6人が本棚に入れています
本棚に追加
収束-1.宵の口の田舎道にはご用心、ってか…?
『兄さんどうしよう? 気のせい、かもだけど……』
いやでもやっぱりね、踏切超えてからずっとつけられてるみたい。と開口一番始まった妹の予期せぬ告白に、わずかであれ俺の思考を空白が支配する。
「……へ。えっとなんて? いやどういう状態か教えてくれ」
あまりに間の抜けた声を上げてから、俺は慌てて復帰すると努めて冷静に状況を尋ねる言葉を投げた。
『う、うん初めはねただの思い過ごしかな? って思ってたんだけど駅裏からこっちって街路灯とかも全くないしで……』
はっ、は。と繰り返される彩花の浅い呼吸と共に、次の言葉を待つ間嫌に静まり返った小山の静寂さが耳につく。
『二つ目の角曲がった時だったかな? 右折れる寸前にちらっとだけど後ろからライトが刺して、っていうか見えたように思ったんだけど。そこから次の角も次の角も、私が曲がろうとするたびライト・誰かついてきてて……』
「……見間違え。いいやそうだな、今も追われてる雰囲気か?」
咄嗟に出かけた否定の言葉を飲み込んで、俺は再度現状を問い直した。
『うん私も最初はそうかな? って思ったんだけど試しに曲がる手前で速度上げたらね、ずーっと右折左折のタイミングに合わせてだったのがいきなりぐっと迫ってきたんだよ!?』
だからね、勘違いとかじゃないと思うんだけど。とこの瞬間もかなりのハイペースで漕いでいるのか、途中でスピーカーに切り替えていたスマホからは彩花の荒く弾んだ声が届く。
「悪い、もう一回確認なんだけどさ」
そう彩花に呼びかける傍ら、隣にふと目線を投げてみれば腰を半分浮かした体制で美月がこちらの会話を黙って聞いている。
膝元に置かれていたスマホはいつの間にか手に持たれ、ライトに照らされた美月の表情は眼光も鋭く真剣そのもの。
普段よりも二割増しで細められた切れ長の瞳で俺の手元、スマホを注視している美月から無理やり意識を通話中の端末に戻すと、俺は大きく息を吐いてから言葉を継いだ。
「さっき踏切を超えて何度か角曲がったところだって言ってたよな?」
彩花の現在位置を確認するために俺が問いを重ねるその横で、何やら美月もどこかへと電話を掛けているらしき雰囲気が伝わってくる。
が、そんな気配を感じながらも俺は彩花との通話に集中する。
「てえことはさ、もうちょいしたら青木のばあさんの店見えてくるんじゃないか?」
『えっ、うん。今田んぼ道入ちゃったとこだからまだだけど、次右で車道に出ればもうすぐかな?』
「オッケー、ならあと300メーターもないくらいって感じか。よし彩花、ひとまず青木商店まで全力で漕ぐんだ! この時間帯でも、あのばあさんならぽっくりぽっくり寝こけてるはず」
で、でも……と不安そうに被せてくる彩花を押しとどめて、俺はなるべく焦りが声に乗らないよう注意しながら指示を出す。
「それにたぶん、盆時期だしばあさんの息子・おじさんも帰ってきてると思うからさ。すぐ店に駆け込んで助けを求めるんだ!」
「う、うん分かった」
「おう、俺も今すぐ美月と向かうからさ。……通話はそうだな、繋いだままで。ともかくペダルを漕ぐことに集中して……!」
ものすごく頼りなさげに返事を返してきた彩花をなだめすかすと、俺はガパッと勢いよく腰かけていた木製のイスから尻を上げる。
その隣では、もうどこかへの連絡を済ませたのか委細を承知した風の美月が、敷いたレジャーマットはそのままに上がってきた獣道へと一足先引き返しているところだった。
ゆうて上ってきた時同様、道ともつかない道を先を行く美月のスマホライト頼りに急ぎ降りていく。
いくら昔は遊び場だったっていっても、ちょうどわずかな星明りもなくある光源といえば美月がかざすスマホライトのみ。
そんな状態で木の根っこにも、ましてや石っころにも蹴っつまずかなかったのは運がよかったというべきか……
まあ、思わぬ緊急事態にノルアドレナリンがガンガン分泌されて、暗い割木や枝っ葉などの輪郭だけがやたらとくっきりしてたってのもあるんだろうけどさ。
無言の俺と美月が駆け足気味にお山を下りる合間にも、繋げた通話口の向こうからはひときわ荒くなった彩花の息遣いが聞こえてくる。
いっそう足を速めた俺達は、早々にやってきたばかりの小山を後にした。
そこからは早かった。
ゆっくりお散歩気分で歩けば10分近く掛けられるような元来た道も、車の通りすらなくまして非常時ともなりゃ全力で走れば美月宅までは2分と掛からない。
もはや、かって知ったる庭先みたいな近所ともなればなおさらに……
ほぼ一直線に車がすれ違うのもやっとといったコンクリ道を走り抜け、煌々と玄関の蛍光灯が照るポーチが見えてくるや、美月はスピードを緩めぬままキーを取り出し「おなじみボレロ」の施錠を解除した。
ピーッと電子キーが鳴り終わるのももどかしく、美月は運転席に飛び乗る。
そんな様子を目の端に入れつつ、俺も勢いを殺さずに助手席へと身を滑り込ませた。
『すいませーん、ごめんくださーい!!』
俺達が乗車するのと時を同じくして、通話口からはキュイーッと甲高く鳴るブレーキと共に自転車がガチャンと倒れるような激しい物音。
直後にはバンバンと、扉を叩くような音と綾香が助けを求める声がスピーカー越に響いてきた。
これで喫緊の危機は脱したか? と安どしそうにはなるものの、そこでもたもたすることなくエンジンを入れた美月がボレロを急発進させる。
『なんだべなんだべ、どちらさんだい? そない叩かなくても聞こえてるよ』
多く見積もっても美月んちから青木商店までは1キロあるかないかといったところ。
スピーカーから漏れてくる青木のばあさんののんきな返事とは裏腹に、それでも俺と美月の間にはチリチリとした焦燥感が漂う。
急発進によるgを感じながらも車窓の暗闇を睨みつける俺の耳には、彩花とばあさんがボソボソやりとりをしてるらしき音声。
がしたのも束の間、重たい戸が閉まる音が聞こえてきたと思いきやいきなり通話が途絶えた。
つい「……彩花?」と口をつきそうになる心配の声を抑えて、俺はようやく安心できる状況にはなったんだろうと思いなおしシートに背を預ける。
それから弓なりに延びる舗装道を抜けると、俺達を乗せたボレロは青木商店まで一直線の市道に出る。
車のハイビームが示す真っ暗な一本道を数十秒ほど進むと、右手にポッと青木商店の看板が現れた。
目が痛くなるほどではない店明かりに照らされた駐車場は、せいぜい軽トラが3台止められるくらい。
そんな敷地の隅っこには俺の予想通り、おじさんが帰省していることを示すように普通乗用車が一台すでに止められていた。
間をあけて駐車するボレロが止まるか止まらないかといったところでドアを開け飛び降りると、俺はさっとスマホのライトを点灯させ彩花がやってきたであろう車道を照らす。
(人っ子一人いるようには見えねえけど。まあゆうて、この暗さだしな)
俺が周囲を警戒して見渡していると、きちんとエンジンを切り施錠をした美月はスタスタ商店の入口に向かっていく。
「彩花ちゃん大丈夫かい? 美月だよ」
敷地の端に整然と並んだ自販機の出すモーター音だけが響く狭っこい駐車場で、ガラス戸の数歩前で立ち止まった美月は店内に届くような声量で呼びかける。
「……美月、さん!」
そんな風に自分を呼ばう声に反応して、すかさずガラス戸の奥から小柄なシルエットが近づいてきた。
最初のコメントを投稿しよう!