余命を買い足して

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 病室に横たわる男は絶望の淵にいた。  その日、男は余命宣告を受けたのである。  余命一か月、それが医者が告げた言葉だった。  確かに健康に気を使い始める年齢ではあったが、それにしても早すぎる宣告だった。突然生じた腹部の痛みに病院に飛び込み、いくつかの検査を経て、医者の前に座った。てっきり仕事のストレスによる胃腸炎か何かだと思い込んでいたが、暗く神妙な顔つきをした医者は、静かにそれを告げた。  なぜ俺がこんな目に合わなくてはいけないのだろうと、男はベッドの中で血が出るほどに唇を噛んだ。男は一代で築き上げた会社が、ようやく軌道に乗り始めたところだった。確かに今まである程度の金を得て、いくらかの贅沢も経験してきた、楽しんできたが、肝心なのはこれからではないか。莫大な金を手に入れ始めた俺は、これからもっともっと素晴らしい人生を送っていくはずだった。好きなものを好きなだけ買い、美味い飯や酒を浴びるほど飲み、とびっきりの美人を捕まえるはずだったのである。なのになぜ俺はこうして、たった一人暗い病室の中で、ひっそり自分の死を待たなくてはならないのだろうか。 「……まだ生きたいらしいな」  どこかから聞こえた声に、男は勢いよく身体を起こした。ここは一人部屋のはずである。今のは幻聴だったのだろうか。だがそれはあまりにも鮮明に聞こえすぎていた。 「死にたくないだろう?」  病室の隅の影から、ふらりと何かが現れた。その姿を見た男は声を震わせながら、「……死神か」と呟いた。 「ご名答。流石社長だ、見る目が良い」 「俺の命を奪うつもりか?待て、俺はまだ余命一か月のはずだ」 「そんなもの医者が勝手に言っていることだろう?知ったこっちゃないよ」 「待て、待ってくれ、そんなのあんまりじゃないか」 「安心しなよ。今のはちょっとした悪ふざけだ。今日はお前に、良い話を持ってきてやったのさ」 「良い話だと?」 「残念ながら死神の目から見ても、お前の寿命があと一か月ほどしかないのは間違いが無い。だがそんな寿命を、伸ばせるのだとしたらどうだ?」 「……そんなことが出来るのか?頼む、頼む!」  男は思わず死神に駆け寄りそうなほどだった。そして死神は男に続きを話していく。 「お前に寿命一か月、売ってやるよ。それでお前はもう一か月生きれることになる」 「……それはほんとか?」 「勿論さ」  すると死神は男に、余命一か月の代金を告げた。それはかなり高額な値ではあったが、男にとっては無理なく払うことの出来る額だった。 「いいかい?別に病気が治るわけじゃあない。ただその辛い身体のまま、あと一か月寿命が延びるだけさ」 「少しでも長く生きれるなら構わない。しかし驚いたな」 「驚いた?」 「死神が金を欲しがるなんて知らなかった」 「ふふふ、地獄の沙汰も金次第と言うだろう?死神だって金は欲しいさ。では明日の晩またここにやって来る。それまでに金を用意するんだ」  次の日、男は部下に急いで金を持ってこさせ、死神を待った。 「確かに受け取った。では今こちらも寿命を伸ばしてやったぞ」 「ほんとか?ほんとに伸びたんだろうな?」  男はそれからの一か月を、おびえながら過ごした。確かに死神から寿命を買ったとはいえ、まだ信用がならなかったのである。そして男は震えながらも、一か月は無事に過ぎ去った。それから数日が経っても、男の病状は急激な悪化などは見せず、どうやら余命一か月は外れたようだった。男は死神に感謝し、そこでようやく死神を信じた。だが同時に男を襲い始めたのは、これでいよいよあと一か月もすれば自分が死んでしまうという事実だった。 「調子はどうかな」 「……死神!」  死神は再び男のもとに現れた。その途端、男は懇願した。 「頼む!また俺に寿命を売ってくれ!金ならいくらでも払う!」 「落ち着け。今日は勿論その話をしにきたんじゃないか」  死神は再び男に寿命一か月の金額を提示した。前回に比べその額は倍ほどになっていたが、男はすぐに首を縦に振った。 「ではまた明日の夜」  男はまた部下に金を持ってこさせ、死神に寿命の代金を払った。そして男はそれから心地いい一か月を過ごした。なぜならもう死なないという確信を手に入れたからである。病室にこもりっきりとはいえ、男はそんな幸せに浸りながら時間を過ごしてた。  だが一か月が経てば、死が自分のすぐそばまでまた近づいてきていることに気づく。そして男はまた死神が現れることを祈った。 「来たぞ」 「死神!」  待ちかねた男は叫んだ。さらには男の傍らには、既に大金が用意されていた。 「今回はいくらだ?前回よりもたっぷりと用意したぞ。それで相談なんだが、寿命のまとめ買いなど出来ないだろうか?一々こうやって買うのもお互い面倒だろう」 「いいや、寿命のやり取りは一か月ごとだ。またこうやって俺が現れるのを待っていることだ」  その言葉を聞くと、男はひどく喜んだ。一か月ごとに買い足さなければいけないとはいえ、死神が毎月決まって自分のもとを訪れてくれることが分かったからである。  死神はまた前回よりもいくらか増した金額を要求し、男は喜んでその金を差し出した。男はまた無事に一か月、寿命を伸ばしたのである。 「驚きましたね」  定期的に病室を訪れる主治医は男にそう呟いた。その主治医は男に余命を告げた張本人である。 「ええ、まだまだ死ぬ気がしませんよ」 「なんだか余計な心労を与えただけのようで本当に申し訳ない。けれどもまさか余命宣告よりも半年も長く生きるとは」 「全く不思議ですね」 「けど着実に進行しているのも事実ですから、まだ気を抜かずにいきましょう」  それからも男は死神から寿命を買い続けた。確かにかなりの高額であるとはいえ、男にとってはまだ払える額が続いていた。そして男が余命宣告を受けてから、一年が経とうとしていた。 「随分とひいきにしてくれるあんたに、とっておきのサービスをしようか」 「サービス?それはどういうことだ死神」  いつもとは違う死神の言葉に男は食いついた。そして死神は思わず耳を疑うようなことを言いだした。 「余命三十年、売ってやるよ」 「……それは本当か?」 「ああ、しかも一旦病気も治してやる。その上で三十年だ」  男の心は狂喜乱舞だった。病気が治ったうえ、あと確定で三十年生きれるとあれば、他に何を望むであろうか。 「ただ今回はかなり高額になっちまう」  死神が告げた額は、これまでとは比べ物にならないほどのものだった。男は一瞬、はたして今の自分がそんな額を払えるだろうかと不安に襲われたが、ありとあらゆるものを手放せばどうにでもなるだろうと、すぐに死神にそれでいいと頼みこんだ。いくら会社や金の全てを失おうとも、充分な寿命さえあれば、いくらでも取り戻せるであろうと思った。 「少しだけ時間をくれないか。必ずその額用意する」  男と死神は一週間後を約束とした。その次の日から男は病室に会社の部下達を呼び出し、自分が会社を手放すなどしてありったけの金を作ることを告げた。そしていくらか持っていた土地や車なども手放す手続きを行い、死神を待った。 「……死神。お前に言われた通り、全額指定された口座に振り込んでおいた」 「ああ、さっき確認させてもらった。これで寿命三十年と健康はお前のものだ。病気の方は一瞬でとは言えないが、これからゆっくりと完治するだろう。まあ一か月もすれば退院できるさ」 「本当か!?」  男は随分と細くなってしまった両腕を上げて喜んだ。少しずつではあるが病魔は男の身体を蝕み続け、もう随分と男は衰弱しているところだった。 「ああ、今までありがとうよ」  それから一週間ほど経った頃、男は死んだ。  空になった病室で、主治医の男と死神が話している。死神は身体の仮装を脱ぎ捨てる。死神はどこにでもいるようなごく一般的な男に過ぎなかった。 「先生の予想、ちゃんと当たりましたね」  死神だった男は嬉しそうに医者に言った。 「ああ、そろそろ死ぬ頃だろうと思ってたからね」  医者はそう言い、そして二人は高笑いを、空っぽの病室の中に満たした。
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