今、葉が残るだけ

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 僕は自分でも、それなりに不幸な自覚があった。なにせ、僕は生まれつき、春という季節を生きられないのだから。  しかし、サクラに出会ってから、その考えは百八十度変わってしまった。  春以外を生きられているだけ僕はまだ幸せなんだ、と。  閉鎖的な人生を生きているサクラは、僕にとってはその名の通り「桜」のような存在だった。  彼女の意識がある一週間の間、僕は毎日彼女の病室を訪れていた。満開の桜を見たことがなかったから、病室の中で彼女を見るのはお花見の代わりだった。  しかし、その桜も一週間もすればすぐに散ってしまった。  その日、僕がいつものようにサクラの病室を訪れると、彼女は真っ白なベッドの上で死んだように眠っていた。彼女の名前を呼んで呼び掛けてみても、起きる気配は微塵もない。  そのうち看護師が病室に入ってきて、ベッドの隅に突っ立っていた僕は彼女にサクラはもう長い眠りについてしまったんだと告げられた。  意識のある彼女に会えるのは、どうやら一年後になってしまったらしかった。  僕は何となく、彦星の気持ちがわかったような気がした。  次の日、春が完全に過ぎ去って体調が万全になった僕は退院を余儀なくされた。病室を去ることは決して不愉快ではなかった。けれども、サクラに別れの言葉も言えずに去らなければならないのはどうも名残惜しかった。  また来年だ、と僕は自分に言い聞かせた。来年、春が少しだけ過ぎて僕が目覚めたら、真っ先に彼女のもとに行こう。そんな決意を胸に、僕は病院を去った。  そして、次の年の二月が訪れた時、僕は再びサクラが眠る病院に入院することになった。  その時点ではまだ僕の意識は健在だった。いつか来る眠りのために、早いうちから病室にいなければならなかったからだ。  しかし、意識が覚醒しているまま病室を訪れたことで、僕はサクラに会うための心の準備をすることができた。「眠りから覚めたら、真っ先に彼女のもとへ行こう」。そんな言葉を意識が途切れるまで、何度も唱え続けた。  気が付けば、季節は再び晩春になろうとしていた。  病室のベッドで一人目覚めた僕は、意識がまだ朧げなままベッドから這い出ると、点滴台を持ってすぐに駆け出した。  隣の病室に向かうだけだったのにまだ歩き方をよく思い出せていなかった僕は、まるで身体がゼリーでできているみたいだった。そのせいか、病室を出るまでに三回、廊下に出てから五回ほど壁に激突する羽目になった。  しかし、サクラの病室に入るころには僕はすっかり元の人間に戻っていた。  扉を開けた音は、彼女にも聞こえていたはずだ。その音の忙しなさから、きっと看護師でないことはわかっただろう。  だが、彼女は一年前にあった僕のことを覚えているだろうか。  過った不安は、すぐに解消された。  病室の奥に進むと、ベッドに足を伸ばして座っている女の子と目が合った。 「今年も来てくれたんだ」  サクラはそう言って優しく微笑んだ。  どうやら、今年も桜は咲いたらしい。
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