発散-8.標的細胞(ターゲット)として狙われる=首を差し出すのと同義な世界 ⅳ

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発散-8.標的細胞(ターゲット)として狙われる=首を差し出すのと同義な世界 ⅳ

 まさか追加の検査をsample1にのみ掛けて、あとはスクリーニングで疑いのある者に負荷試験をするだけでそこから「対象者」を仕立て上げるだなんて…… 「狂ってるな」  仮に、スクリーニング検査で得られた結果から「同じ症状」を示す症例が複数あったとしてもだ。  疾患の特定が済みきっていない段階で暴挙とも呼べる措置を取れてしまうその感覚、  何より、そんな処置を断行できてしまえる存在(決定者)が犯人(こいつ)の後ろに見え隠れしていることに足元がぐらつくような感覚を覚えた。  そして、もうただでさえお腹いっぱいな事実の波に、俺の頭がズキズキと痛みを訴えだす。 「俺もそれには同意だねぇ。医の倫理に照らしちゃぁ、イカレテやがるとしか言えねえよな。つってもな、俺はそのおかげで愉しませてもらってる身だからよ? 感謝こそすれ……って、んなこたぁどうでもいいか」  俺がポツッと一言、そんなことを漏らすとそいつが皮肉気に口の橋を持ち上げる。 「んでよ、本題はこっからなんだけどな? 負荷試験やら画像診断やらしちめんどくせえ検査を重ねた結果、異常があ………いや正しかねえな」  浮かべていた愉しそうな表情から一変、またもやそいつは退屈そうな調子で結果を語りだす。 「ここは、変性したって言うべきなんだろうな。生来、〝甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン〟と〝抑制ホルモン〟を分泌する窩野(エリア)によぉ」 「その影響で、下位の下垂体や甲状腺に分泌以上がみられるようになったって訳か……?」 「お、さすがに頭も回ってきたみてえだな。概ねそういうことよ」  いかにもわざとらしく、小ばかにしたようにパチパチとそいつが両手を打ち合わせる。  あからさますぎる嘲笑に反応している余裕なんてない俺は、ジリジリと距離を引き離すべく動かしていた足をピタッと止める。 「視床下部内の分化した神経細胞から放出される伝達物質にはな? これまた面白い性質があってよ」 「性、質?」 「そうなんと、伝達物質の分子構造に変性がみられたんだわ。本来、伝達物質ってのはよ。シナプスを結んだ後ろ細胞の膜に作用して膜内の受容体(レセプター)に伝達されるもんだろ?」  確かに「神経伝達物質」っていうのは前細胞の終末から放出され「間隙」を介して後細胞に伝えられるものだけど…… 「伝達物質そのものに構造変化、突起と受容体が形成されているとしたらどうよ?」 「そんな、ことが……」 「ある訳ねえと思うよな? 憖、知っているだけに余計受け入れがてえのも分かる。でも俺は門外漢だからよ? そんなもんなんかねぇで終わっちまうけど」  さらに投下される予想もつかぬ事実の開示に、めまいがひどくなってくる。 「付け加えるとな、その変性した神経細胞にはシナプスを作る細胞がなくてよぉ。放出された伝達物質は血中に。……そして発生した神経内のパルスはといえば」  そんな訳はないと頭は否定したがっているのに、犯人(そいつ)がその先を紡ぐよりも早く俺の目線が転がる「それら」へと引き寄せられる。  そこには、自分を叩きのめしてきた古木と背中を打ってきたいくつかの丸石。  そして「通常の無機物や樹木」と唯一違うのは、犯人(こいつ)の血液が付着しているという一点。 「……正解。血中内の伝達物質に伝導し、極めつけは〝生体内〟じゃぁなく〝生体外〟への働きかけを実現するってことだ」  ……もうどう受け止めたらいいもんか。  俺に試案をする時間など与えられず、そいつの口は止まることを知らない。 「つってもよ、そう単純に事実を捻じ曲げられる訳でもなくてな? せっかくのスパイクも血液自体の流動性が悪くなると伝導しにくくなっちまってだな」 「だから、凝固阻止剤」 「そうそうその通り。んで一番大事なのは刺激(インパルス)を引き起こすための強いストレス……」  あんまりにもあんまりな、突飛すぎる事実の連続に俺はとうとう身じろぐことすらできずフリーズしてしまう。  前腕から発せられ続ける鈍痛や、全身を襲う重だるさも消えたはずではないのにこの瞬間その痛みがやけに遠くに感じた。 「まあ、あらかたこんな感じな訳だけどよ。……もういいか? 残りも一本だけだしさ、ちゃっチャとしまいにするかねぇ?」  まるで、身体の動かし方を忘れてしまったようにピクリともしない俺の前で、最後の試験管がゆっくりとそいつのベルトから外される。  ガラス管の内側でぬらりと揺れるそれが、未だこんがらがったままの俺の視界へ鮮明に映り込んでくる。  場違いなほど赤々としたそれのせいで、この状況から余計に現実味を失わせる。 「しっかし、あんたにはガッカリしたぜ? 残念なことによ、ここまで来ても歪みきる気配はねえみてえだしさぁ。〝Case ⅰ〟と〝ⅱ〟同様、一定閾値(いきち)以上の興奮を起こすこたぁできなかったみてえだな? まあよ、まだ〝ⅲ〟の方は手つかずのまま……つっても、兄であるあんたがこうだと妹も望み薄かねぇ?」 「……………?」  ピクッともしないでいた俺の指先が、最後の一言で動かし方を思い出したようにわずかに反応を示す。 「今、なんて?」 「ああさっき言ったよな? 順調に仕込み効いてたはずなのによ、昼間にゴミ箱行きにさせられちまったからな。いったん保留に……でも憂鬱だぜ? 結果が見え透いた試験を続けなきゃなんねえっつうのは」  試験を一時中断? 半紙がゴミ箱行き? ……Case ⅲとやらはまだ終わっていない。  ぐるぐると頭を回るそのフレーズ達の向こうに浮かんできたのは、妹である彩花の顔。 「……ふざ、けんなよてめえ」 「ぁ? まあお前がどう思おうが知ったこっちゃねぇ。どうせさぁ」  腕に負った負傷のことなど今は関係ない。  もはや完全に俺に対する興味をなくした風の甲斐尚人(こいつ)の前で俺はぐっとこぶしを握り締める。  引きつるような痛みが前腕から伝わってくるけど、そんな俺を無視してそいつがどこかに忍ばせていたらしきサバイバルナイフの刃先に自分の血液を数滴……  未だによく分かっていないその「パルスによる干渉」とやらにも注意しなきゃならない状況だけど、今は真っ先に脅威であるサバイバルナイフとそいつの青白い顔が俺の視界にクローズアップされる。  目と目の間、額の奥がやけに激しく痛む。  特異化した細胞がどうだの、一連の猟奇事件の犯人がどうだのという雑念は今この時完全に吹っ飛んでいた。  耳の奥でザアザアと流れるホワイトノイズが、急激な血圧の上昇を伝えてくる。  傍目に見ても満身創痍な状態だろうけど、今現在俺の思考にあったのはふざけたことに「彩花が対象者(ターゲット)」にされているという事実のみ。  俺とこいつの間にはボロボロな状態の古木が横たわっており、そのまま駆けだしていくのは難しい。  そしていつ振るわれてもおかしくない凶刃が数十センチ先にあるとなっちゃ、捨て身覚悟で決めるしか……  走り出せるかも疑わしかった足で、俺が古木を飛び越えるため重心を沈めた時だった、  ビキッ、パキッバキっ。  俺が掴みかかろうとするよりも先、周囲に散らばる「折れた幾本かの枝」と「丸石」が爆ぜる音。  ダンっと地面を蹴ろうとしたタイミングで、俺に「ケガを負わせてきた物体」が瞬時にそいつへ殺到する。 「んな、訳……?」  すっかりこちらへの関心をなくし、ナイフを血液でコーティングしていたそいつの顔が共学に歪む。  そいつが何かを言いかけるよりも早く、押し寄せた「複数の鈍器」が胸や腹を一斉に殴りつける。 「か、ぁ」  終始、異彩を放ち存在感を伴っていた甲斐尚人(そいつ)の顔面が苦痛へと塗り替えられる。  その直後、ただでさえ白さの際だっていたそいつの顔から血の気が引いていきその身体をドサっと河原の上に沈めた。
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