⑧13番目の呪われ姫は桜の季節を待ち侘びる。

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「ちなみに私のお母様は生きてますよ」  今頃どこぞの石油王あたりと楽しくやってるんじゃないかしら? とベロニカは母親の顔を思い浮かべてふふっと笑う。 「……この前母親いなくなったって言ってませんでした?」  しかも公式的にベロニカの母親は死んだことになっているので、てっきりそれで落ち込んでいるものだと思っていた。 「そのままの意味です。この離宮からいなくなったんです」  静かにそういったベロニカは、 「ほら、私ってすっごく"いい子"じゃないですか?」  と、急に茶化すような口調でそんな事を口にする。 「……自分で言っちゃうんですね。はいはいいい子いい子」  ベロニカが努めていつも通りにしようとしているのが分かり、伯爵はそれに合わせるようにいつも通りの対応をする。  ふふっと満足気に笑ったベロニカは、 「いい子で、いたかったんです。母の負担になりたくなかったから」  ふっと息を吐くついでのようにそう言った。  勝手に手折っておきながら、与えられたのは妃とは名ばかりのボロボロの離宮での軟禁生活。 「私には、お母様しかいなくて。でも、すごく楽しかった。大好き……でした」  豪華なドレスも宝石もない。  世話をしてくれる侍女も暗殺者から守ってくれる護衛もいない。  いるのは呪われた幼い姫ただ一人。 「色んな事を教えてくれたのですよ。ほら、たんぽぽコーヒーの作り方とか食べられる野草の種類とか」  できると母が褒めてくれるから。  ベロニカは母親の教えてくれる事はなんでも覚えたし、あっという間に自分のことは自分でできるようになっていった。 「ある日、桜が満開になった夜に言ったんです。"あなたはもう大丈夫"って」  その夜の事は今でも忘れる事はできない。  濃いピンク色を咲かせた木の下で、月光を浴びて輝く銀糸を風にはためかせる母親の姿は息を飲むほど美しく、ふわりと羽織りをかけて舞う母は、桜の精のようだった。 「いつのまに手懐けたんでしょうね。暗殺者の1人が桜祭りの騒ぎに乗じて母を攫っていきました」  そして暗殺者は捕まり、母親はまんまとこの国から脱出した。 「本当は私、いい子なんかじゃないんです。ただ、褒めて欲しかっただけ。私にはお母様しかいなかったのにっ」  置いて行かれた。  自分にとっては唯一の存在でも、母にとってはそうでなかった。 「ピンク色の波に飲み込まれて、楽しかった思い出なんか色褪せてしまいそうで。お母様の事も嫌いになってしまいそうで。だから、桜なんて嫌いなんです」  ひとりぼっちはもう嫌だ。  そうつぶやいてベロニカは伯爵の服をぐしゃっと掴む。 「今夜は桜を見ながら、いつか伯爵もお母様みたいに私の事が面倒になっていなくなっちゃうのかなぁって思っていたんです」  泣きそうな声で、ベロニカは言葉を紡ぐ。 「私にとって伯爵は唯一でも、伯爵にとっては大事にしたいものの中のひとつでしょう。分かってはいるんです。でも、1つ欲を出したら止まらないくらい欲が出てしまう」  殺されるならこの人がいいと思っただけだったのに、伯爵が優しくしてくれるから先の人生を望んでしまった。 「いっそ、伯爵を私だけのモノにできたらと思ってしまう。それができるだけの力が私にはあるんです。その力がある(魔法が使える)自分が怖いのです」  大嫌いな自分が顔を覗かせて、そうしてしまえと囁く声に抗えなくなったらどうしよう。  そんな漠然とした不安に押し潰されそうで、ベロニカは顔を伏せた。
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