大指様

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大指様

「大指様。今回はこちらの小指一本でよろしくお願いします。血たっぷりの新鮮な小指です」  母が小指を大指様に差し出す。指のないその手が小刻みに震えている。  大指様の手が出てくる。  柔らかそうで、肉の多い、人をつまめるくらいの、大きくて白い手。 「こゆび」  そう言い放つと、大指様は帰って行った。  緊張から解かれた母は、その場に座り込んだ。 「もう、これで最後ね」  消え入りそうな声で、母がささやいた。  僕は自分の両手を目の前に広げた。 「さっきのが…最後の指」  今、大指様に捧げた小指が、僕たちにとって最後の指だった。  もう2人には捧げる指が残っていない。指のない肉の塊と化した僕の両手が、虚しく広がっている。 「どうしようね、悠ちゃん」  母は指のない両手を擦り合わせながら、恐ろしい未来を想像しているようだった。指の断面の血が枯れ果て、黒ずんでいるその両手からは、生々しい僕らの過去が思い出される。  "大指様の指奉納"  これは不定期に行われるこの村の行事だ。大指様が家に、手の指を回収しに来る。  僕たちは、その度に指を一本奉納しなければならない。  もし、奉納しなかった場合は。 「お父さん…  もうすぐ私たちもそっちにいくからね…」  母が天を見つめながら呟いた。  指奉納に反発した父は、大指様の大きな手に掴まれ、どこかへ姿を消してしまった。  次に大指様が僕の家に来る日。  それがきっと、僕の人生最後の日。 ***  次の日の朝から、母は村中に指を交渉しに回っていた。 「どなたか、指を、指をください」  もちろん村の人たちが指をくれるはずもない。自分達の命を守る事で精一杯なのだ。この村での指の価値は命と同等だ。比喩でもなんでもない、そのままの意味で。  昔、この状況に耐えられずに逃げ出してしまったある家族がいた。しかしその家族は、次の日には当たり前のように家に戻っていた。    両目を失った状態で。  指を奉納し続けることだけが、僕たちに残された選択肢なのだ。  母は来る日も来る日も、指を交渉しに回った。  僕はその母の声を聞きながら、自分の指のない両手を見つめて、能天気な祈りを続けていた。 「また生えてきますように」 ***  そんな日々が続いて、1ヶ月が経った。  母がいつものように指の交渉を終えて、家に帰ってきた。外は暗かった。 「悠ちゃん。お腹すいた?」 「ううん、空いてない」 「そっか。じゃあ、お水汲んでくるね」  痩せ細っていく母。同じく痩せ細っていく僕。全ての指を失ってからというもの、恐怖に怯え続ける僕たちは食事が喉を通らないため、水だけを飲んで暮らしていた。  母はいつものように家の裏の井戸に水を汲みにいった。ギコギコとレバーを上下する音。バシャンバシャンと水が桶に入っていく音。そんないつもの音の中に、その音は無情にも現れた。 「ゆび」  大指様が、来た。  裏からは、桶が倒れ、水が流れる音が聞こえていた。大指様が来た事に気づいた母が、慌ててこちらに戻ってくる。 「悠ちゃん、大丈夫。私に任せて」  母が、大指様の大きな手の前に飛び出した。 「こちら、親指になります」  母が差し出した親指。それは、普通の指よりもどこか肉肉しい。もしかしたら。 「おやゆび」  そう言って、大指様は帰っていった。  僕は、顔を強ばらせている母にそっと近づいた。 「お母さん、あれは本当に親指なの」 「悠ちゃん。見て」  母が服をめくって、お腹を見せてきた。そこには赤黒くえぐられた穴が空いていた。 「お腹の肉をかき集めて、指を作ったの」  僕は、咄嗟に目を背けた。 「少し不恰好な指だったけどね。また来てもお母さんが毎回毎回指を作るから安心してね。悠ちゃん」 「そんなの、お母さんの体がもたな…」  突然、大指様の手が玄関の扉を突き破ってきた。 「ゆび ちがった」  大指様の手が、母を握り潰した。大指様の白い手に、母の赤い血が弾け飛ぶ。 「あ、あっあっ、あっ、あ、あ」  僕は、何も理解できないまま声を出し続けた。 「ゆ、ゆびは、ない、ないんです、ゆびは」  大指様の白い手が近づき、僕は上につまみ上げられた。  死を覚悟した。これで終わりか。  僕もいくね、お母さん、お父さん。 「じゃあ おにんぎょう」  次の瞬間、とてつもない早さで運ばれた僕は、いつの間にか気を失っていた。 ***    目が覚めると、そこは神社の中だった。薄暗くて、まわりはあまり見えない。 「このゆびと このゆび」  僕は、椅子に座らされていた。  目の前では、大指様が床に散らばった大量の指をかき分けている。 「大きい…赤ちゃん…」  まず思い浮かんだ言葉はこれだった。初めて見た大指様の姿。あの手の大きさから、とても大きい姿をしていることは分かっていたが、まさか赤ちゃんの見た目をしているなんて。  あの柔らかそうで肉の多い白い手は、赤ちゃんの手だった。 「ほら おにんぎょうさん」  大指様は優しい手つきで、指のない僕の右手を引っ張り上げた。 「きせかえだよ」  床に散らばった無数の指の中から選ばれた指が、僕の右手に力任せに捻り付けられていく。 「これと」 親指。 「これと」 人差し指。 「これと」 中指。 「これと」 薬指。 「これ」  小指。  僕の右手には、血と肉で無理やりくっついた指が五本、今にもこぼれ落ちそうに立っていた。 「また生えてきますように」  苦しい日々の中で続けていた僕の能天気な祈りが、ここで残酷に叶えられた。  僕の未来は、もう決まっている。  ここで、大指様のおにんぎょうとして遊ばれ続けるのだ。飽きるまで、ずっと。色々な指を付け替えられながら、ずっとずっとずっと。 そして、最後には飽きられて捨てられる。 僕の椅子の後ろで、 無惨に転がっている、 お父さんのように。
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