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「あたし、一体誰に怒ればいいんだ?」  おおよそ300年分の”誤解”を1時間ほどたっぷり聞き終え零した第一声がこれであった。あたしたちは()の竜の屋敷に招待され、香りの良い紅茶と姉さん手作りの焼き菓子のもてなしを受けていた。  一時の穏やかなティータイム。給仕してくれているヤギの悪魔と血や焦げ跡だらけの甲冑ばかりが非日常だった。姉さんのお菓子は相変わらず美味しくて懐かしい。懐かしいと感じるほどに離れていたことが垣間見えて切ない。  ノエルはうっとりとお菓子を頬張っている。この子のことである、いつその口から「ねえ様の味だ」などという形容が飛び出してくるかと正直ハラハラする。 「原因も結果も全部先人のせいじゃない。耳障りのいい言葉ばかり使って、全部こいつの所為にして、そんな大衆言語の影に隠れてあたしたち後継者に面倒を押し付ける。だから故人は嫌いなんだ」 「うふふ、タバサ、今のあなた歴戦の豪傑みたい。王女様の気品も形無しよ」 「今はそんなこと言わないでよ」  あたしはふてくされ紅茶を口に含む。口の内を切ったと思ったが、感じるのは痛みではなく心地のいい温度だ。口の内で転がすと、馴染んで、良い香りばかりに満たされる。 「あんたが加減をしていたこと、気付いていたよ。嘗めやがってって思ってたけれど、何故か聞いていい?」  目線を竜に投げると、彼は言葉を選ぶように目を伏せ、やがて真っ直ぐにあたしを射抜いてきた。 「リズからきみたちの話は折々聞いていた。成長したら絶対こんな感じだろうってイメージぴったりだったから一目できみたちだと思ったよ。だから……殺しちゃったらリズが悲しむだろうと。怪我くらいで帰ってもらおうとそれだけを気にしてた」  舌打ち一つ。ガラ悪っ! と竜がのけぞった。 「こっちは文字通り必死だったのに、これでは最初から勝敗が決まっていたようなものじゃあないか! というかそんな加減で本当に死んでいたらどうしていたんだ!」 「でも死んでないぜ? オレもきみたちも」  にやりと笑うその端正な顔を殴りたくなる。 「ところでスピカ、私からも物申します。何故私にも黙っていたのですか?」  あたしの斜め向かい、竜の隣の姉さんが彼をむくれたように見つめると奴はぴくりと肩を震わせた。その顔は苦笑に変わっている。  はっとした。この図は、この姉さんの表情はどこかで見たことがあると。そうだこれは……何かやらかした教会の子をしかる時の姉さんだ…… 「数日前、何となく何かあったなとは思ってましたよ? 聞きましたよ? はぐらかしましたよね? こんな大事な案件だなんて、戻ってきて丘に飛び出して、まさかと思いましたよ? 何故隠したんですか?」 「だって、、、久しぶり、会えてよかったで済む気迫じゃなかったし……もしも、お嬢さん二人の説得にリズの心が揺らいだら、勝ち筋薄いじゃないか……オレだってリズを手放すつもりはない。けどそうなった場合オレは何て言って引き止めたらいいのか……」  瞬間瞠目した。まるであたしたちが強く出れば姉さんは心変わりすると言っているようなものだ。姉さんが生きていても死んでいても取り返すつもりだったあたしたちは寧ろ、それすら叶わないパターンも頭に入れて、だからつい今しがたまでこの竜と一戦交えていたというのに。この竜の中であたしたちの評価が高すぎやしないだろうか。この竜はあたしたちを何だと思っているのだ?  お馬鹿さん、と姉さんから愛の言葉(申し訳ないが内容が全く頭に入ってこない)を真っ向から受ける竜に頃合いを見計らって問いかける。すると…… 「何でって、きみたちはオレの愛しいヒトの、大切なヒトだろう」  なんて、さも当然のように返されてしまった。  返ってきた返答に面喰う。横目でノエルを見やると彼女もあたしを見ており、視線がかち合った。彼女の唇が”嘘じゃない”と動いた。  やおら可笑しさが込み上げてきて、あたしたちは笑いだした。  この竜は、この竜は! お人好しが過ぎるのではないだろうか? 初めて会ったくせに、あたしたちが姉さんの大切な人だからと、だからあたしたちが説得したとして姉さんの気持ちがこちらに傾くケースも無くはないと、さも当然のように言ってのけた。7年も一緒にいたくせに、姉さんがあたしたちをとると望めば手放すことも考えるというのか?  何を言う、そんなの寧ろあたしが叱り飛ばしてやる。それしきの覚悟で姉さんを守れるか、意地になってその手を掴めと叱り飛ばしてやる。  全く人間よりも人間くさいというか、らしくない。ドラゴンらしくない。こんなに優しい心の持ち主がこの世界にまだいたのか。こんな奴には……姉さんのような、自分の想いを引き出してくれる人が必要だ。  滅私のドラゴンと慈愛の乙女。タイプの違う優しい者同士が出会ってしまった。どうしよう、腑に落ちてしまった。姉さんにこの竜で、この竜には姉さんだということが、しっくりきてしまった。それが堪らなく悔しいのに、とてつもなく愉快なのだった。  姉さんもつられて笑っている。星空のドラゴンだけがきょとりと、何が何やらといった顔をしていた。 「こうしてゆっくりと見てみると、お二方は結構お似合いのようです」  一頻り笑い終え眦を拭ったノエルがぽそりと呟く。つい彼女の顔を覗き見た。 「先ほどは興奮してものごとを見る暇がございませんでしたし、わたしの今までが崩れ落ちていく心地に苛まれ、激情の只中でしたからとても冷静ではございませんでした。ねえ様をさらっていったあなたは腹立たしいですが、まあ折角ですし、ねえ様が信じた方を信じてみようかと……今すぐは難しいですがね、こういうことです」  そう締めた彼女は、口は笑っていたが目は真剣だった。 「あなたに先にそんなことを言われたら、あたしも許すしかないじゃない」  色々な感情が生まれては溢れ、膨らみすぎた感情をさっぱり消化できない。「ありがとう、タバサ、ノエル」と言う姉さんの声を受けながら、あたしは次のクッキーに手を伸ばした。 ――  実は結婚式はすでに挙げたのだと言うスピカ竜にとうとう我慢ならず鉄拳をお見舞いするも片手で受けられ睨みながら席に戻る。「ねえ様の晴れ姿ー!」と慟哭するノエルを姉さんが宥める。 「挙げたのは妖魔式の結婚式なの。私だってあなたたちのことを忘れるなんて薄情者じゃあないわよ? スピカが人間式のもやりたいって言ってくれて、今はゆっくりその準備をしているところなの」 「本当ならすぐにでも、リズの大切なヒトたちを少しだけ呼んで執り行いたかったんだが、中々小難しくてさ、人間式の結婚式。中でも『牧師様もしくは”言葉の栄誉魔法使い”が式を執り行う』っていうのが難題で。牧師様は絶対無理だから是が非でも後者を見つけなければいけない。だが知る限り、ここ数年来言葉のスペシャリストは輩出されていない。  そこで占いを得意とするやつに占ってもらった。そいつは燃費が悪くて4年に一度しか起きていられない。きみたちと鉢合わせた数日前は、その帰りだったわけだ」 「占いの結果というのが、”言葉の栄誉魔法使いは出現する。そう遠くはない”とのことで。でも特徴も出現地も分からないのですって。これは長くなるなって、最初から焦らず臨むことにしたの。本当はとっくに二人や父様宛の招待状、できているのよ」  話の途中から、隣でノエルがむずがっていた。のでつい”読み取って”みた。 [わたしとっても近いところにいるのに、その役目にはなれないんだわ……]としょげている。  あたしは迷った。が、それも一瞬のことで、悪戯心が勝ってしまった。 「その招待状、あたしたちが持ち帰って構わないわよ」  この竜を喜ばせるのは不本意だが。 「ノエル、あなた来年、その”言葉の栄誉魔法使い”に任命されることになっているから。あなた来年の今頃は『魔法使い協会』本部へ赴くの」  姉さんとスピカ竜が目を丸くする。当のノエルは紅茶を吹き出した。あたしは想像通りの光景ににんまりとした。 「はい??」 「何であたしが知っているかって? 数週間前に父上から聞いたの。新しく専属の従者を一人増やすべきかもなんておっしゃるから、理由を聞いたらこうだって。栄誉魔法使いに地理的な束縛はないし急な召集もないらしいけれど、念のため、あなたの精神的な負担も少ない方がいいって。もちろん、面会を受けてかららしいし、あなたに栄誉魔法使いへの拒否権はある……だけど今の話を聞いた上で拒否する気になれる?」  愕然とした表情で口元をぬぐっていたノエルは、言ううちに頬を赤らめ目を輝かせた。 「なります! 喜んでお受けいたします! 姫様の従者もやめません! ああ、わたしはきっと、今この時のために、魔法を勉強していたのですわ!」  やっと理解が及んできた姉さん夫妻がノエルの手を握り、あたしはますます愉快な気持ちになるのだった。
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