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18
「や、や……あ……ん……やだ……あ……あん……」
言いたいことはあるけれど、揺さぶられていると声にならなかった。
気のお陰でかスムーズになっていく抽挿とは反対に、視界が暗くなっていく。力の入らない脚はリュシオンの手によって掴まれ限界まで開かれている。暗く感じる部屋の中で、リュシオンの紅い瞳だけが鮮明で美しい。
「お……あぅ! おわ……か……れ……す」
ふとその言葉を思い出した。
『竜を止める最後の呪文よ。お別れですっていうの。強すぎる呪文だから気をつけるのよ』
アラインの声で蘇ったそれが言葉にできたのかわからない。薄暗かった室内が真っ黒に暗転しそうな瞬間、リュシオンの声が聞こえた。
「私を置いて行くな!」
番になれなかった僕にでもそう言ってくれるのかと思うと嬉しかった。気が触れる前に聞けて嬉しい。
「リュ……」
「愛してる――。私の愛しい番。エーリッヒに私の命を捧げよう」
気よりも大きなものが入ってくるのがわかった。繋がったところから生命力のような何かわからないものが。
ああ、竜はやはり人間とは違うのだ。
「リュシオン……愛してます」
大事な人に、『愛してる』なんて言葉を告げられて逝けるほど僕は諦めがよくない。
「ボロボロ、だな……」
リュシオンは自嘲するように笑って僕の中から出ていった。
「あ……リュ……シー……」
リュシオンの涙が僕の胸に落ちた。真っ赤な涙だ。血の涙に見えた。
それが僕の胸を伝いお腹の上で塊になっていく。透明度の高い紅玉がそこにあった。
「竜……の石?」
番ができれば、竜はその相手に石を贈るという。アラインの首飾りはそうなのだと言っていた。
「そうだ、すまぬ。これでは飾りにすることもできぬ。割るか?」
僕の頭の半分くらいの大きさになった巨大な石は、確かに装飾にするには大きすぎた。
「僕、こんなのを図書館でみたことありますよ。たしか鎖で脚にはめていたような……」
後宮にある図書室で見たことがあると慰めるように言うと、リュシオンは切なげな瞳を僕に向けた。
「牢で鉄球に繋がれた囚人であろう? まぁ、そんな気分になるのも仕方のない……」
「囚人……でしたか?」
歩くのに邪魔そうだなと思ったことしか覚えていない。
「止めてくれて助かった――」
とりあえずリュシオンは石を横に置いた。
「えっと、何故こんなことになったのでしょう?」
リュシオンが僕をシーツで巻いて、抱き上げた。寝台から離れて、ソファに僕を抱いたまま座る。
「半分しか入らなかったのだ……。だから止めようとしたのだが、そなたが泣くから……カッと頭に血が上って……。さらにギュウギュウと私を煽るから……本能というか番を抱きたいという気持ちが溢れてしまって、あまり覚えていない」
僕に覚えていて欲しいから気を制限したというのに、自分が覚えていないのがよほどショックだったようだ。
「呪文を言えてよかったです」
「よかった……が、できればあまり使って欲しくない。今でも辛くて息をするのを止めたくなるほどだ。いや、そなたを苦しめてしまったことは一生をかけて償う。……エーリッヒ」
竜の愛情は深い。呪文は、それを盾にしたようなものだ。
「ええ、僕も二度と言いたくありません。嘘でもあなたの側から離れるなんて――」
「ありがとう」
リュシオンに抱きしめられて、僕はうっとりと肩に顔を押しつけた。
「あっ……!」
首筋をチリッと火に炙られたような感触がした。魔法のことなんて何一つ知らないのに、何かが結界に触れたのだとわかった。リュシオンと共有している感覚なのだろう。それを理解できることが不思議だが。
「落石だ。おいで、見せてやろう」
リュシオンはガウンを羽織って、僕からシーツを剥がしてリュシオンの布を巻き付ける。そして、小さなバルコニーから軽くジャンプして塔の屋根の上に降りた。リュシオンがいつも羽を出していたのは僕を安心させるためだったようだ。人型でも難なく飛べるのだ。
遠くから飛来してくるものが見えた。雲があって本来なら僕には見えないはずのものなのに。竜は番と視界や感覚の共有ができるのだと後で知った。
リュシオンは、小さな声で叫んだ。
「エーリッヒ、愛してる!」
その瞬間、山のように見えた塊は砕け散った。
「ええっ?」
「寝顔が世界一可愛い!」
内容が酷い。リュシオンがおかしくなったのではないかと思いながらその声を聞いていた。砕けた山の欠片達は風に押されて海の方に飛んでいった。
「今のは……?」
「愛がなくては叫べぬと言ったであろう?」
竜の番となって、僕は飛来するものも見えるようになった。けれど、笑ってリュシオンが言うことが、冗談なのかどうかは判別できなかった。
「愛……ですか」
「そうだ、愛は沢山溜めておかねばな。そもそも私はそなたの苦痛に歪む顔しかみておらぬ。これでは明日、リーゼバルトに惚気ることも出来ぬ」
「そんなことはしなくていいです! あ、あ、駄目」
リュシオンに手を握られただけでその後を想像して身体が震えた。
「そなたがこの見晴らしのよい場所でやりたいと言うならそれも一興。これから何百年か見守る我らの国となるのだから……」
リュシオンは塔の屋根に座り、僕を膝に乗せた。
「こ、こんな高い場所じゃ……」
人に見られる心配がないのだけが救いだ。
「そなたはもうここから落ちたくらいでは死なぬ。安心していい」
「あ……っ、そういうことじゃないです!」
そうだった。正気でもリュシオンはあまり僕の言葉を聞いてくれないのだった。これからどうやってこの絶倫な竜を止めるのか、僕は重要課題に取り組まなくてはならない。
「エーリッヒ、月明かりに浮かぶそなたの肢体に目がくらみそうだ。美しい……」
竜は目が悪い、それは本当だった。
「リュシー、あ……こんな場所で――」
「誰も見ておらぬ。エリーは本当に恥ずかしがりだな」
あがくだけ無駄かもしれない。リュシオンに望まれれば、僕はどんなことでもしてしまうだろう。国のためでもなく、人のためでもなく、僕自身の望みがこの竜に愛されることなのだから。
「リュシー、落ちないように抱きしめてください――」
僕はリュシオンの首に縋り付いて囁いた。
「エリー、そのように煽るでない。また止まらなくなったらどうするつもりだ」
煽ったつもりはない。
リュシオンは優しく抱いてくれた。場所が地上から見上げると首が痛くなるほど高い塔の屋根だったことをのぞけば、素敵な初夜だと思える位には。
その後、真っ赤な瞳と黒銀の髪の美しい竜は、愛しい番のために四百年にわたり国を護った。
竜と番は寄り添いながら時を止めるまで――。
〈Fin〉
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