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大学の授業にも慣れてきて、可もなく不可もない、平凡な生活を送っていた大学2年生の初雪の日。慣れない雪の中必死に通学して来たにもかかわらず、教員不在のため空いてしまった1コマの時間を潰すため、僕は道端の椅子に腰かけスマホをいじっていた。
手始めに開いたのは何の変哲もない写真アプリ。
どこまでスクロールしても終わりの見えないモノクロの写真データを一覧表示して眺めてみる。
昨日の夕方から僕のスマホは容量が一杯だと警告し続けていて、課題の提出に差し支える前にどうにか対処しないといけないが…。ぶれてしまった写真、似たような写真にもいちいち懐かしさや愛着があふれ出し中々手は進まない。
仕方ない、いっそのことスマホのことは諦めて整理整頓ができない日本人選手権に立候補してしまおうか。なんて考えていると、
「それって巷で噂の桜というやつでしょうか。」
「えっ、はいそうですけれど。どちら様ですか。」
「あら、失礼いたしました。
私、雪女(18)と申します。」
見たこともない1人の女性に話しかけられた。人の大勢集まる大学という場所では見たこともない人に話しかけられる、なんてことは珍しくもないのだけれど。「雪女」なんて古めかしい名前を名乗るくせに、クラスの女性陣もこぞって来ている今年流行りの大人っぽい化粧にモノクロの冬服一式を着込んだ彼女のような…悪く言えば不審者。良く言えば斬新な人に話しかけられる経験は珍しいと言っても差し支えないだろう。
「これはこれはご丁寧にありがとうございます。
うちの大学、一般の方でも敷地内立ち入り自由ですけど、
妖の類まで立ち入り自由だとは知りませんでした。」
「なんと。驚きもしないうえに突っ込む所がそことは、
最近の若い方はやはり肝が据わってますね。」
「肝が据わっているかはどうかは分かりませんが、
この付近にいる人間はだいたい貴方よりも年上だと思いますよ。」
「まあ、ちょうど良かった。
それなら子供の私よりもきっと色んなことにも詳しいでしょう。
さっきの写真、よく見せていただいても?」
彼女が指さしたのは旅行先で撮った雪景色の写真の横にあるせいで、余計に色とりどりに見える春先の風景写真だった。
彼女は僕の手からスマホを受け取ると隣に座り熱心に桜の写真を眺め始める。
しかし僕は桜があまり好きではなく、したがって写真の枚数も少ない。
雪のような静かなモノクロ世界が好きで、カラフルで明るい春の写真はそこまで好きではないからだ。
だけれど、雪女に見せることになるのならもう少し撮っておけば良かったなと申し訳ない気持ちになる。
「やはり雪女業界で桜はホットなんですか。」
「それはもう。
何度季節が移り変わろうと、女の子が大好きな言い伝えランキングでは現役の第一線ですよ。桜を見られた雪女は次の冬に意中の相手と結ばれるという話が一番メジャーかしら?まあ地元に桜の木がないうえに、毎年皆春が来る前に溶けてしまうのだけど。」
「恋愛成就系の話は簡単だと意味ありませんもんね。」
「そこは雪女も人間も共通ですよね。」と笑う彼女の指先がピタリと止まる。
「…うん。この写真の桜が一番綺麗ですね。
せっかくだしここで挑戦してみようかしら。
この桜の写真はどこで撮られたんですか?」
「これは…、大学の桜並木ですね。
東の方にある大学の正門から、本館前まで続いているんです。
貴方も言い伝えにあやかりに?」
「えぇ、少し。何せ花も恥じらう18歳ですから。
無事桜が見られたら、お礼を言いにまた伺いますね。
それでは私は準備があるので、これで。」
彼女は椅子から立ち上がると、スカートの汚れを手で叩きペコリと小さくお辞儀をし、去っていくが…。
「あ、良かったら雪女界隈で有名だったり、綺麗な雪景色の撮れるスポットがあったら教えていただけないですか。僕、雪景色を撮るのが一番好きなんです。」
雪女(?)と話す機会なんてもう来ないかもしれない。勇気を振り絞って彼女を引き留める。去年で撮影に行きたい場所リストは周りきってしまって、今年の冬休みの遠征先に迷っていたからだ。
彼女は少し悩む素振りを見せた後、聞いたこともないいくつかの地名を呟いた。雪女の住む場所のようだから、秘境のような場所もあるのだろうか。
その後、
「でもやっぱり、私の一押しはここですね。」
と僕のスマホの画面、1枚の写真を指差すと
「それではまた、次の春に。」
と言い残し、先ほどより少し足早に立ち去った。
彼女の指が触れ、拡大された1枚の写真は美しい雪景色の中に立つ華やかな印象の1人の女性を撮った人物写真だった。たしか去年訪れた山の奥深くで撮影中ずっとくっついてきた、どこから現れたのかも分からない見ず知らずの女の子。
化粧や髪型、違いはたくさんあるが、よく見ると先ほどまでいた彼女の面影があるような…。
「桜、早く咲かないかな。」
彼女にも何か作戦はあるのだろうが、それでもなお雪女が桜を見るということは難しいことなのだろう。僕はいつまで経っても咲かない桜と、難しい課題ばかり書き残す言い伝えの類を恨みつつ、スマホの検索画面に「雪女 溶けない 方法」なんていう、安直な単語を打ち込んだ。
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