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 正子は自分の名前があまり好きではなかった。  学生時代にクラスメイトなどは互いに愛称で呼びあったりしていたが、正子自身は苗字でしか呼びかけてもらえなかった。小学生までは、きっと自分の名前がかわいらしくないせいだろうと考えたりもした。  家の中では、長女だったのでお姉ちゃんと呼ばれることのほうが多かった。そしてたまに両親の口から自分の名前が出るときは、いつも怒気を帯びているのだった。    だから、結婚して子どもが生まれたら響きのよい名前を付けてたくさん呼んであげたい。自分の名前に劣等感を持っていた正子はこっそりとそう思っていた。  23才のとき見合い結婚をし、翌年長女を出産した。夫と相談し麻衣と名付けた娘は、よく泣く子どもだったが笑顔がとてもかわいかった。  息子を授かったのはその4年後だ。すでに一冊持っていたが、新たに名付け本を買うくらいには嬉しかった。その本で見つけた「大きな丘」「乗り越える」という意味を持つ漢字に惹かれたのは、日々の忙しさから心の余裕を失っていたせいもあっただろう。  声に出してみると苗字とも合いそうだ。健診で男の子だろうと言われたので思いつく限りの名前を考えた。夫は呼びやすい名前がいい、と長女のときよりもあっさりとした態度で正子の好きにさせた。画数を調べたり、念のため別の漢字を充ててみたりもした。散々悩み予定日の3ヶ月前にやっと決めた名前をお腹に向けて呼びかければ、愛おしさも増した。    元気であれば性別はどちらでもよい、と生まれる前は理解ある態度だった舅が、紙に書いた名前を入院先に持ってきたときには突然すぎて返事もできなかった。長女のときも夫婦で決めることだと言っていたのに、先祖代々使われているこの文字が、など今更である。そして夫とその父親が言い争うの見て、4才の娘が怯えて泣いている。最終的には舅が折れてやっと出生届を出すことができたのは、母子ともに退院した日の翌日だった。  息子を迎えた新しい家族の生活が始まったが、それが10年で終わるとはそのときは知る由もなかった。
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