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12
「なんとかおさまったか――、リュシオン」
空中を歩く人がいることに僕は驚いて身を縮ませた。白銀の髪、青い瞳の男の人だ。着ているものをみれば、地位の高さがわかる。
「竜王様!」
宰相がホッと息を吐いた。
「リーゼバルト……」
現役の竜王の名前だ。僕は慌ててリュシオンの腕から降りて跪こうとした。リュシオンはそれを止めて、僕を抱いたままリーゼバルトに向かって軽く頭を下げた。
「どういうことだ。リュシオン、我と番の愛した国を破壊する気か?」
「どういうことだとはこちらの台詞だ。私の番を奪おうとするものはたとえ年長者でも許さぬ」
リーゼバルトは首を傾げて宰相に訊ねる。
「そなたはリュシオンの番を奪おうとしたのか? それではこの国は滅ぼされても文句は言えぬ。我とて、竜だ。それが如何に許せぬことかわからぬわけもない」
腕を組み、その人は僕達の前に立った。現竜王は弱っていると聞いていたけれど見た目にはわからなかった。
「いいえ! 私は次代様が『番に相応しいものを集めなさい』とおっしゃったので、番を娶られるのだと思って……」
「リーゼバルトが言ったのではないか。私達竜は、宝石の原石を集めることはできても番に相応しいものに加工することは苦手だ。相応しい衣服、相応しい調度品。番が見つかれば、人間である番に相応しいものを宰相が献上するのだと――」
「間違いではないな。二人とも……。どうやら我にも原因があったようだ。説明したいが、ここはあちこち崩れていて落ち着かぬ。一の山の火を止めてきてくれ。我は人と街を護るので力を使い果たしそうだ」
リュシオンが険ある目つきでリーゼバルトを睨めつけた。
「リュシオン、お願いです。豊かな実りを。来年もあなたと空の上から麦の穂がゆれる景色をみたいのです」
秋の夕暮れ、美しかった光景を思い出してリュシオンに願った。来年を一緒に過ごせるかもしれないという嬉しさに溢れた顔にリュシオンは頬をすりつけた。目を閉じてリュシオンは頷いた。
「一緒に来るのなら見せてやろう」
片時も離したくないと言われたような気がした。
片手を竜の翼に変じたまま、それを大きく羽ばたいた。リュシオンは腕に僕を抱いたまま上空まで上がると、燃えさかる火の川に向かって翼を翻した。
「綺麗……」
空にキラキラと宝石のような粉が舞い、それが火の川に降りかかると火の形を留めたまま凍り付いていった。これほどの魔法でもリュシオンは平気な顔をしている。
「寒くないか?」
「この布があるので大丈夫です」
布は母が僕に巻いて送り出してくれた。布の被っていないところも寒くないのが不思議だ。
「怖くないか?」
リュシオンに乗せてもらって山に行ったり海に行ったりしたことがあるから高さは平気だった。それとも噴火した山のことをいっているのだろうかと思って首を傾げると、リュシオンの紅い瞳が不安げに揺れた。
「竜は、そなた達人間と違いすぎるから……いつか愛想をつかされるのではないかとそればかりが気になるのだ」
リュシオンが不安に思うことがあるなんて。僕がリュシオンを想いながらも言えなかった言葉があるように、リュシオンも同じだったのだだろうか。
「番には出来ぬとおっしゃったから、僕は中継ぎだと思ったのです」
「二年も待たせるのに、気は受け入れて欲しいというのは、私の我が儘だ……」
頭の先に口付けたリュシオンは、ガックリと肩を落とした。
「リュシオン?」
「他の者に番の座を渡しても平気だったのか?」
それは酷い言葉だった。僕が苦しくて辛くて、それでも国のために飲み込んできた感情を無視した台詞だった。傷ついた顔をリュシオンの胸に埋めて涙を隠した。感情が昂ぶって、涙が溢れてきたのを見られたくなかったからだ。
「すまぬ。また傷つけてしまったのだな。私はエーリッヒを見たとき、こんな美しい気をもつ者がいるのかと驚いたのだ。誰にも渡したくないと思った。そなたは後宮にいたから、私の番になる気があるのだろうと勝手に思っていたのだ……」
リュシオンの途方に暮れたような声に、ふふっと笑ってしまった。
「僕では子供が産めないので……」
「何故だ? そなたはもう十分に私の気を受けた」
「それは……、僕が男だからですよ。後宮には女性ばかりだったでしょう?」
「何か問題があるのか? いや、待て。リーゼバルトに聞いてみるのがいいだろう。私も勉強したとはいえ、人のことをよく知っているわけではないからな」
リーゼバルトは三百年近く番様とこの国で生きてきた。年長者の忠告はしっかりと聞くべきだなとリュシオンは言った。頷いた僕を連れて後宮ではなくリーゼバルトのいる城の本館へと降り立った。竜の姿ではなかったので、風はそれほどでもない。
リーゼバルトが護ったというだけあって、城は崩れていなかった。誰に誰何されることもなく、僕達は城の一番上にある竜の住処と呼ばれる部屋に通された。
「ご苦労、リュシオン」
「リーゼバルト、話せ――」
宰相は先程より落ち着いた顔でそこにいた。
「せっかちは嫌われるぞ」
勧められた二人がけのソファに座り、側仕えのいれてくれたお茶を飲んでホッと一息ついた。色々なことが一度に起こりすぎて、正直言って僕は一杯一杯だった。
「先程竜王様より男でも卵を産むことができると説明していただきました。早合点してしまい申し訳ございません」
宰相はそう言って頭を下げた。
「え?」
僕の声が間抜けに響いた。
「女の方が向いているのは確かだが、産めぬわけではない。我には無理だが、雛であったせいもあるのだろう。リュシオンはよく耐えた」
リュシオンを見ると、誇らしげな顔で自慢げに何度も頷いている。
「女でなくとも大丈夫だと言ったろう?」
「エリー様、もう番様となられるのですからそうお呼びします。竜の出産には卵子や精子といったものが必要ないようです。ただ、竜の卵の核となる気を育てる場所が必要で、女性だと本来持っている子宮を使えるのですぐに子作りができるそうです。でも男性の場合はそれがないので、竜が気を与え卵のために寝床を整えるのだそうです。簡単にいうと直腸の奥に扉をつくり、竜の卵のために気を蓄積するのだそうです」
「それに二年かかった……」
リュシオンは、遠い目で言った。
「竜は番に相応しいものを見つけると、すぐに番にして……交尾をしたくなるのだ。でも卵の部屋を作っていなければ気は番の身体を巡る。人間はすぐに番の竜の気に慣れることができないので気が触れてしまったり、死んでしまったりするのだ。だから、私達竜は比較的女性型を選ぶのだ」
リュシオンは僕の手をとって指先に口付けた。
「私は雛だったこともあって我慢できたが、もうそれも終わりだ」
「僕の身体に、その……卵ができるのですか?」
「怖いか……?」
僕が恐れることをリュシオンは一番気にしているようだ。
「こ、怖くないといったら嘘になりますけど……」
「そなたがいいと言うまで服は脱がぬと約束しよう……」
犬のように耳があれば垂れていると思える悲しげな顔で、リュシオンは宣言した。
「服……。服はそういう意味が。あなたは一度も脱がなかったので、僕は……」
誤解してしまっていた。てっきり僕を相手にしたくないから脱がないのだと思っていた。
「脱いだら挿れてしまうだろう! そこにそなたのあられもない姿があって、私の気を受けて放心しているのだぞ? 私が限界の時必死に耐えていたら、そなたは怖いと枕に隠れたり顔を隠して怯えるから……絶対に脱がないようにと身命をかけた魔法を自分にかけたのだ。ちょうど二年、明日になれば魔法もとける……」
「よくぞそこまで覚悟したものだ」
「ご立派でございます」
リュシオンを褒め称える二人と反対に、何故か宰相の後ろで控えていたジゼルが声に出さずに呟くのが見えた。
『馬鹿じゃないの?』
全くもって僕もそう思う。
リーゼバルトと宰相は素直に褒めているようだし、リュシオンも誇らしげなので僕は曖昧に微笑んでいたけれど、絶望的な気分だったことはジゼルには伝わったようだ。
『命をかけないと耐えられないの……?』
魔法がとけたら大変なことになりそうなのは気のせいではないだろう。
「憂いは晴れたか?」
「はい。リュシオン」
先程までの空虚な気持ちを思えば、今は晴れ晴れとしている。リュシオンは満足げに僕の頭を撫でた。
「後宮を整えるので、そなたはリーゼバルトの番に挨拶をしてゆっくりしてくればいい。私やリーゼバルトにはわからぬことも答えてくれよう」
リュシオンは立ち上がり、僕にそう言った。
「でも、僕もお手伝いを……」
「そなたは明日のためにゆっくり身体を休めなさい」
リーゼバルトもリュシオンの提案に乗り気なようで、「我の番は可愛いぞ」と僕を誘ってくれた。
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