大江戸ガーデニング戦争

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 関ケ原の大戦(おおいくさ)から百年余、天下泰平と相成り『武士は武芸よりも教養を身につけるべし』との風潮が高まり出した頃、五代将軍・徳川綱吉の側使え・柳沢(やなぎさわ)吉保(よしやす)が歌人紀貫之の詠んだ和歌をそっくりそのまま再現した六義園を作り上げた。  その庭園の素晴らしさに驚いた各藩の大名達は、江戸に構える自らの庭園をより(みやび)に設える様になる。  世にいうエド・ガーデニング戦争の勃発であった、この物語はガーデニングに生涯をかけた一人の若者の挑戦の物語である。
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