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14
次の日の夕方にリュシオンが迎えに来てくれた。
「あ、髪が……」
リュシオンの腰まであった髪が、僕よりも短くなっていた。
「もう魔法は解けたからな。あれは魔法を忘れぬために伸ばしていた……」
「魔法。リュシオン、魔法で人を呪ったり、戒めたりできるのなら僕に護りの魔法をかければよかったのではないですか?」
図々しかったのかなと、驚くアラインとリーゼバルトの顔を見て思った。でもそうではなく、二人は僕を心配してくれていただけだった。
「知らないということはなんて恐ろしい……」
「そうだぞ、エリーはもう少し竜について勉強したほうがいい。それともリュシオンならばできると惚気ているのか?」
ニヤニヤ笑うリーゼバルトに鋭い視線を向けたあと、リュシオンは困ったように首を傾げた。そうやっても髪が流れないのが少し寂しい。でもリュシオンの端正な顔立ちがはっきりして男らしさが増したような気もする。
「エーリッヒ、竜は大きな魔法が得意と教えたろう? 私の竜体は大きいがエーリッヒは小さい。私に魔法をかけることがグラスにワインを注ぐ事ならば、エーリッヒに魔法をかけるのは上から一滴いれるようなものなのだ。ワインがグラスにというなら一滴が二滴、三滴とはいっても問題ないかもしれぬが、人の身体はそれほど頑丈にできてはいない。そなたに触れただけで相手がへしゃげて潰れてしまったり、声を掛けたときに唾が飛んだだけで吹き飛ばしてしまうような守護になりかねない。私の説明でわかるだろうか?」
そこまで……? なら宰相の娘に呪いをかけようかと言っていたのは冗談だったのか。
「昨日言ってた呪いはかけるつもりがなかったのですね。皆本気にしていましたよ」
宰相の娘のセシルは家に戻ったそうだ。
「あれはエーリッヒに危害を加えかねない女だった。別に死んでも構わぬから加減などするつもりはなかったが」
冗談でもなく、加減もするつもりがなかったと言い切ったリュシオンは、「あんな女のことはどうでもいい」と切り捨てた。彼女のお陰で街も人も大変なことになりかけたのだから僕も同情するつもりはなかったけれど。
「エーリッヒ、そろそろ準備が整っているはずだ。食事は足りたか?」
四人で少し早い食事をとった。見るからに精のつきそうなものばかりが並んでいて、若い僕でも胃が重たい。でもリュシオンが止まらなかった場合三日ほどは食事ができないかもしれないとアラインに脅されたので必死に食べた。
「はい。もうお腹一杯です」
「そうか、それなら参ろうか。リーゼバルト、アライン、世話をかけた」
「エリー、覚えているわね?」
リュシオンだから大丈夫だと思うけれど、教えてもらった言葉は竜を止めることが出来る最強の呪文なのだそうだ。ただし、効果がありすぎるので使っていいのは本当にヤバいと思った時だけにしなさいとアラインも先代から聞いた言葉を教えてくれた。
「はい」
城の中から庭を通って後宮へもどった。激しい地震の爪痕は見当たらなかった。リーゼバルトが護ってくれたのだと思うとホッとした。
「どうだ?」
後宮の酷かった有様が嘘のように元通りになっていた。
「元通りになって安心しました。リュシオン、疲れていませんか?」
背の高い彼を見上げても疲労の色は見えない。
「大丈夫だ。一週間やそこら、眠らなくても竜は平気だ」
「一週間も!」
アラインが呪文を教えてくれてよかった。
「人は一晩眠らないだけでも辛いと聞いた。眠くなったらすぐに言いなさい」
「はい。リュシオン……」
後宮の中は、新しい調度品が並べられ花が飾られている。どこからか楽の音が聞こえてきて緊張感が否が応でも高まる。
「エリーはもう風呂に入ったと聞いたが、やはり私だけで入らなくてはいけないか?」
「えっ、ええ――。お風呂でちゃんと耳の裏まで洗ってきてくださいね」
洗うのは側仕えだがそう言って送りだした。リュシオンが風呂に入っている間にもらった初夜の服というのを着なくてはいけないのだ。別に着なくてもいいかと思うのだけど、そういうことはちゃんとした方がいいのよとアラインが言ったので先達の言葉を遂行するのみだ。
「そうか。なら、飲み物を用意させているから部屋で寛いでいなさい」
そう言って、リュシオンは部屋を出て行った。部屋は僕の部屋でもあるので変な緊張は少なくてすんだ。
「エリー様、こちらです。私が着付けさせていただきますね」
ジゼルが待っていてくれた。
「ありがとう」
「これは随分と……」
ジゼルは少し頬を染めて、それ以上は言わなかった。
「え、こんなに薄かった?」
試着したときは下にも着ていたから気付かなかったけれどかなり際どい。ドレープの重なったところだけが青く色付いて見えるが、基本肌色が透けている。
「悩殺ですわね」
「ジゼル、見なくていいよ!」
着付けてくれたジゼルに叫んだ。これを着てリュシオンを待つのは勇気がいる――。
僕達はいわゆる本番はしていないのだけど、それに近いことは二年もしているのだ。もう僕の身体の隅々までリュシオンがしらない場所はない。恥ずかしがるほうがおかしいとわかっているけれど、理性でどうにかなるものじゃない。
寝台の上に座りキョロキョロと周りを見回した。
「あ、いいものがあった」
緊張を解そうと用意されていたワインを開けた。
「エリー様、お慶び申し上げます」
ジゼルは床にひれ伏し言祝ぐ。
「ありがとう。これからもよろしくお願いします」
「エリー様、これからは主なのですから命じてくださいませ。皆でお祝いの宴をしながら儀式を応援しております」
「言葉遣い……か。困ったな」
「徐々に慣れていくと思います」
自分の出生に疑問を持ちながら生きてきたジゼルは、今は晴れやかな笑顔だ。
「ジゼルも一緒に飲まない?」
高そうなワインだ。道連れが欲しい。
「エリー様、ここで一緒に飲んでいたらリュシオン様ががっかりされますけど、良いのですか?」
ジゼルのニヤニヤした顔を見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。「ダメ……だね」
「ふふっ、すぐにいらっしゃいますよ」
ジゼルが出ていくと途端に緊張でグラスの中身を飲み干してしまった。
少しだけ落ち着いたかもしれない。
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