発散-7.標的細胞/ターゲットとして狙われる=首を差し出すのと同義な世界 ⅲ

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発散-7.標的細胞/ターゲットとして狙われる=首を差し出すのと同義な世界 ⅲ

「……なっ!」  つらつら並べ立てられてゆく「事件の一端」をただ茫然と消化するので精一杯な俺のことなど犯人(そいつ)が待ってくれるはずもなかった。  甲斐何某かが持つスマートフォンの液晶画面に、いつ引き抜いたのかベルトの吊り下げホルダーから外された「血液入りの試験官」がもう一本。  ディスプレイの光を反射してガラス管の表面が鈍く煌めく。そう見えたかに思うその刹那、いきなりそいつは手近にあった土手下の古木へ試験官を持った手を叩きつけた。  夜空に上がり続ける打ち上げ音の間を縫うように、あっさりといとも簡単にピキパリンとガラスが砕けるのを鼓膜が拾ってくる。  そうして、もはや「埒外な犯人」の一挙手一投足を見守ることしかできずにいた俺は、そのすぐ後に起こった異変に気付くのが遅れた。 「………?」  初めは、そいつが試験官を割っただけ。何が目的かはさっぱり見当もつかなかったけど、単にピキパキと細かな破砕音を立てて終わりになると思っていた。  しかし試験官が砕け散り何か液体状の、湿り気のあるものが樹皮に掛かったような音が聞こえてきた途端、断続的に鳴るはずのない振動が足底へと響き始める。  ズズズっと地盤の弱い、河川敷に散らばる丸石達を揺さぶるような衝撃が俺の身体までもぐらつかせてくる。  次いで、木材がメキッとしなる不穏な音が空気を震わせたかと思うと、バキリとひときわ大きな音と共に根源付近から折られた古木の悲鳴が空中を電波してくる。 「は、嘘だよな!?」  犯人(そいつ)が自身の血液が掛かった樹皮を躊躇なく、それもぱっと見ただ掌を当てがっただけかと思うや、  直後に起きた事柄に俺の口から間の抜けた声が上がった。  けど、そんな声が漏れ出た時にはもう遅かった。  そっと添えただけ、それだけのはずなのに地面と古木がベキバキと分かたれる激しい音が聞こえてきたと思ったその時には、俺の眼前で身の丈ほどもあろう古木をこちらへ振るう犯人の姿。  無残にも古木を根源からへし折ったそいつは、軽く掌で幹を握りこむ素振りを見せてからすぐさま俺の元へドンっとそれを押し出してくる。 「……ぐ、あ」  ただでさえ、目の前で繰り広げられる現象を処理しきれずに棒立ちとなっていた俺は、枝ごと体当たりしてくる古木を前に取れた行動といえばごくわずか……  反射的に、肘を体にぴったりと付け腕でガードの姿勢を取るのがせいぜいだった。  できたのはそこまでで咄嗟に「受け身を取る」などといった考えが浮かぶ訳もなし、ズシンと身体中の骨や関節が軋むような重たい衝突と共に体が投げ出される。 「か、は……」  構えていた前腕に枝先が突き刺さってきてるんじゃないか……?  いや実際、何本かは表皮を刺し貫きながら皮膚を削り取りその勢いで折れているんだろう。  それを裏付けるように、全身を強く打つ古木の衝突に交じり前腕を貫くような痛みが駆け巡ってゆく。  さっき背中を痛打してきた丸石なんかとは比にならない、当たり所によっちゃ「大ケガ必死」だったかもしれないそれに詰めていた息が漏れた。  古木もろともなぎ倒されるように、河原へ横倒しに吹き飛ばされる俺。 「……ハア、ハア」  硬直していた体の緊張がゆるみ呼吸が再開されると、遅れてドシンと古木が河原に倒れこむ音がやってくる。  それに合わせ、裂くような腕の痛みと全身に残る重たい痺れが俺の思考を埋め尽くした。  骨折までしているかは分からないものの、ヒビが入っていても何らおかしくないのは明らか。  痛みが引くどころか増してくるような状態で、それでもはっきりしているのは重度の打撲であるということ。 「う、ぐ」  できることなら一ミリも体を動かしたくない。このまま横向きに丸まったままでいたいというのが率直な感想だった。  けども、ズリリと丸石の上を這いゆっくりゆっくりと上半身を起こしていく。 (……血? どこから……)  のろのろと半身を立て直したところで、どこからか流れてきた血液が指先をツーっと伝い落ちていく。  痛みでいっぱいの脳裏に浮かんだ疑問符に、思考がまたもや空白となりかける。  が、かろうじて衝突時に走った痛みのことを思い出すと俺は「庇ってくれた前腕」に目を向けた。  そうは言っても、この暗さの中じゃあさすがにどのくらい患部が腫れあがり裂傷ができているのかは分からない。  だけど、親指と人差し指の腹で感じられるぬめりとした感触を見るにかすり傷程度では済んでいないだろう。  もしかしたら、倒れた拍子河原の上に血の筋くらいは点々とできているかもしれない…… 「まあ初めてにしちゃ上上、つうか張ってる根っこ事引っこ抜くつもりでいたんだけどよぉ? やっぱ〝収束〟の性質上、働きかけられんのは〝同一個体〟と見なしたもんだけってことかねぇ?」  俺が恐る恐る肘を曲げ伸ばししていると、思いがけず近場からそいつの声が降ってくる。 「にしてもあれだな、いきなり〝伝導速度〟上げたからってのもあるけどよ。さすがに体外へ〝活動電位(スパイク)〟打つと跳ね返ってきちまうもんだな。……生体内で完結するパルスじゃねえと一方向にできねえってことか? ったくさぁ、こうも返しのせいで頭痛くなるってなると考えもんだなおい」  ……立ち上がれそう、かな? と自分自身の状態ばかりに気を取られていた俺は、やっとこそれ以外の状況へと意識を向ける。  しきりにぶつぶつと分析じみたことを行っているそいつを他所に、俺は慎重に膝立ちの体制を取っていく。 「おいおい、まだ〝事実の歪曲〟始まんねえのかよお前……。んなちんたらしてっと前の二人みてえに死んじまうぞ?」  少し苛立たし気に蹴りつけられた丸石が、軋む関節を押して力を籠めようとしていた俺の半身をしたたかに打ち据える。  が、二度にわたる「法則不明な事象」に比べ大した速さもなく飛んできたそれは、わき腹を打ってくるもすぐにパラパラと地面へ落ちていった。 「何が、目的なんだあんたは?」  ギッギと徐々に膝に力を加えながら俺は状態を起こそうとする。  そんな俺に返されたのは、いかにもつまらなさそうな犯人(そいつ)からの答え。 「んなこと鼻っから言ってんじゃん。試験だよ試験、それも俺達を被験者にしたクソッタレのな。……つうかあれか? ちったぁ説明してやった方が歪みに繋がるかねぇ?」  退屈そうに見下ろしてきていたそいつが、空手となった指先でスマホの液晶をトントンとリズミカルに叩きながら「いいことを思いついた」というようにしゃべり始める。 「お前も受けてきたばっかだろ、スクリーニング検査だっけか?」 「ん、ああ」  なるべく、ジリジリ犯人(こいつ)と距離を取るようにしていた俺は、ふっと飛び出た「場違いな検査名」に間抜けな返事を返す。  甲状腺スクリーニング。  それは、昨日彩花や美月と連れ立って赴いたばかりの検査のこと。  一時に続き経過を診るため行われた今回の二次検査は、約一年半前に発生した「3月の隕石雨」通称MM災により引き起こされた二次被害・漏洩した放射線の影響を計るため当時18歳未満だった者を対象に「甲状腺機能の異常」を発見すべく実施されているものだ。 「それが、どうしたって……」 「ったく、ここまで察しがわりいとめでたいを通り越して呆れてくるな。まあいい、じゃあよその〝スクリーニング検査で甲状腺機能に異常が確認〟されていたとしたらどうだ?」 「……は? 俺も一次検査のエコー画像は確認したけどそんな結節(けっせつ)の影は……?」  つい勢いよくはてなと首を傾げたその拍子、体幹に走った鈍い痛みに思いっきり顔を顰める。  ゆっくりとではあったが今や同じ目の高さとなったそいつからは憐れむような視線が返ってくる。 「確かに悪性の腫瘍(しゅよう)や嚢胞(のうほう)、結節といったしこりは認められてねぇ。でもな、血流が乏しくなってんのを見逃してるぜ?」 「血、流? ……あ」  犯人(そいつ)のもったいぶるような物言いにやきもきしていた俺は、次がれた答えに大きく目を見開いた。  てっきり、一時のエコー検査からしばらくして「採血」までされたのは念のための処置だと思ってたけど、  だからかと俺はやっとこ腑に落ちる。  通常、超音波(エコー)検査は甲状腺のしこりを発見するためにするものだけど、それが診られずとも甲状腺が炎症を起こしている可能性があった。  それが血流の低下、無痛性の甲状腺炎になる訳だけども…… 「て言ってもさ、仮に甲状腺ホルモンのレベルに異常があったからってどう関係してくるんだ?」  こいつの言う通り、しこりがないにしても炎症が起きてるんだとしたら治療が必要だし、そもそもそれが事実とするなら検査を受けた俺達に秘されていたってことになる訳だから。検査を実施した医療機関や、引いては行政にまで問題があるってことになってくる。  そういった事柄を抜きにしても、今この現状でこいつがそんな話をしてくる理由に全く心当たりがなかった。 「そうその〝ホルモン〟まあつってもな、おかしいことに変わりはねえんだけどよ? それですら〝起きた変化〟の一部、余はと言ってもいいかもしんねぇ」  だんだんと俺との距離が離れていることにも頓着せず、犯人(そいつ)はスマホをトントンするのを止めて持って回った言い方をする。 「ただでさえよ、放射線による組織へのダメージかもしんねぇって話だ。だったら素直に甲状腺に腫瘍か……? 違うんだよなもっと上位の中枢。でありゃ〝ホルモンの分泌〟に異常がってことならよ、甲状腺刺激ホルモンを放出してる下垂体(かすいたい)前葉(ぜんよう)にか? と思いきやそこでもねえんだわ」  前腕はまだ使い物になるかどうかって感じだけど、  いつでも踵を返してダッシュできるよう準備する俺のことなど、これっぽっちも気にすらせず犯人(そいつ)が講釈をたれ続ける。 「前葉に腫瘍が診られるなんてこともねぇ。じゃあよ、どこが変質変性しちまったかっていうとな? その上、視床下部内の〝甲状腺刺激ホルモン放出並びに抑制ホルモン〟を分泌する細胞に特異化が診られたんだよ」 「視床下部に、得意化??」  そもそも、「甲状腺ホルモン」は各臓器の酸素消費を促し体温の上昇や精神活動への刺激。それにタンパク質、糖質、脂質といった物質の代謝というようにいろいろな作用を持つ訳だけど。  そして、その分泌を直接的に促すのがこいつの言った「脳下垂体前葉」から放出される「甲状腺刺激ホルモン」さらに前葉に対して「刺激ホルモン分泌」の調節を行うのが視床下部内の前視床窩野(ぜんししょうかや)から分泌される「放出ホルモン」と「抑制ホルモン」  だから、「なんの話を…」  そんな、参考書上の図でしかお目に掛かったことのないような脳機関の登場に余計俺の混乱が深まる。  っていうのもあるけど、にわかには信じがたい。それでも俺の脳内で引っ張り出されてくる「内分泌系の知識」と、こいつの話す情報が照らし合わされるたびその先を聞くべきではないと本能が訴えてくる気がした。  第一、それが事実だったとしても脳のMRIなんて撮られた覚えはない。  そんな俺の疑問を感じてか、ペラペラと犯人(そいつ)が補足をしてくれる。 「ああそれわよ、あんたらはしてねえかもな。でもさ、一般的な血液検査と称して血は採られてんだろ?」 「そっか、いやでも」 「まあ確かによ、脳の画像まで撮ってんのは俺しかいねえかもな? 残りは、スクリーニングで引っかかった連中の血液を負荷試験に回して選んでるだけだしよ」  俺は語られだす詳細に思わず息をのんだ。
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