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男達は車内で画面を眺めていた。そこに映っているのは、今まさに試合が始まろうとしているボクシングの試合中継である。
「ほら、これが奥さんと子供だ。大事な防衛戦だ、ちゃんと見に来てる」
川崎が画面に映る観客席の女性とその横の小さな子供を指さす。二人の下には小さなテロップで、彼女らが現王者の妻子であることが示される。
「この家の家族構成はボクサーと妻、子供が一人だけ。つまりは試合中の今、この家はもぬけの殻ってわけだ」
川崎のその話を聞きながら、田中は手元で端末をいじる。念のためその試合が本当に生放送であるのか、確かめていた。飲み屋で偶然出会ってから、川崎という男のことを田中は完全に信用していたわけではなかった。結局画面に流れるその試合はやはり生放送だった。
「母親とかが留守番している可能性は?」
「妻の方の母親は観に来てる。さっきちらっと映った。妻の横に座ってる」
川崎はまた画面が妻を映しだすのをしばらく待ち、一瞬うつるとすぐさまその横に座る初老の女を指さす。
「ボクサーの方の両親は既に他界している。その端末で調べてみればいい」
田中はまた調べる。そのボクサーの名前、両親で検索をかけると、すぐに何かのインタビュー記事が出てくる。そこには学生時代に両親を失い、それをきっかけとして一気に成り上がった彼の軌跡が記されていた。
「可能性があるとすれば、熊本に住む妻の父親だけが一人留守番をしている可能性ぐらいだ。だが見てみろ、家には明かり一つ点いてない。その可能性は、限りなく低い」
田中と川崎の乗る車は、その家から少し離れた位置に停まっている。その家は中々の豪邸である。そして表札にはそのボクサーの名字が刻まれており、家自体は明かり無く、ひっそりと薄暗い。
男達はもぬけの殻であるこの家で、今から空き巣を働こうとしていたのである。
川崎と田中は足音も立てないように家の周囲をぐるりと歩く。窓に差し掛かる度、川崎は慣れた手つきでその窓を観察していた。
「勿論セキュリティは万全のようだが、必ずどこかに穴がある」
だが川崎の観察する窓の、さらに先にある窓、その窓がなぜか少し開いていることに、田中は気づいた。
「おい」
田中に肩を叩かれ、川崎もそれを見る。
「まさか。そんな不用心なことあるか」
「けど開いてる」
「……まあ好都合だ。そこから入っちまおう」
川崎に促され、田中はその窓から身体を滑り込ませる。やはりその内部は豪勢な様子である。後は適当に金目のものを見繕い、盗んで帰るだけだった。
「田中、まずはその辺の棚を適当に漁れ。俺はこっちをやる」
田中は言われた通り棚の引き出しを開け、そこに何かめぼしい物が無いか確かめていく。
「おい川崎。やっぱり俺もお前みたいに手袋をした方がいいんじゃないのか」
「いいか、指紋がいくら残っていようと、それがお前のものであると紐づけされなければ何の意味も無い。田中、お前には前科は無いんだろう?じゃあ大丈夫だ」
「だとしたらお前は何か前科があるのか」
「俺はただ単に、このボクサーと遠い繋がりがあるからな。万が一のための用心だ」
その時、田中はある違和感に気づいた。暗い家の中から、何か気配がする。耳を澄ますと、階段を降りてくる足音が聞こえた。
そして目の前に現れたのは、覆面で顔を隠した一人の男だった。
目が合い、田中とその男は互いに硬直する。
「川崎!最悪のバッティングだ!」
どうやら狙いを同じくした空き巣同士、運悪く出会ってしまったらしかった。
暗闇の中、相手の男の手元がきらりと光り、揺らめく。男は刃物を持っているようだった。
「川崎!刃物だ!どうする!」
「あんまり俺の名前を呼ぶな!とりあえず気を付けろ!」
男は刃物を振り上げると、そのまま田中のもとへと駆け出す。
だがその瞬間、大きな音を立て、男の身体は前へと倒れた。暗闇のため、足を何かに引っ掛けたのだろう。さらには手元を離れた刃物が、田中の近くへと滑った。
「拾え!」
川崎の叫びに田中は急いで拾い、その刃先を男の方へと向ける。
「田中落ち着け!絶対に刺すなよ!殺人なんてことになったら終わりだ!」
「刺さないなんて言ったらこいつは向かってくるだろうが!」
目の前の男がゆっくりと立ちあがる。さらにはその時、二階から物音が響いた。
「……まだ誰かいるのか?」
「こいつの仲間かもしれん!田中、とりあえず逃げるぞ!」
「逃げる?まだ何も取ってないのに!」
「いいから逃げるぞ!これ以上厄介なことになりかねん!」
刃先をちらつかせ、牽制しながら入ってきた窓へと近づく。
「それは捨ててすぐに走るぞ」
川崎は先に外に出、田中に向けてそう呟いた。
そして田中も身体を家の外に出すと、刃物を投げ捨て、二人は一気に車のもとへと走った。
「どうなってる!」
「俺だって計算違いだ!」
終わらぬ口論が繰り返されながら車は走った。
そして次の日以降、田中がどれだけ電話をかけようとも、川崎に繋がることは無かった。
「だから俺は何も盗ってねえんだって!」
田中が叫んでいるのは、取調室の中だった。
突然家にやって来た警察に連れられ、あれよあれよという間に取り調べが始まったのである。
「お前があの晩、侵入したのはこの住所で間違いないな?」
刑事の男は詳しい日時と共に、写真を田中に見せる。そこに写っているのは確かにあの晩、田中が訪れた家である。
「そうそう。けど俺は何も盗ってないの」
「やはり物取り目的での侵入か。そして運悪く鉢合わせた住民を殺害した」
「……殺害?」
「そうだろう。お前の容疑は殺人だ」
「はあ?俺はただボクサーの試合中に泥棒に入っただけで、」
「ボクサー?ボクサーがなんだと言うんだ」
「だってあの家は、ボクサーのチャンピオンの家なんだろ?」
「……何を言ってる?」
刑事の男はまたいくつかの資料を差し出す。そこに書かれているのは田中に見覚えの無いものばかりだった。
「あの家に住んでいたのは佐々木真司さん51歳。あの日二階で、お前に刺し殺された。家中にも、そして凶器からも、お前の指紋がちゃんと出てる」
また、血に濡れた刃物の写真が差し出される。
「俺じゃない」
「馬鹿言え、この家に行ったんだよな?」
「知らない!」
「ちゃんと指紋が残ってんだよ!」
「俺がこのナイフを握った時、こんな血なんか付いてなかった!それにこれを元々持っていたのは別の男で!」
「別の男?」
「いたんだよ俺より先に別の泥棒が!」
「この家に住んでいたもう一人の同居人の証言によれば、あの時間何者かが窓から侵入し、危険を感じた彼は息を潜め、出ていくのを待った。そして彼は隣の部屋で、刺し殺される真司さんのうめき声を耳にするが、外には出られず、ただ耐える他無かった。そして犯人は外に出ていく。勇気を出し、彼は窓からその姿を目に収めた。犯人は一人だった」
その話に、田中は全く理解が追いつかなかった。
「一人?それもおかしいじゃないか。だって俺は川崎と二人で!」
「川崎?」
「飲み屋で知り合った男だ!なんか俺の名前に親近感が涌くだのなんだの言いやがって、俺に泥棒の話持ちかけたのも全部あいつで!それにあの日あいつは適当なとこで俺のこと降ろして、そういやあいつその時Uターンしてあの家の方向に戻っていって!あとあれから!あいつにどんだけ電話かけても出ねえ!」
徐々に支離滅裂の体を成していく田中に、刑事の男は呆れたような顔をして笑う。
「おい。ちょっと残念だが俺はもうここまでだ。この先の取り調べは、別の刑事に変わらさせてもらう」
そう言って男は立ちあがる。そして丁度それと同時に、別の男が部屋に入ってきた。
その顔を見て、田中は、声を失った。
「……川崎」
「今からお前の取り調べを担当する、田中だ。よろしく」
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