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 真っ青な空。雲一つない遠くまで広がる青に小さな光が見えた。それは人の目にも段々と大きくなって、三つ大きく息を吐く間に頭上高くで旋回を始めた。黒銀の鱗が陽の光を浴びて煌めいた。 「リュシオン様!」  息を飲むほど美しい竜は、名を呼び終わる前に着地した。  僕の国を護ってくれる気高き次代の竜。名前はリュシオン。黒銀の髪、血よりも紅い瞳。数年前に今の竜王が召喚した幼い竜は成長して成竜と変わらない大きさに見えた。竜の身体は成人男性の二倍ほどの大きさで、身体を包むのは黒鉄すら通さぬ堅牢な鱗。首は長く、翼と尻尾がある。人とは違いすぎる姿形に、最初見たときは腰を抜かした。 「エーリッヒ。来い、遊びにいくぞ」  重い羽音が響いて、立っていられないほどの突風に僕はたたらを踏んだ。踏ん張っても耐えられずに尻餅をついた。 「あ……」 「軟弱だな、エーリッヒ」  竜の声は人とは発声が違うのか、竜の姿の時も人の姿をしていても全く変わらないように聞こえる。竜でありながら溌剌とした青年の声が頭の上から聞こえた。  体勢を直して前を見ると、竜体から人に変じたリュシオンが長い黒銀の髪をたなびかせて立っていた。 「リュシオン様! 竜体のまま庭に降りてはなりません。上空で変じてから降りてくださいと何度もお願いしているではありませんか。木々が……」  竜の着地の際に起きる風のせいで、この後宮の木々は真っ直ぐに育つことがほとんどない。 「すまない――。今日習ったことをエーリッヒに教えてやろうと思って気が急いていたのだ」  無邪気な顔でリュシオンは手を差しだした。その手をとって立ち上がり、お尻を叩いて僕はため息を吐いた。全く悪びれない様子は木々のことなど気にしていない。ちゃんと覚えてくれないとその度に庭が大変なことになる。  ああ、竜を象った石像も羽がなくなっている。まだ設置されて一週間も経っていないのに。  それに名前も……。僕の名前はエーリッヒだが、次代の竜王のために作られた後宮に男の人間は僕だけなのだ。 「ああ、エリー。そんな顔をするな」  リュシオンは、情けない顔をしているだろう僕の頬を突いて笑った。 「エリー、リュシオン様は高貴なる竜なのだから、そんな些細なことは気になさらないのよ。一度は滅びた人間の国を救ってくれた竜の一族には感謝しかございません」  飲み物をもって現れた女の子が膝をつき、リュシオンへ差し出した。彼女は僕と同じでリュシオンのためにある後宮の一員だ。名前はジゼルという。赤みがかった金の髪を複雑に結い上げた美しい少女で、リュシオンの番候補と名高い。彼女は赤と紺のハッキリした色合いを好み、仕様が同じ服とは思えないほどきらびやかに着飾っている。僕は落ち着いた緑と茶色の組み合わせでリュシオンには「目に優しそうだな」と言われたが褒められたのかけなされたのか定かではない。 「もちろん、僕だって知ってます。地は火を噴き、空から石が降ってきて、ありとあらゆる種族が滅びたとき、竜は人間である番様のために竜の力で地をならし、吐息で季節を巡らせて、魔法で空から降ってくる石を破壊してくれました。でも、毎回庭がこんなことになるのは……」  庭師も泣くし僕も悲しいと訴えると、リュシオンはよしよしと僕の頭を撫でた。 「エリーは優しいからな。私が悪かった」  リュシオンはジゼルから飲み物を受け取って飲み干し、僕の手を引いた。 「リュシオン様、とても美味しいお菓子をご用意しております」  ジゼルはしっかりとした後ろ盾のあるお嬢さんだ。家族から届けられるお菓子は王都の有名店のものばかりだ。僕もよくお裾分けをもらうけど、どれも綺麗で美味しかった。ジゼルがお勧めするくらいだからリュシオンもきっと気に入るだろう。僕が食べたいくらいだ。 「エリーと遊ぶからお菓子はいらぬ」  それなのにリュシオンは清々しいくらいきっぱりと断った。見かけは大きくなってもリュシオンはまだ子供なのだ。女の子とお喋りをするより同性の僕といるほうが楽しいのだろうと後宮のお姉さん達が言っていたっけ。 「どこへ行くのですか?」 「付いてくればわかる」  鼻歌でも歌いそうなくらいリュシオンは機嫌が良かった。  リュシオンが本当の意味で大人となれば、男の僕など用がなくなるとわかっていた。こんなことを言ってはいけないけれど、リュシオンがゆっくり成竜になればいいと思ってしまうのは、僕にとってリュシオンは仕えている相手というだけでなく、大事な友達だからだ。竜と人、主人と小間使い、僕たちの間には天と地くらいの差があるけれど、僕はリュシオンと一緒にいられることが嬉しかった。  竜はあらゆる天災をはねのけ、人である番を護った。ひいては人の国を護った。皆はその竜を王と呼び讃えた。  やがて番が先に死に、竜は衰弱していった。 『王よ、あなたが死んでしまえば、この国は再び滅びてしまいます』  そう嘆く人間に、竜は提案した。 『竜は人を番とすることが出来る。竜が好む心の美しいものを集めなさい。竜の卵を産むことの出来るものが番となれば竜は番だけでなく人を護ってくれるだろう。人を好む竜を呼んであげよう』  竜も番が大事にしていた人達を悲しませたくなかったので、番をもたない竜を呼び寄せた。何代続いても竜と人の関係は変わらず普遍のものと思われた。人は護ってくれる竜を竜王と呼び崇拝し、彼の番となれそうなものを後宮に集め番様と呼んだ。次代の王が決まると沢山の女が後宮に集められる。
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