目覚め-2.なんだか通り雨にでもこられそうな天気だな

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目覚め-2.なんだか通り雨にでもこられそうな天気だな

「うげ、まだこんなん残ってたんだな」  ジーワカジーワカと絶え間なく、後ろの梢でアブラゼミが喚きたてる昼下がり。  俺は「実家裏の竹やぶ」を抜けると見えてくる小高い丘……なんて呼べたものでもないけど、鬱蒼とした野山へとかき入っていた。  小学生の夏休みに男子が駆けずり回るにはちと物足りない。でも女子が走り回るには傾斜のきつくない、なだらかな坂が続く今や獣道と化した斜面を進こと数分、 「だいぶ縄は傷んでるっぽいな。まあ、しょうがないんだけどさ」  落葉樹がひしめく丘陵の中腹部。草いきれのにおい立ち込める窪地で、俺は頭上を振り仰いでいた。  俺が首を反らし見上げると、そこには腕を広げたくらいの窪地を挟んで記憶と変わらぬ姿の太い幹が向かい合う。  そんな、刻んだ年輪を思わせる巨木同士をつなぐように、むき出しの地面に向かって垂れ下がるは2本の麻縄。  両の幹中央にしっかりと巻かれた縄の反対、垂れ下がる縄の端っこはといえば俺の膝丈ほどの高さまで落ちてきていた。  そしてプラプラと、下がってきている縄の端はちょうど「子供が座るには充分そうな丸太」のはじにそれぞれ括り付けてあった。  そう、これは小学生だった頃の俺達が作ったお手製のなんちゃってブランコだ。 「にしてもまあ、ほんとよく残ってたなこれ……さすがに今の俺が乗ったらちぎれそうだけど」  昔、確かあれは俺と美月が小3か小4の時だったと思うけど、  俺達は「秘密基地」と称してこの山のあちこちに遊び場を作りまわっていた。  あの当時だから、幼稚園の年長? だった彩花も俺達の痕をついて回ってたっけ……  今見れば相当に作りも荒い訳だけどさ、  それでもあの時は縄の高さを調整したり座りやすい丸太を見繕いに行ったりと、子供ながらに試行錯誤した思い出がある。 (とか言って、結局じいさんの手借りて完成させたんだけどさ。まあそれはご愛敬ということで……) 「てか、縄もすっかり腐ってるみたいだな」  そそり立つ樹木の、茂った枝の隙間から指す木漏れ日の中で俺は縄の変色具合を確かめる。  そんな風に、小学校時代の思い出を懐かしんでいた俺の背後で、急にガサガサと草木を踏みしめる音が鳴る。 「……な、なんだよじいさんか。驚かせんなって!」 「なんだよとはおめえ? こらまたご挨拶なこって」  俺は、切り立った松木の影から現れた見覚えのある老躯に、ついビクっと上げかけた肩をそっと下す。  と同時に、今朝方妙な刑事から変な話を聞き及んでいたせいか、知らず警戒してしまった自分自身を嗤う。  顔を突き合せたと思いきや、いきなり苦笑いの俺に首を傾げながらもじいさんは続けた。 「んなことよりもおめえ、どうした? ずいぶんびっくらした風だけんど」  木々の枝超しにもくもくと、積乱雲が見える遠くの空を背に、じいさんが下草を踏みしめ窪地のところまでやってくる。  相変わらず見慣れたその「カーキの作業着」は物心ついた頃からなじみの色ではあるんだけど、  こうやって似たような色合いの多い山ん中だとじいさんのことを見失いそうにもなる。  そうして、腰に下げた剪定鋏といつもの手ぬぐいという恰好でじいさんは踝辺りまで生えた青草を踏み踏み俺の傍まで寄ってくる。  いや別に、大したことじゃねえんだけどさ。と言いかけた言葉を引っ込めて、逆に俺は聞き返した。 「そういうじいさんこそどうしたんだよ? こんなとこでさ」 「こんなとこも何もあるめえよ? ここはおらげの山だべな!」 「え、あ、そうだったっけか?」  俺は言われてみればとここにきてようやく周囲をじっくり見回す。  しばらく帰ってこん間にそなげなことも忘れたか? と呆れるじいさんを前に俺は「そうだったそうだった」と納得したように頷いた。  足首の高さくらいには草も刈り取られ歩くのには問題ないが、それは獣道の真ん中だけでその隅はわりと伸び放題となっている。  そのせいで、自分がどこをフラフラ散策しているのか気づくのが遅れた。  実家裏からとりあえず目に入った、てか何の気なし視界に飛び込んできた野山を目指しただけだったんで忘れていたというべきか、 「そういやそうだったな。ここら辺だともう、じいさんちの裏の方に当たるんだっけか?」  心なしかだんだんと、湿気の含みだしたように思う窪地をぐるっと見渡す俺に、んだんだとじいさんが首を縦に振る。 「ちょうど、おらげの裏庭さ伸びてきおった枝葉を切っとったらな。なんだべ? 彩人が上ってくのが見えたからよ。枝切るついでにおらも上がってきた訳だな」 「悪いな。なんか邪魔しちまったみてえで……しっかしあれだな、昔に比べて荒れたっていうかなんていうか、まあ昔っていってももう10年くらい前だからあれだけど」 「そらあな、彩人らがおらげの山で遊んでた時に比べりゃあな! ていうのもあっけど、もう山でかけっこするような子(ガキ)らもここいらにはおらんしの」  何より、おらも年取ったしよ。ちょちょーっと足さ入れるとこだけ刈るようにしてんだ。と空いた手で腰をポンポン叩くと、じいさんは肩をすくめる。 「だったら猶更無理すんなよ? 昨日も一人で屯所の管理なんてしようとしちゃってさ」 「なあにこの老体も、確かにガタは来てるかもしれんけんど。まだ彩人ごときに心配されっ程落ちぶれちゃいめえ!」  ゆうても年にはかなわん。と自嘲気味に腰を押さえてみたかと思えば、その数秒後にはどこ吹く風とくぎ刺す俺をじいさんが笑い飛ばす。 「んだ彩人おめえ、どうせ暇してるってんならちっと手伝ってくんねえか? いや何、おらげの庭毟っても毟ってもすぐさ草生えてきてよ、ちょろくじゃねえんだわ」  ひとしきり気持ちよく笑うと、じいさんは閃いたとばかりに俺を誘う。  そうやって、どうだと声を掛けてくるじいさんに俺はすまんなと頭を掻いた。 「いやさ、この後2時から彩花達と検査なんだわ」 「……検査?」  こんな山の中にはなんともそぐわない、あまりに場違いすぎる単語に「はあおめえ、誰が……?」と訝しんでいたじいさんもすぐある事情に思い至ったようだった。 「もうそなげな時期か。なんてったっけない? スクリーニング? とかいうやつだっけねえ」 「そうそう、スクリーニング検査。甲状腺のな……もう2年くらい経つし。ってか俺はこっちで受けなくてもよかったんだけど、彩花の奴が一緒に行こうって……」 「そうせえそうせえ、あんまり彩花ちゃんを一人にするんでねえ。……そんで、おめえら特にこれと言って大丈夫なんだべ?」  どうやら、しばらく俺が帰ってこなかったことが相当お気に召していないらしいじいさんは、やれやれといった様子の俺にまたまた詰め寄ってこようとする。  つんのめりそうな勢いで前のめりとなったじいさんが2、3歩近づくと、下草から土気交じりなにおいが立ち上った。 「大丈夫大丈夫。一次検査の時も異常はなかったし、さくっと終わるって! って言っても念のため超音波で経過診るだけだからさ」 「そうかいそうかい、んならいいんだけんども」  どうどうと手のひらを前に出し押しとどめながら、俺は早口に説明をする。  それを聞いてぴたりと足を止めたじいさんが、眉間に寄せていたしわを緩めニカリと笑んだ。 「ところでさ、じいさん今朝? だかに起きた事件のことってなんか知ってるか?」  午前中、刑事っぽい人がうちにも来たんだけど。と会話が途切れたタイミングで、俺はついでに聞いてみる。 「やっぱり彩人らんとこにも行っとったか。おう、知ってるけんども、まさかこないな田舎であんな事件さ起こるとはなあ」  曖昧な問いかけだったにも関わらず、じいさんのその言い方は俺よりも詳しいことを知っているような口ぶりだった。  やはりというべきか、すでにもう「地区の年寄りども」の間じゃ話が広まってるみたいだな。  くわばらくわばらと手をこすり合わせているじいさんから、もっと事件についてのあらましを引き出そうと俺は問いを重ねる。 「よくは知らねえんだけどさ。どっかの学生? が巻き込まれたとかって……」 「巻き込まれたいうかなあ、嬢ちゃんが惨いことにの。なんでも田代さんとこの畑さ近くであったらしいぞ? そう、確か皓葉んとこの学生さんだって話だけんど」 「ああやっぱ皓葉の生徒だったんだな。彩花の櫻ヶ丘と合併の話が出てる……?」 「そないな話も出てたかねえ。おらが効いたんはな、田代さんのお向かいが畑さ様子見に行って、はて? こなげなとこさカカシ立ってたかね。と思ったらそれが嬢ちゃんだったって聞いてるけんど……」  案山子でというのがいまいち想像つきにくいけど、  その後付け加えるように出た「校章が落ちとったみてえだなあ」ってことからも、その被害にあったっていうのは皓葉高校の学生で間違いなさそうだ。 「なるほどな、だいたい分かったわ。刑事さんも言ってたけど、さすがに全国じゃ流れないにしても県内のニュースではやりそうだな……てか事件ってことならまだ犯人捕まってないんだし、じいさんちも戸締りしっかりしろよ?」 「入られても取られるもんなんざあないんだけんどねえ」 「それと、草むしり? の件だけど、今からやったんじゃ熱中症になっちまうから! 明日の朝にでも手伝いに行ってやるからさ。今日はもう帰って涼めよ?」 「はいはい、分かっとる分かっとる。んじゃあ、明日よろしくない!」  いつもと同様俺の注意をひらりひらりとかわすその様子に、深いため息を吐いてから俺はじゃあなとそれだけ言ってじいさんと別れた。
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