までの疲れはどこへか。あたしは両掌に雷を溜め現在人間姿のドラゴンに当たりかかった、はずだったのだが、その雷光は姉さんが繰り出した”光盾(コート)”によってはじかれてしまった。呆然とする。そんなに特別になってしまっているのか、この7年で、その竜が。 「操られているに違いない! あの日から7年、この魔境で人が無事で済むものか! これは幻覚で悪い夢、姉さんは、目の前の姉さんは……」 「ねえタバサ、強くなったね。……今のあなたなら解るでしょう?」  そんな魔法が私にかかってないって――声には乗せず言外に、そう紡がれた気がした。  解る、解る、だから悔しいのだ。だから空しいのだ。こんなに自分のレベルを呪ったことはきっとこれから先も無い。 「それに私はすっかり花嫁として御国を出た身よ。今更私が戻ったとして何と思われるかしら」  ああ、7年前、姉さんは遠くの町にお嫁にいったことになっており、街の誰もが馬車の中、白いドレスに身を包んだ姉さんの姿を見送ったのだ。 「街のみんなが何よ……ソルミル卿のお顔、見るたびにやつれているの。彼を安心させたいと思わない? 会いたいと思わない?」  ソルミル卿――国王文官補佐官で、姉さんの実父。彼の口から姉さんの名前が出なかった日など記憶する限り一度だってない。「会いたいわ」と姉さんが静かに言った。 「なら戻ってきてよ、姉さん。また教会の子たちに本を読み聞かせて、あたしたちにお菓子を教えてよ」 「ねえ様、わたしたち、ねえ様ともう一度会いたくて、ねえ様を取り返したくて特訓を重ねてきました……だのにねえ様がわたしたちと、同じ気持ちじゃないとすれば、わたしたち困っちゃう……」  “ごめんね”  表情だけで伝えた気になって、ずるい人だ。  昔からそうだった。正しい綺麗な心の持ち主なのに、教会の孤児たちと他愛ない悪戯をしたり、見つかったら怒られそうなことも平気でやって。”いい子にばかりしていても疲れるでしょう?”と笑ってチェリーを啄んで。シスターのような見守り手なのに、大切なことは自分で決めようと教え、肝心なことをぼやかして。  ……だからあたしはあなたが好きなのだ。  剣を拾い上げ姉さんの首元へ柄を構える。子供の頃からの、真偽を問いただす際の型である。 「……ドラゴン、それは強大あるいは超自然的な力を持つ爬虫類系統の大型の魔物。鋭利な爪や牙を持ち、その多くはコウモリのような翼で空を飛び、しばしば炎や毒の息を吐くとされる。地下世界で生まれ落ち、特に大地系の魔力は強大。その性格は獰猛、僭上(せんじょう)、高潔。美しいものに目がなく、気に入ったものは力づくで奪い取る。傲慢甚だしく、思い通りにならないと荒れ狂い、生物をいたずらに殺し、地を割り、毒を流す……」  伝承、噂は一番簡単な洗脳だ。子供だったあたしたちは一音一句違えずそれを覚え、その脳みそのままに大人になった。そのままに大人になってしまった。  事実、務め柄様々な妖魔と対峙してきた。ダークエルフ、ゴブリン、オーク、オーグル、ヘルハウンド、ドラゴン……刃を向けるのを躊躇わない邪悪な魔物たちを成敗してきた。だから「花嫁の儀でドラゴンの元へ行った」と知ってネガティブな発想に至るのも無理はないと言わせてもらいたいのだ。  ただ、今そこに新たな見解が一行、増えただけだ。 「だが個体によってはこの限りではない」  周りの気配が息を飲むのを感じた。 「姉さん。あなたは、この竜が、好き?」  二呼吸分の間。アクアマリン色の瞳が優しく潤むのに気付けなかったら良かったのに。 「うん」  あたしは姉さんをじっと見る。姉さんもあたしを見つめ続ける。  柄を下した。浮かべた微笑みは自分でもそうと分かるほどにぎこちないものだった。  次にドラゴンの前に向き直り、今度はその刃を首元に添える。 「次はお前。心からの言葉のみで答えなさい。本来ならば妖魔と人間は交わらない。ましてや姉さんのような美しい人、お前が触れて良い存在ではない。……たまたまだ。いろんな可能性が生み出した偶然の産物」  あたしは運命なんて信じない、と気丈に言い切る。 「道中様々な分岐が織り成した数千分の一だ……お前は様々な人間を見てきたと思う。殺したいほど嫌な奴も、実際食らった奴もいたことだろう。この人はそんな何千何十万のうちの、ただ一人だ。なぜ姉さんなんだ」  竜の蒼い眼があたしを射抜く。負けじと、睨み返す。数呼吸分の沈黙ののち、せき込みながらも竜の相好が柔らかく崩れた。 「惚れてなければ、この女性(ひと)はとっくに、オレの腹の中さ」  ああ、もう。  解ってしまった。充分だ。”ひと”と呼んでくれた、ただこれだけで、縛り張り詰めていた糸が解き落ちてしまったことに気付いてしまった。これでもう理由がなくなった。  でも本当はきっと知っていた。この目で見、言葉を聞くまで、あたしが諦めきれなかっただけだと。ノエルはどうか知らないけれど、きっと彼女も理由が欲しかっただけの二人旅だった。姉さんを連れて帰りたいという気持ちは本当。でも、それに姉さん自身が答えてくれなければあたしたちのエゴとなり果てる。  まさにこの旅はけじめの儀式だったのだ。あたし自身の、一個人としての踏襲するべき通過点だったのだ。  そしてその答えが目の前の二人だ。7年、死なず、意思もいじられず、ありのままの姉さんが7年、ドラゴンの隣で笑って生きている。それこそが何よりも強い証明だった。  何でこいつは伝承通りの完全悪じゃないんだろう。何で相手がこいつだったんだろう。さもなければこの首を切り落とすことは簡単だったのに。  グルマルキンの金切り声もかくやというような声ならざる声を上げ、とうとうその場に泣き崩れてしまったあたしはもう、泥棒、泥棒 と幼子のように罵る力しか残っていなかった。
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