紅嵐燃ゆる

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紅嵐燃ゆる

 秋という季節も相まって、周囲の景観は風光明媚と言っても差し支えない。しかし今は、そんな美しい景色を凌駕する存在によって、それらは完全に引き立て役と化していたのだった。  ―――そう……たった1人の少女の存在によって。  誰もが目を奪われ、足を止め佇む。美少女と言う表現では余りにも俗過ぎるその容姿は、男女の区別なく影響を与えると言う点では本当に神々しい。  一方、当の美少女はと言えば、周囲の動揺などどこ吹く風で視界に広がる景観を表情無く眺めている。……いや、よく見る事が出来れば、そこにはほんの僅かな笑みが浮かんでいると読み取れるだろうか。  もっとも、殆どの者達にはそんな彼女の感情の機微を読み解く事など出来なかったはずだ。多くの者達は、その美少女の包括的な優美さに気を取られているだろうから。  ただその魅力も、同性には効果時間は短いようで。 「……カワサキのZX-Ⅱ(ゼッツー) 1000かぁ」  まず言葉を発したのはこのみだった。その美少女の容姿に照らされて溶け込んでしまっているが、彼女はバイクを使いツーリングでここまで来ていたのだ。ライダースーツを身に纏っているのだからそれは当然の話なのだが、紅音達でさえこのみの発言を耳にするまでその事を失念していた。それほどの、その少女の存在感は圧倒的だったとも言える。 「カラーリングも、シルバーメインかぁ。良い趣味してるわねぇ」  次いで発言したのは貴峰だった。彼女の台詞で、紅音達の視線は少女ではなくマシンに注がれたのだった。  その少女の傍らに停められているバイクは、フロントカウルからフェンダー、シートカウルまで見事なシルバーメタリックで染め上げられている。そして所々僅かに、カワサキカラーであるグリーンやブラックが映えている。一見すればそれはカワサキマシンであるとは思われず、だからこそセンスが良いと評価されたのだった。  カワサキのマシンの特徴として、基本色は若草色が多い。殆ど全体の基調をグラスグリーンとして、ホワイトやブルーを僅かに使い、内側から垣間見えるブラックとのコントラストが殆どだろうか。  サーキットを走るレーサーマシンならば、ライダーや所属によっては様々な着色がなされている事も珍しくないが、一般車両の場合はその限りではなく、オリジナル色を強く押し出しているカラーリングは珍しい。そんな事をしているのは余程のバイク好きか、所属やスポンサーの意向を受けているプロライダーくらいだろう。  余りにも奇異な目線を向けていたからか、それとも周囲から向けられる視線とは一線を画していたからなのか。 「あ……。こっちを見た!?」  注目の的だった美少女が、頭を紅音達の方へと向けたのだ。  少女も彫像ではないのだから、気配に気付けば注意を向けるだろう。如何に見られ慣れていると言っても、異質な物には気付くものである。  その状態で数秒間、双方の視線が交錯する。 「……千迅?」  だがその静止状態を破ったのは、隣から感じられた異様な気勢を感じ取った紅音の台詞だった。  それと同じくして、紅音達の正面に立っていた少女がか様に歩き出した。……紅音達へと向かって。  途端に、彼女達の雰囲気が困惑したものへと変わる。それも当然の反応かも知れない。  しかし、息を呑むほどの美少女がこちらへ向かって来る状況で、紅音だけは別の方へと視線を固定させていた。……隣に立つ千迅へ向けて。  そしてその目線の先では、貴峰たちとはまた違った気配を発している千迅の姿があったのだった。その表情はどこか凶悪な……挑戦的とも思える笑みを浮かべている。 「今日は。失礼だけどあなた……翔紅学園の米田裕子さんではないですか?」  もっとも注目の美少女が見ていたのは、紅音でも千迅でも貴峰でも沙苗でもこのみでも、無論鈴でもなく……米田裕子であった。 「……は?」  これまで魅入っていた少女が正面に立ち問い掛けられても、裕子はすぐに反応する事が出来ないでいた。間の抜けた声を発した彼女は、もしかしなくとも自分に話し掛けられていると言う認識すら無いかも知れない。  惚けて声の出せない裕子を前にしても、少女は裕子の返答を急かさなかった。ただ、無言でジッと彼女を見つめ続けている。 「え……あ……。わ……私……でしょうか?」  だが、無言の圧力と言うのは時に言葉よりも雄弁だ。しかもそれが、女性でも見とれる程の美少女からともなれば猶更だろうか。  漸く自分に話し掛けられていると認識した裕子だったが、彼女が口にした台詞は非常に頓珍漢なものだった。 「……ええ。あなたは、でしょ?」  そして、そんな呆れるような回答を受けても、その少女は動じた様子もなく改めて問い返したのだった。  ……いや、問い返すと言うよりも、断定して確認したと言うべきか。  正常な思考を持っていれば、そこに違和感を覚えて然りだ。初対面だと思われる相手から、通学している高校名と自分の氏名、そしてまで言い当てられたのだから。  しかし、流石にいつまでも気勢に呑まれ続けると言う者ばかりではなかった。 「ふぅん……。裕子ちゃんが翔紅学園第一自動二輪倶楽部の選手だって知ってたんだ?」  そう言葉を返したのは誰あろう、千迅だった。普段とは違った空気を纏う彼女の発言を聞き、紅音達は言葉を失ったまま身動ぎ一つ出来ずにいた。 「……ええ。先日の新人戦F.L.Tではコースレコードで1着。としては、知らない方がおかしいでしょ?」  ある意味で無礼な千迅の介入を受けても、その少女は驚く事も怯む様子も見せずに言い返した。その様子は、まるでの会話のそれだ。  ここまでの会話を聞いた者ならば、このまま剣呑な雰囲気が立ち込め重くなり続けると感じるだろう。事実、紅音達はどうにもその場に居た堪れない気持ちを感じつつあった……のだが。 「そうっ! 裕子ちゃんはこの間の予選でコースレコードを叩き出したんだよぉっ! すっごいよねぇっ!」  先ほどまでとは打って変わり、拍子抜けするような千迅の喜んだ台詞がその場の空気を一掃し、動きを絡め取られていた紅音達をも開放する。 「私たちは翔紅学園第一自動二輪倶楽部の部員です。私は、速水紅音。……あなたは?」  真っ先に口を開いたのは紅音だった。彼女は目の前の少女の素性を知りたかったという思いも然る事ながら、このまま放っておくと千迅が裕子を褒め殺すと言う暴挙に出かねないと踏んで先手を打ったのだ。 「ああ、ごめんなさい。こちらの自己紹介がまだだったわね。私は剋越高校1年、木村=ヴァルヌス=亜沙美よ。よろしく」  淀みのない亜沙美の語調と優美な仕草。しかし決して(へりくだ)る様な態度など微塵も見せず、友好的なのか挑発的なのかさえ分かり兼ねるその台詞に、紅音は些か気分を害する。  もっとも、亜沙美の言い様は同年代に向けてならばそれほどおかしなものでは無く、さらに言えば彼女は最初から敬語なのかそうでないのか微妙な言葉遣いをしていたのだが。  そして紅音達の与り知らぬ所ではあるのだが、亜沙美は誰に対しても……それが例え年長者であったとしても、この様な話し方をする人物なのだ。 「……そう、剋越高校の。……よろしく」  だが、紅音の第一印象としては余り良くなかったようで、亜沙美に返す言葉は少なくやや棘も含まれていた。無論、この場で握手をすると言う事にはならない。 「私は、一ノ瀬千迅。千迅で良いよ、えぇっと……。木村=ヴァシュ……ん?」 「……私も亜沙美で良いわ、千迅」  それとは対照的に、千迅は何故だか非常にフレンドリーな対応を取り、亜沙美の方も毒気を抜かれたのかの様に千迅へと返事した。  些か戸惑いを齎した初対面ではあったが、こうして全員が自己紹介を終えて一段落着くまでに至っていた。 「裕子を知ってるって事は、あなた剋越高校でバイクやってるのよね?」  そして話題の最初として、貴峰が当たり障りのないと思われるものを提供した。元々亜沙美が裕子の事をと告白しているのだから、そう推察してもおかしな話ではない。  そしてこの場合の「バイクをやっている」とは、当然モーターサイクルレースに携わっているかの確認でもあった。 「ええ。私も新人戦に出場するわ」  物怖じする事なく、間髪入れずに答えた亜沙美だったが、その途端に彼女は身体をビクリと小さく震わせた。そしてそれは、紅音も同様だった。  亜沙美と紅音の視線は、緩やかにその原因の下へと向かう。そしてそこには。  再び挑戦的とも取れる気勢を発しだした、口の端を釣り上げた千迅がいたのだった。  ※作品は全てフィクションです。実際の公道では交通ルールを守り、事故には十分注意して運転して下さい。
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