短編「オレオレ詐欺」

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 久しぶりの平日休み。  実家でゴロゴロとしていると珍しく固定電話が鳴り響いた。  コタツで惰眠をむさぼっていた俺は、のっそりと起き上がり受話器を取る。 「大池です」  すると、なにやら焦った様子の声が向こうから聞こえてくる。 「もしもし、俺だけど」  ……俺? 「少し困ったことになった。金が必要だ。助けてくれ」  向こうは一方的に話し続けた。声の雰囲気からして若い男のようだ。 「現金で200万、今すぐ俺が言う場所に持ってきて欲しい」 「……誰だ?」  俺は尋ねる。何のことかさっぱり分からない。 「だから俺だって。俺っていうのはつまりはお前。お前にとっての俺であり、すなわちお前自身だ!」 「はぁ?」 「とにかく急を要しているんだ。200万、用意してくれ!」 「なるほど」  ようやく俺はピンと来た。  これは今話題の、新手のオレオレ詐欺だ。  今朝の朝刊に、注意喚起を呼びかけるチラシが入っていたことを俺は思い出す。  ひと昔前に流行ったオレオレ詐欺。  今ではそのやり方も複雑化していて、最近では「本人だと偽るタイプのオレオレ詐欺」も増えているらしい。  具体的な手口はこうだ。  ある日、電話に出ると「俺はお前だ」と電話主が名乗る。金銭トラブルに巻き込まれた、今すぐ金が必要だ、じゃないと困ったことになると向こうは訴えかけてくる。  他ならぬ自分自身のことだ。慌てた被害者は訳も分からず、言われるがまま金を渡してしまう。  まさに、俺が置かれている状況そのものである。    だが、相手が詐欺だと分かれば話は早い。 「詐欺に付き合っている暇はない」 「え、おい!」  受話器を置こうとする俺の気配を察し、向こうは慌てる。 「わかった、名前を言う! 大池拓実!」  その言葉が俺の動きを止めた。  大池拓実とは俺のことだ。 「8月12日生まれ。A型。26歳。不動産の営業。高校はラグビー部、大学はテニスサークル。剣道初段、英検2級」   「……確かに俺の情報だ」 「だろ!? 俺はお前なんだ」  しかしそれで騙されるほど俺はお人好しではない。 「それくらいのこと、ちょっと調べればすぐわかる」  再び電話を切ろうとする俺に、電話主は決定的な情報を提示した。 「受付の三上さんを狙ってるだろ!」 「な!」 「一昨日、ようやく連絡先を交換できた。でもまだメッセージは送れてない。…だろ?」  図星だった。 「これは、俺本人しか知らない情報のはずだ」  向こうの言う通りだ。  元来、人を信用していない俺は、誰にもこの情報を漏らしていない。  どうやら認めなければならないらしい。  これは詐欺では無い。  電話の向こうにいる人間は、間違いなく俺だ。 「……200万と言ったな?」 「そうだ。今すぐ200万が必要なんだ」 「なぜ?」 「親父の借金だ。返したはずだと親父は思ってたみたいだが、実はまだ残っていた」 「まさか!」 「俺も信じられなかった、でも本当なんだ。それで今……」  もう1人の俺は声をひそめる。 「今、事務所にいる」  言い方から察するに、反社会的な組織の事務所ということだろう。 「しかし200万なんて」 「もちろん分かってる」  それはそうだ。同じ俺なんだから当然、俺の預金残高くらい知っている。 「でも、あの人がいる。そうだろ?」 「あの人ってまさか!」 「そうだ、あの人だ。金を工面してくれるとしたらあの人しかいない」 「だが」 「なんとかして説得してくれ。今日のえっと……」 「19時だ」  向こうの俺の、おそらくは背後からドスの効いた低い声が聞こえた。 「……19時までだそうだ」  向こうの俺が繰り返す。  リビングの壁時計は13時を少し回ったところだった。 「お前だけが頼りだ」  向こうの俺はそう言い、それから金の受け渡し場所を伝えると電話はすぐに切られた。  受話器を持ったまましばらく俺は呆然としていた。  壁時計の針の進む音が、カチカチカチとやけにはっきり聞こえてくる。  200万。念のため、自分が今すぐ用意できる現金を改めて計算してみる。  だが、どう考えても足りない。 「……仕方ない」  俺はスマホを手に取り、連絡帳から一人の男の名前を探す。  やはり相談できるとしたらあの男、大池浩しかいないようだ。  大池浩とは、俺の叔父、つまりは父親の弟に当たる。  不動産業を営んでおり、金回りは良いはずなのだが、とにかくケチな男だった。  俺が生まれた頃、父は知り合いの連帯保証人になったのが原因で多額の借金を抱えることになった。  生粋のお人よしだったらしく、困っている人間がいれば放っておけない性格だったそうだ。  そんな父に対し、叔父の大池浩は1円たりとも金を出さなかった。 「俺は自分のためにしか金は使わん」  彼はそう吹聴し、父がどんなに苦しんでいても我関せずだったと言う。  その叔父に今、俺は電話をかけようとしている。しかも金の工面をお願いしようとしているのだ。 「ふう」  覚悟を決め、俺は発信ボタンを押す。  1コール、2コール、3コール。 「……出ない」  スマホ画面を見ながら少し俺は考える。  コールが鳴るということは、電源自体はオンになっているということだ。  可能性としては、マナーモードになっていて気づいていない、会議中など止むに止まれぬ用事で出ることができない、などが考えられる。  だが俺はあの人の性格をよく知っている。  間違いない。シンプルに居留守だろう。 「はあ」  仕方ないと俺はため息をつく。  どうやら家まで向かう他ないようだ。 「拓実か」  一軒家の呼び鈴を鳴らすと、あっさり叔父は姿を見せた。髪は薄く、顔と目が細い。相変わらず蛇のような風貌だ。 「電話したんですけど」  俺がそう伝えると、 「あれ、お前だったのか」  叔父は悪びれた様子もなく答えた。 「登録してない番号だったから無視してたんだ」  こういう男である。 「で、なんだ?」  露骨に面倒臭そうな顔をしながら叔父が尋ねてくる。  どうやら玄関先で話を終わらせようとしているらしい。 「実はですね……」  できるだけ簡単に、俺は自分の身に起きた出来事を説明した。 「……ということで、すぐにでも200万が必要なんです」 「悪いな。手持ちがない」  叔父は即答した。  悩む時間も逡巡する時間もない。あたかも、金を無心する発言には全て同一の回答をする機械のようだった。  だがこうなることは分かっていた。  勝負はここからだ。 「ウチの権利書と引き換えだったら?」  叔父の目の色が変わる。 「……なんだって?」  曽祖父の代から続く俺の実家は、祖父が死んだ後、父が引き継いた。  1年前に父がこの世を去り、次いで母が体を壊して入院すると、今度は俺にその権利が回ってきた。  とりたてて広い敷地でも無い。  だが、昨今の土地開発の関係で希少性が高まっているようで、叔父からすれば喉から手が出るほど欲しいものらしい。 「200万で譲るってことか?」 「まさか」  俺は笑う。 「200万と、母さんのこれからの入院費、さらには俺たちが新しく借りる家の家賃、前払いで3年分です」  叔父は黙った。  それから値踏みをするように俺を見て、ぶつぶつと何かを計算するような独り言をつぶやいた。やがて何度か頷くと、 「良いだろう」  そして俺を家の中に案内した。  ということで、交渉自体はすんなりと決着を迎えた。  ただ、意外にも時間を取られたのが契約書作りだ。 「書面の約束をせず、現金を渡すなど論外だ」  叔父はそう主張し、俺もそれに従った。 「ほれ」  多少の時間はかかったが、無事に契約も完了。叔父は封筒に入った200万を俺に渡した。気づくと時刻は18時近くだ。 「ありがとうございました」  金さえ手に入れば用はない。形式的な礼を伝え、そそくさと俺は叔父の家から退散しようとした。 「……お前は同じだな」  玄関で靴を履く俺の背中に、叔父が言葉を投げてきた。 「え?」  振り向くとちょうど彼と目が合った。 「お前は俺と同じだ」  その時の叔父は、蔑んでいるような、喜んでいるような、不思議な表情をしていた。 「誰のことも信用していない」  少し、俺は次の言葉に迷った。迷った上で、 「……かもしれません」  と答えた。  200万という金が必要だと知った時、高校や大学の友人、同僚たちの顔が一瞬だけ浮かんだ。  だが結局、彼らに連絡することはなかった。  なぜか。簡単だ。   俺だったら金は貸さない。何の見返りもなく、人を助けることなど絶対にしない。そう考えたからだ。  つまりは叔父の言う通りなのである。  俺は周りの人間を信用していない。  ただ、別にそれを悪いことだとも思っていなかった。  人を信じなくてなにが悪い。  仮に、今日という1日を巻き戻せるとしても、きっと俺は同じ選択をするだろう! 「じゃ、失礼します」  俺は笑顔で叔父に別れを告げ、駅へと向かう道を急いだ。  ロータリーでタクシーを拾い、指示された場所へと向かう。  スマホで調べると、道中に渋滞が発生しているらしい。  19時に間に合うか際どいところだ。  もう一人の俺に電話をかけるか? でも番号がわからない。電話を受けたのは家の固定電話。  折り返すのなら一度、自宅まで戻る必要がある。  悩んだ末、俺はそのまま俺を助けに行くことを決めた。  運転手を急かし、渋滞に巻き込まれるとタクシーを降り、目当てのビルまで走った。  階段を4階まで駆け上がり、一番奥の部屋の前に辿り着く。  扉をノックする。ガンガン、と鉄の音が響いた。  反応がない。ドアノブに手をかける。回してみる。鍵はかかっていない。  扉を開く。  誰もいなかった。  腕時計に目をやる。17時を20分ほど過ぎていた。  部屋の窓からこのビルの駐車場が見えた。  黒いワゴン車が出発し、ゆっくりと立ち去っていった。  俺の死体が発見されたというニュースを見たのはそれから1週間後だった。  県外の山中に埋められていたのを野犬が掘り返し、その後、地元の猟師によって見つけられたらしい。    葬式はつつがなく行われた。  母は一時退院の許可を病院にもらい、葬儀に参列した。喪主は俺が務めた。 「なんであの子が……」  読経の最中も母は肩を震わせてしきりにそう呟いていた。一人息子を失った彼女になんと言葉をかけたら良いか分からず、俺はただ隣にいるだけだった。  叔父から貰った金は葬儀代で大半が消えた。彼は、ついぞ葬式に顔を見せることはなかった。  1時間もかからず焼香は終わり、参列者たちは斎場の中の座敷に移動する。  寿司とビールが並べられたテーブルを囲み、通夜振る舞いが催された。 「みんな。今日はありがとな」  喪主として、参列してくれた友人たちに俺は挨拶をして回る。 「お前も辛いだろ。自分が死ぬなんて」  友人の一人が俺を慰めた。 「なんかあったら連絡してよね。忙しくしているうちは平気でも、落ち着いた途端、急にしんどくなったりするもんだから」  別の友人が励ましの言葉をかけてくれる。  その時、 「なんで相談してくれなかったんだろうな!」  ひときわ大きい声が座敷の奥から聞こえた。  見ると、短い髪に浅黒い肌の男が口を尖らせている。 「金くらい、いくらでも貸したってのに!」  高校の時、ラグビー部で一緒だった友人だ。 「でも、大池くんらしいよね」  彼の隣に座るのはその時のマネージャーだ。グラスにビールを注ぎながら寂しそうに笑っている。 「そうさ、いかにも彼らしい!」  眼鏡をかけた色白の男が同意する。彼は、高校3年の時のクラスメイトだ。 「先輩、高校の時からそうだったんすね〜」  今風に髪を刈り上げた会社の後輩が、寿司を口に運びながら会話に加わる。 「会社でも、自分の弱みとか全く見せなかったっていうか」  そんな後輩の頭を、白髪混じりに中年男性がハタいた。 「箸を人様に向けるんじゃない」  入社した頃から世話になっている俺の上司だった。 「けどまあ、その通りでしたよ。大抵のことは自分一人で解決してしまうような人間でした。それに、視野が広いというか、色々なことに気がつく奴だった」 「ラグビーの時もそうだったなー!」  浅黒の同級生が同意する。 「俺がミスしても、なんだかんだ、あいつがカバーしてくれたんです」 「あったねー」 「そうさ!」  眼鏡のクラスメイトが、ビールの入ったグラスを力強く置く。 「彼は鳥瞰型だったんだ!」 「あの人がいると、なんか失敗しても大丈夫じゃね、みたいな感じがあったんすよねぇ」  あぁー、と後輩の言葉に一同は共感の声を上げた。 「あいつは」  上司が、何ともなしに天井を見上げた。  その場にいた他の参列者たちも、自然と彼の目線を追う。 「少し冷めていた部分もありました。でも、周りから信用されている男でしたよ」  そんな彼らの会話を、  俺は不思議な気持ちで聞いていた。  葬式の場だから多少は持ち上げてくれているとは思うが、それでも、自分がこんな風に思われているとは知らなかった。    全く、自分がどんな人間かなんて、自分でも分からないものだ。  さらに1週間が過ぎた。  会社で俺の抱えていた案件は同僚や後輩、そして俺が引き継ぎ、あっという間にオフィスには日常が戻ってきた。  だが、俺はもう一人の俺のことがなかなか忘れられず、つい仕事中もボーとしてしまう。  結果的にここ最近は残業が多くなってしまった。  ちなみに俺の実家はまだ引き払っていない。おそらく叔父は今、裏で色々な準備を進めているのだろう。  その日も帰りが遅かった。  会社を出たのが0時前。なんとか終電に乗り、駅から実家までの道を歩く。  ちょうど人通りの少ない住宅街に入った時だった。  何者かが俺の背後に現れ、紙袋のようなものを頭に被せた。  そのまま俺は車に押し込められ、両腕を背中の後ろで縛られ、あれよあれよという間にどこかへ連れて行かれる。  気づくとそこは雑居ビルの一室だった。  忘れるはずもない、もう一人の俺が捕まっていたあの部屋である。 「まさかもう一人いるとはな」  目の前に人相の悪い男が立っていた。その声には聞き覚えがある。 「200万。今度こそ、回収させてもらうぞ」  男はそう言ってスマホを俺に差し出す。  なにを求められているか察した俺は、実家の番号を告げる。  男は発信ボタンを押し、そのまま俺の耳にスマホを押し当てた。  何度目かの呼び出し音が鳴り、やがて相手が出る。 「大池です」  若い男の声だ。  このあと俺が、いや『俺』が何をすべきか分かっている。  あの叔父ではなく、友人たちに助けを求めるよう助言するのだ。  だがその前にやらないといけないことがある。  俺は電話口の向こうにいる自分自身にこう言った。 「もしもし俺だけど」
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