今、葉が残るだけ

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 春乃(はるの)サクラは僕と真逆の症状を持つ女の子だった。  僕が春に免疫のない子供なのだとしたら、彼女は春にしか抗体を持たない子供だった。  僕が春に眠っている三ヶ月間、彼女には意識があって、逆に僕に意識がある九ヶ月間は彼女には意識がない。僕は春をよく知らないけれど、彼女は春だけを知っている。 「楓真(ふうま)くんは桜が嫌いなの?」  サクラは窓の外を眺めながら僕に聞いた。ぱっちりと開いたその目は、どうやら窓の外の桜の木を捉えているらしい。たった数枚の花びらを、彼女は儚げな表情で眺めていた。  昨日(さくじつ)、サクラと出会ってから、僕は再び彼女の病室を訪れていた。この病院に入院している同世代の子供は彼女しかいなかったからだ。退屈な病院生活を紛らわせるためにはそこに赴くのが一番効果的だった。  別々の季節を生きている僕たちだったけれど、それでも絶対に交わることがない人間同士ではなかった。春と初夏の季節が曖昧になる五月上旬のたった一週間だけは、お互いの意識が覚醒しているようだった。 「うん」と僕は何の悪気もなく答えた。当時の僕には自分の本音を隠すなんて気の利いたことはできなかった。「だって、散った桜の花びらを見ると抜け毛を見ているみたいな気持ちになるから」  冗談で言ったつもりはなかった。けれども、それを聞いたサクラはくすりと笑った。「楓真くん、なんだかおじさんみたいだね」 妙な恥ずかしさで、顔が火照っていくのがよくわかった。 「それならさ」とサクラは言った。「楓真くんは私の髪の毛も嫌いかな?」  そう言いながら、彼女は自分の肩にかからない程度の髪を手櫛で整え始めた。確かに彼女がそう不安に思っても仕方がないほど、彼女の髪の色は桜によく似ていた。 「ううん」と僕は首を横に振る。「満開の桜を見れたみたいで、僕は好きだよ」  我ながら、無邪気な子供というのは善と悪のどちらにおいても正直だった。当然、そこには「逆張り」もなければ「偽善」もない。 「そっか」  サクラはそう反応したが、そこには「嬉しさ」のような明るい感情を感じ取れなかった。 「私はね、この髪も満開の桜も嫌いなの」とサクラは言った。「だって、春に縛られているみたいで気味が悪いもの」  その言葉に、僕は何も返すことができなかった。
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