さいごの一服

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 青森市郊外の里山エリアで暮らすひとりの女性がいる。屋山(おくやま)彩佳(あやか)、28歳。独身最後の朝を迎えた。明日、結婚式を挙げる。宮崎出身の達也(たつや)と4年間にわたる超・遠距離交際を経て、めでたくゴールインだ。生まれ育ったこの家とも今日でお別れである。いや、もちろん、二度とこの家の敷居を(また)がないというわけではないが、新居が九州・宮崎とあれば、その移動は容易(たやす)いはずがない。長時間になる陸路を利用することは現実的ではなく、とはいえ、直行便のない空路は、なおいっそう利便性が悪い。冠婚葬祭など帰ってくる機会は極めて限られるだろう。  彩佳は、何気なく住み慣れた家の中を見渡す。クリスマスパーティーや誕生日を祝ってもらった茶の間のテーブルは、子供のころから変わっていない。庭先に目をやると、すでに撤去された家庭用ブランコの土台だけが時間が止まったように残されている。さまざまな思い出が彩佳の脳裏に(よみがえ)えってくるが、だからといって、決して感傷的な想いに浸っているというわけではない。三つ指をつき、両親に面と向かって“28年間お世話になりました”と頭を下げる“儀式”など、今どき流行(はや)らないし、(しょう)に合うとも思っていない。むしろ、これから始まる新生活を前にして、避けて通ることのできない大きな大きなひとつの心配事が彩佳の背中に重くのしかかっていた。
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