春に届いた手紙

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 新幹線に揺られながら、足速に流れていく景色を眺めた。初めての長野旅、どっと疲れが出てくる。  あのあと、源さんにお墓の管理をしてくれていることに対してお礼を言った。どの立場で、という自問が浮かんだけれど、俺にとって一音は大切な人だからということで自らのお節介な発言を許した。源さんには泊まっていくか聞かれたけど、妻が一人で待っているからとお暇させていただいた。また余暇が出来たら来ることを約束して、源さんと別れた。  ルリ子にもらった一音からの手紙を読み返す。一音はこれをルリ子に託したとき、すぐに僕に渡るものだと想定していたのだろう。時候や口調、そう思える節がいくつか見受けられる。  でもルリ子はずっとこれを保管していて、夫婦としての役目を果たし終えるとき、つまり子どもたちが巣立っていくときまで待っていたのだ。俺が一音に会いに行ったら、そのときが最後だとでも覚悟していたかのように。 「…バカだな」  たとえこの手紙だけもらっても、子どもたちがいる場所から一音に会いに行くような真似はしなかった。でもそんなことさえ思わせないほど、俺は彼女を不安にさせていたのだ。毎年3月31日、ただ誕生日おめでとうが言いたくて電話をかけていたのを、きっとずっと知っていたのだ。  枯らしたはずの涙が込み上げてこようとするので押し止めた。もうすぐ還暦のおっさんが新幹線で一人泣きなんてするもんじゃない。  長野のお土産をいっぱい買ってきた。浩とミキにも、そして施設にいる母にもあげよう。できれば母と今までの話をして、父の仏壇の前であの日からのことを二人に謝りたい。  ルリ子の好きな信州そばも買ってきた。ちゃんと愛してるって伝えよう。確かに結婚は前向きなものではなかったけれど、彼女と結婚していなければ浩にもミキにも出会えなかった。結果として俺はルリ子と結婚してよかったと心の底から思っている。  あのとき確かに俺たちは愛し合っていて、互いがすべてで、それを守ろうとしていたことは誰にも覆せない事実だ。俺が人生最大の恋愛を思い出すなら、きっと一音だろう。でも記憶を保ったまま卒業の日に戻ったとしても、ルリ子と浩とミキを知っている俺は、一音を選べない。それが運命なのだ。月日を経ないとわからない運命で、間違ってなんかいない人生。  ゆっくり目を閉じた。瞼の裏に俺の大切な人たちが浮かぶ。その中に一音を見つけた。俺は40代の一音の顔を知らない。もちろん20代も、30代も。向こうだって今の俺を知らないわけで、もしも顔を合わせていたら「老けたなぁ」と笑い合えたかもしれない。俺の中の一音は今までもこれからも、高校のときの若々しく初々しい見た目のまま、老いることを知らない。  愛していたよ一音。ごめんな、約束を果たせなくて。もう会えないけれど、君に出会えてよかったと心から思う。もう一度話すことができたなら、そうだな、君がいつから俺のことを好きだったのか聞いてみたかった。それはもう叶わないし、ここでお別れだけど、君のことを永遠に忘れることはない。 「…バイバイ」  バイバイ、一音。安らかに眠れ。
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